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「君たちはどう生きるか」の「わかりにくさ」を考える 3/3

ジブリ映画「君たちはどう生きるか」は、一度観ただけで内容が理解できない、わかりにくさがあります。最後に、そのわかりにくさを考えてみました。
以下、「ネタバレあり」です。


なぜ「下の世界」は崩壊した?

本作のわかりにくさは、何点かあります。

その一つは、原作との関連性です。
原作の「君たちはどう生きるか」は、戦前に発表された若者向けの倫理の教科書で、多くの人々に読み継がれてきた日本の教養ともいえるものです。
それをタイトルに据え、宮崎流の哲学や、原作の発展拡張を期待したものの、作中に回答は明示されません。
ジブリ映画はわかりやすさが特徴だったのに、その点でも驚きです。
この点は、1/3の記事で整理しました。

それを除き、最もわかりにくいのは「下の世界」が突然崩壊する場面です。それも主人公の眞人が継承者として指名された直後です。

本作は「上の世界(現実世界)」と「下の世界(魔界)」との二層で構成されています。特に「下の世界」は人格形成の葛藤を描くファンタジー世界であり、生命再生の場として描かれています。そこには細かな設定がなされており、例えば、2/3の記事で整理したように、「老婆」は「守り人」として、二つの世界の設定にリアリティを与えています。

そして終盤、大叔父は眞人に「下の世界」を継承するように勧めます。
われわれ観る者は、「上の世界」同様、「下の世界」は継承すべき価値ある世界だと理解する一方、なぜ大叔父が支配者で、眞人が継承者なのか判然としません。
また、継承するのに眞人は生命を投げ出さねばならないのか、疑問も膨らみます。

旅は終わり「下の世界」が不要に

こうしたなかで「下の世界」は、いとも簡単に崩壊します。
その崩れ方はまさに積木くずし、あるいは夢の終わりのようです。

ようやく、本作を貫くテーマが母の死の受容であることを理解し、二層構造が持つ意味を考えはじめた頃、「下の世界」は崩壊してしまい、われわれは置いていかれます。

本作の一貫したテーマは、母の死の受容です。
ようやく眞人が「下の世界」のさまざまな経験を経て、母の死を受け容れられたところで、眞人の旅は終わり、その時点で「下の世界」が不要になったといえます。

誰もが持つ各人の「下の世界」

作中で、「どの世界にも塔が存在する」(うろ覚えです)と「下の世界」の秘密が披露される場面があります。

塔とは「下の世界」の入口のことですが、これは、どこかに「下の世界」がマルチバース(複数宇宙)のように並存しているというより、世界中の人間誰もが、それぞれ心の内に「下の世界」をもっていると考えるべきでしょう。
想像力が発揮されれば、誰もが「下の世界」を召喚できます。

大叔父に「下の世界」の継承を勧められる場面も、眞人が生と死の分水嶺を彷徨っていると考えるのがわかりやすいと思います。
「下の世界」が死と再生の現場だとすると、その魅力(魔力)に理由もなく引き寄せられしまう。取り憑かれるか、斥力反発して日常に戻るのか。
そこからは、心の内の怖さも伝わってきます。

宮崎駿の「君たちはどう生きるか」

ここまで書いて、ようやく物語になりました。
原作を補完するように、親を失う(親殺し)場面が設定され、改めて「君たちはどう生きるか」が問われる。

そこでは、死と再生という大きな世界を、一人ひとりの想像力を駆使して理解することで、はじめて乗り越えられる。「君たちはどう生きるか」に応えた物語なのでしょう。

(丸田一葉)

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