恋人と友人と僕で小旅行

11月末、僕の恋人と大学時代の登山仲間(ストレート)と、僕の3人でイベントに出かけた。世界中のクライマーやスキーヤーのショートフィルムが流れる、アウトドアの映画祭だった。僕が大学3年生の頃からほぼ毎年見に行っていて、当時は冬山シーズンの登山のモチベーションアップが上がったり、映像を見て新しくスポーツを始めたりしていた。

毎年見ていた近くの会場がやらないので、クルマで片道4~5時間かけて別の会場まで移動した。なんだか小旅行だった。

気が付けば、秋に登山仲間と会うのが恒例になっている。去年もそうだった。昨年同様、一年ぶりに会う友人と「この一年間の理不尽だったこと(主に社会人生活において)」を言い合いながら、車を運転してた。この世は間違っているんだ!俺が変えてやる!というノリは学生の頃と変わらない。

登山しない恋人が「どんな山に登ったの?」と聞いたので、友人が答えてくれた。今思い返せば、大学時代に熱心に仲間と山に登ったのは3年間くらいだっただろうか。それ以降は、一人で登ったり、大学の調査研究で登山したりすることが増えて、自分の実力を試すような登山はしなくなった。

映画祭は期待通りで、世界中のトップアスリート達の登山やスキーに感動しっぱなしだった。そういえば、僕がスキーを始めたのも、マウンテンバイクを始めたのも、この映画祭がきっかけだったな。おれ、これやりたいと、学部生の頃に強く思った。今でも、ちゃんと遊んでるよ。雪を求めて、スキーを背負ってマウンテンバイクに跨ることだってよくある。

気が付けば恋人と友人はすっかり仲良くなっていた。最近「ゆるキャン」に影響されてキャンプを始めた恋人は、僕の友人から「焚火台買ったの?一番いらんくね?ってかキャンプ場じゃなくて誰もいない山入ってキャンプすればいいじゃん。なんで人のいるところへわざわざ行くの?住んでる所の方が田舎やん。」と、僕の思っていることをそのまま言ってくれた。「お前ら登山する奴と一緒にするな!」と言い返す恋人も楽しそうだった。

帰りの車内、僕が後部座席でうたた寝をしていると、運転している恋人と、助手席に座る友人との会話が聞こえてきた。「ゲイだから」と話す恋人に対して、「そんなん関係なくね?他に大事なこといくらでもあるでしょう。」と言ってくれる友人の言葉が、後ろにいる僕にも嬉しかった。「結婚するとか子供を作ることが最重要項目な国もあるだろうけど、もう日本はそうではないし、他に人を判断する要素はたくさんある。僕だって恋愛のために生きてるわけではないし。」

会話の半分くらいは聞こえていた。僕は途中でまた寝てしまったけれど。恋人は「お前の友人とイロイロ話しだんだぞー」と嬉しそうだった。いや、僕も大分聞いてましたけどね。黙っとくけどね。

僕でも、頭の中で思っていることは友人が言ったことと大して変わらない。でも、自分が当事者であることを考えると、そんな素直には振舞えない。当事者だから言えない事や許せない事、認めたくない事がある。僕の中には、まだ傷を受け入れる勇気や覚悟が足りない。それは、いつか心の中に芽吹くものではない。いま、いまのいま、動くべきことなんだけどね。