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アメリカンなカフェで勧められた「悪魔とプリン嬢」と「さまよう刃」

ある田舎町に退屈しながらも抜け出せずにしなびたホテルのバーで働くプリン嬢がある日突然やってきた異邦人(悪魔)においしいけど、残酷な話を持ちかけられて・・・・・・。​

「条件さえ整えば、地球上のすべての人間が喜んで悪をなす」

ブラジルの旅人であり作家でもあるパウロ・コエーリョ作品のひとつ。

ちょっとアメリカンなカフェでバイトしていた東京時代に、そこの職場のパティシエのおねえさんに「おもしろいよ!」と紹介してもらったのが、この本。

題名からしてインチキくさいわ、、、(ごめんなさい)と思わなくもなかったが、読んでみたら、すっかり夢中に。当時私はパウロ・コエーリョ氏を全く知らなかった。

しかし、この20年間いわゆる「積読」になっている。
なぜなら先を知るのが怖いから。。。
ああ、でも早く知りたい。と思いつつもったいなくて?今日にいたるまで
なかなか最後まで読めないのです。

でも、時々ふと思い出し、だけど途中まで読んだ内容がなんともうろ覚えなので、またはじめから読む・・・ある時は半分くらい、ある時は3分の1くらいまで読み進めて、結局「いやいや、まだ結末は知りたくない!」と手が止まってしまう。

その繰り返し。

いつの日か「読了」する日が来るのだろうか。
でも、いつまでもこのソワソワ・ワクワク(ワクワク?)を取っておくのもまた乙なもの。

自分で見つける本もあるけど、人から教えてもらって巡りあうのも、また違う発見があっておもしろい。

その職場では、当時の店長からも何かの話のきっかけで、これまた全く違うタイプの本を紹介してもらっていた。
確か東野圭吾の「さまよう刃」だった。


今思うと、それまで東野圭吾を読んだことのない私に、紹介する東野作品の最初の一冊にしてはハードでは??と思うのだが、当時は他の本を全く知らなかったので「おもしろい」と聞いたその同じ本を読んでみる事にした。

日本人作家の小説は、大人になってから意外ときちんと読んだことが無く(もっぱら映画だった。それも洋画派)読んでみれば、あっさりと東野圭吾作品の虜になってしまって、それからというもの、書店や、古書店などで「東野圭吾」が付いた本を片っ端から手に取り、読破していった。

それをきっかけに他の日本人作家の本もだんだんと読むようになっていった。

読書も全くしなくなった時期もある。読みたい本が無いから、、、、という訳でなく、別の事に気をとられていたか、心に余裕がなかったのか、そうではなく特に理由などもなく離れていたのか。

色々な作家の本が欲しくて、がむしゃらに集めたりした時期もある。
それでいて、手に入れると安心してすぐには読まず「積読」が次から次へと出来上がってしまっている。

そうかと思えば、ある日突然「本欲」がメラメラ湧いてきて、一日で一冊読み切ってしまう事もある。その後も立て続けに、全く別ジャンルの本を読み進めたり。


その時々で私の本への意識は変わっていくが、いつでも感じるのは、本が生活の中にある事の安堵感と喜びだ。本棚に本が並んでいるとなんだかワクワクしてしまう。一冊一冊にその本の世界があり、いつでも、ほんの一時でも私はその本の世界に入り込めるのだから。

本たちは常に家のそこかしこで、いつでも私を待っていてくれていた。
そして時々ふと思い出して手に取ってみる。
するといつでも「おかえりなさい」と迎え入れてくれる。

久しぶりにまた、東野圭吾を読んでみようか、、、、
いや、もういい加減あきらめて「プリン嬢」の結末を知ってしまうべきだろうか、、、、

そんな事を思いながらも、結局別の積読に手が伸びる今日この頃なのである。

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