見出し画像

タテかヨコか、それとも…

 今も昔も変わらない、そんなことは生活していれば色々あります。
 学生の時も、社会人になってからも、頻繁に出会う光景の1つに、専門職だからあの仕事、一般職だからあの仕事、という会話や文章。でも、次世代の人たちには是非こういうことからも逃げないで柔軟に対応できる人へなってほしいと思ったりもします。

 例えば、専門職はたいてい「タテ」への情報量を使い、一般職は「ヨコ」への情報を使い、総合職は「タテとヨコ」への情報を使うとか言われたりします。どの職にも一長一短ありますが、マイナス部分の改善を目指すことも必要かなと思うときもあります。
 すべての人に当てはまるわけではありませんが、これまで出会ってきた専門職のタイプで印象に残ったのは、専門職という肩書きを盾しながら見下げてくるタイプです。この場合、「タテ」への過度な探求が死角を与えているのではないかと心配になる時もあります。
 逆に、安心感を得た専門職の方は、そういう看板に頼らずとも淡々と対話を進めるなかで凄さを伝えてきたことを覚えています。

 どちらが良いかは、個人により感覚が違うと思います。 しかし、これからの社会を考えるとき、大切なのは看板を誇るよりも、相手が何を求めているかを感知できるコミュニケーション力ではないかと思います。
 単なる会話だろうで片付けず、コミュニケーション力は一朝一夕になせるものでないため、SNSライフになりがちな現代においてその力が受け身型へ押し込まれないよう注意が必要だと考えています。
 特定の世界でしか生きられない、特定の表現や価値観を盲信し、それとは違う人をバッシングしたり排斥活動へ邁進する…など、実は身近に転がっていることに気づかされます。
 そういう人と接するたび、この人もまた被害者なんだろうと考えてしまいます。そういう人にはどのような福祉的配慮が必要なのか、逆に、学びの機会と捉えるようにしています。

 他方で、社会人になってから出会った印象的な言葉に、「手触り感」があります。これはメディアアーティストの落合陽一さんが仰る言葉ですが、現代の死角を考える上で大切な視点だと感じています。
 結局、抽象的なミサイルの打ち合いばかりしていても埒が明かないため、現場を軸にした意見交換や相手のデマンドに寄り添いながらどんなサービスが必要なのかを共に見つけていく対話が大切なんだと自分は考えています。
 したがって、表現力に必要な語彙力はもちろんですが、相手のデマンドに寄り添いながら、選択肢をどれだけ提供してあげれるかを心がけるようにしています。
 総じていうならば、これからの社会マターを考える上で欠かせないもの、それは「手触り感」であり、自分の言葉を持つ能動的な探求者として受け止める器の形を考えながら生きる姿勢ではないでしょうか。







この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?