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長編小説1.

 小学生の頃の私にとって家族は決して温かい存在ではなかった。怖かった。特に父がこの世の誰よりも怖かった。父の言いなりの母も、父に可愛がられていた兄2人も、誰よりも近いはずの家族の心は誰よりも遠い場所にあった。というより、私だけが遠い場所に置いていかれたんだ。
 兄2人は欲しいものを何でも買って貰えていた。私に来るのはいつもそのお下がり。女の子らしいものを何も持っていなかった。リボンのついた髪留めも、可愛い女の子のお人形も、フリルのついた服だって。

 自転車はマウンテンバイク。好きな柄を買うはずの裁縫箱は私だけ特撮ヒーローが印刷されてる真っ黒なケース。持っている服はスポーツメーカーのTシャツと短パン。髪は短く結うこともできない。
 何かをねだる事はしなかった。だって私にとってこれが当たり前だったから。女の子に混ざってお人形遊びをするより男子に混ざってドッジボールをする方が多くなってからは、スカートを着る自分を想像する方が恥ずかしくなっていった。

 男の子だったらよかった。そうしたらきっとお下がりだって嬉しかったはずだ。
 兄だったらよかった。そうしたら欲しいものなんでも買ってもらえた。

 でも私はどこまでいっても女で末っ子だった。
その現実から逃げたかった。本当は男になりたいんだ、と思い込むことで自分を責めないようにした。女の子でいることを諦めたんだ。フリルもリボンも可愛いスカートだって私にはきっと似合わない。

スカートなんて、履いたこともないけれど。履かせてあげられるお人形すら持っていなかったけれど。


 ある日、一番上の兄と父がアイスを買いに行くというのでついていった。兄は父に甘えて一番高いアイスを買ってもらっていた。
そのあと私をみて「お前は何にするんだ」と聞いてくれた。びっくりしたけど嬉しかった。父がわたしに欲しいものを聞いてくれたのは初めてだったから。

調子に乗ってしまったんだ。いつもと違う父を見て、「私だって」って期待が出てきてしまったんだ。今ならわがままを言っても良い気がして、兄を真似て「私もこれがいい」と高いアイスを指差した。
  それを見た父はみるみる表情が変わって睨むような顔で溜息をついた。

「お前も食うのかよ。贅沢だな」

それがあんまりにも低く怖い声だったから怒られると思った。母のように怒鳴られてしまう。怖くて、焦って「ごめんなさい」とすぐに謝った。

「ほんとはこれがいい。これがいちばんすき」

聞かれてもない言い訳をして奥のシャーベットを指差した。だってこれがここで一番安いアイスだったから。本当はシャーベットってお腹が痛くなるから苦手なんだけどな。父はそれで納得したのか何も言わずシャーベットアイスを買ってくれた。

 手を繋いで帰る兄と父を見て私はようやく理解した。その時はたった、10歳だった。
たった10歳の頃、男じゃないとか兄じゃないからとか関係なく、家族が冷たいのはただ私が愛されていないだけなのだと知った。ほんとうに悲しかったんだ。今でも忘れられないくらい、悲しい出来事だったんだ。でも私はまだ子供で悲しさを受け止める事もできなかった。
 ただ残ったのはもうここにいたくないという気持ち。いてもいなくても変わらないこの場所から消えたかった。早く大人になりたかった。一刻も早く大人になってこの家を出る。それがいつしか私のたったひとつの目標になった。

 この時悲しみを真正面から受け止められていたのならきっとこんなことにはならなかっただろう。
悔しさと憎しみで私の心は真っ黒に染まってしまった。砕けもしない。けれど、擦っても落ちない何かがこびりついてしまったんだ。

 私は小学生の頃、ついに家族みんなで食卓を囲む温かさを知ることはできなかった。
 そんな私でも1人で食事をする虚しさは知らないままだった。それは本当にいつの間にかで、私だって記憶にないくらいいつの間にか。

あなたがいてくれるようになった。
見捨てられた私を見つけてくれた家族がいたんだ。

だから私はもう、寂しいだけの子供じゃない。

これはあなたに捧げるお話だ。

あなたの優しさを知ってもらいたくて、私は私を書くことにしたんだ。

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