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コミュ障 2

 先日観たテレビで、日本の昔話が原作のストーリーを逸脱し、マイルド方向にねじ曲げられていることを知った。

 『桃太郎』に出てくるキジやサルは『家来』ではなく『仲間』、また鬼ヶ島には『鬼退治』や『成敗』しにいくのではなく『話し合い』に行くらしい。『サルカニ合戦』は『サルカニばなし』に改題され、カニも死ななきゃサルも死なない。ついでに子供の頃 私が大好きなキャラクターだった牛のウンチも出てこないのだ(笑)

 私は ある日のTVで、とある老女性教員が自慢気に、自分が仕切る運動会の徒競走において 一列に並んだ小学生が手をつないでみんなでゴールテープを切ったという『美談』を聞いたことがあるが、これほど恐ろしいことはないと思う。

 敗者を作らないための妙案である旨の話をされていたその教員に指導してもらった子供も多いのだろうが、不幸だと言わざるを得まい。負けることがないというのは 当然負けて悲しいとか悔しいとかといった気持ちも持てないのだから。挫折を知らないということは、挫折を乗り越える力もつけられないということである。

 悪者もいなければ敗者もいない。悪者は懲らしめられず、競争しても誰も負けない。ごていねいに、時には勝者もいないのだ。こんなこと 大いなるギャグでしかないではないか。

 思い過ごしなどではなく、ここ最近我が校に入学して来る生徒たちの明らかに目立つ特徴として、

 1.指摘や否定に弱い
 2.努力が評価されないことに弱い

 以上二点の弱さが目立つと思っているが、こんなことを子供たちに感じさせないよう、経験させないようにするのが今や『良い指導・教育』であると世間で言われているような気がしてならない。しかしこの手のストレスは、対人関係の強さに繋がるトレーニングになることもまた事実だと思う。

 このままいけば 日本には、ストレスがかかることを恐れて 外に出られない人が増えるのではないか。きっとその時には対面のビジネスはほぼ無くなっている。物流も無人でのやり取りになって、経済はある程度回るのかもしれないが。

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