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クリぼっちへの弾圧はアメリカのほうが断然強い

いや、弾圧というわけではないのだけれど。

端的に言えば「肩身が狭い思いをする」ということなのだけど、うーん、なんだかしっくりこない。

なんだろう、クリぼっち、つまり一人でクリスマスを過ごす人って、アメリカではとことん無視されているなと感じるんですよね。存在自体が無きものにされているというか。


日本は単身者にやさしい世界

「クリぼっち」という日本語がある時点で、クリスマスを一人で過ごす人の存在が認められているんですよね、日本って。

例えばコンビニに行けば、小分けになった一人分のクリスマスっぽいスイーツや食事が普通に手に入ります。一人だけど、ちょっとケーキ食べたいなとか、チキン食べたいなという人の需要があることを、ちゃんと知っている。

テレビやインターネットを見れば、グループでどんちゃん騒ぎのパーティや、家族でほんわか暖かな食卓を囲んだり子供がプレゼントを開けてわーうれしい!みたいな陽の訴求もあれば、クリスマスも仕事でヘトヘトっすよ的な陰のイメージや、クリスマスなんてクソくらえ的なアプローチもある。さまざまな角度からこの一大イベントであるクリスマスを捉え、楽しんだり楽しまなかったりする日本人の感覚というのが浮き彫りになっているな、と思うのです。

例えば自分に家族や恋人がいたとして、クリスマスは暖かな愛に包まれた時間を過ごすとしても、一歩外に出ればクリスマスでも変わりなく働く人や、一人ぼっちで過ごす人がいることを、みんな知っているし、その絵面(イメージ)はわりと簡単に浮かぶのではないでしょうか。


これって、実はすごいことだと思います。
日本人は他人をおもんぱかる文化があるからなのかもしれません。忖度は良くも悪くも作用しますが、ことクリスマスに関しては、プラスに作用しているなと思います。


アメリカの12月は地獄

私はアメリカに住んでもう10年になるのですが、クリスマスのイメージといえば、完全に「家族団らん」です。恋人同士で過ごすイメージもなければ、一人でメリークリスマスを過ごすための商品なんて聞いたこともありません。

11月下旬に、アメリカの主たる年内行事のひとつ、感謝祭(サンクスギビング)がありますが、それが終わった翌日から、街もテレビもすべてがクリスマス一色になります。

テレビや紙媒体ではクリスマス商戦に向けた広告がどばどば流されますが、どれも家族団らんをイメージしたものばかり。暖かい暖炉、大きなダイニングテーブルにずらりとご馳走が並び、ツリーの下には大小さまざまなプレゼントの包みが山盛り。

食料品店にはクリスマス向けの様々な商品が並びますが、2kgのポークリブとか、鶏まるごと1匹とか、大人数じゃないと消費できない量でしか売っていません。実はアメリカにはクリスマスケーキを食べる習慣はないのですが、アップルパイなどのスイーツもホールで売られているので、一人では食べきれません。

さらに地獄だなと私が思うのは、サンクスギビング以降の一般的な雑談は、ほぼ「クリスマスの準備、進んでる?」になること。

クリスマスの準備ってなに?1ヶ月以上も前からやるもんなの?と、私もアメリカに来たばかりの頃は驚いたものですが、これがけっこう大仕事なんですね。ツリーを飾ったり食事を用意するというだけでなく、大量のクリスマスカードを書いたり(日本の年賀状のようなもの)、家族や親戚や友人への大量なプレゼントを仕入れてラッピングしなければなりません。

プレゼントがどれぐらい大量かというと、去年クリスマスに友人宅に行った時、そこの家の子供はプレゼントを50個ぐらいもらっていました。これは両親からの贈り物だけでなく、親戚や友人からのプレゼントも相当な数が送られてくるからなのですが、それにしても、多いですよね……。

とにかくそんなわけで、クリスマスの準備には相当な時間と手間がかかるため、12月に入ると、日常会話は「あ〜まだクリスマスプレゼント買ってない!どうしよう!」や「今週末はカードを一気に書き上げないと!」といった内容で埋め尽くされます。

友人知人の間だけなら良いんですよ。私がいちばんキッツイな〜と感じるのは、見ず知らずの人からもクリスマスの話題を振られることなんです。

アメリカでは、例えばカフェでオーダーする際やスーパーのレジでスタッフさんと会話したり、列に並んでいる時に前後の人と話したりといった、見ず知らずの人とサクッと話す「スモールトーク」という習慣があるんですね。そこで、「クリスマスの準備、進んでる?」とか聞かれたりします。

この、「クリスマスの準備は当然みんながするもの」「プレゼントも大量に用意してラッピングが大変なのは全人類に共通」といった感覚で来られるのが、なんだかとっても、モヤッとするのでありまして……。


わたしゃ紛争地の子供か

私は夫と2人暮らしで、現在暮らしているオレゴン州には親戚や家族もおらず、クリスマスはしっぽりと夫婦2人で過ごすのですが、なんせ2人だけなので、特に変わったこともせず、きわめて平常運転なんですね。ツリーも出していなければ、玄関ドアにリースすら飾っていません。でも、そういったクリスマスの過ごし方って、いわゆる「普通のアメリカ人」には想像もつかないものなんですよ、きっと。

なぜなら、私が「うーん、今年は特にクリスマスの準備はしないかな」と言うと、みなさん決まってフリーズするんです。ハッとした顔になるんですね。まるで、世界には貧困があり、爆弾が飛び交う戦地があり、死んでいく子供たちがいることを、突然思い出したかのように。「地球の裏側ではそんな不幸があることを知ってはいるけど普段は完全に忘れてますごめんなさい」という顔。

クリスマスを家族で祝わない私のような人は、きっと、ワクチンがなくて死んでいく子供と同じとは言わないけれど、相当に寂しくて孤独でかわいそうだと思われているんだろうな、と感じます。

あ、こういう書き方をすると、アメリカ人って横暴だなとか、失礼だなという印象を与えてしまうかもしれませんが、そうではなくて、クリスマスに関しては「家族団らん」という単一イメージのみを教育でもメディアでも街でも家庭でも共有し、刷り込まれている、というだけなんですね。その単一イメージの外側にいる人への配慮は、残念ながらありません。

しかし例えばこういった外側のイメージは、一般の人でも付きやすいようです。クリスマスプレゼントが買えない貧しい家庭もあるから、不要なおもちゃや洋服を寄付しましょう。寒空の下で耐え忍ぶホームレスの人たちのために、○○レストランではクリスマスの食事を1000食分用意しました。……この配慮はとても素晴らしいことですが、しかしそこまで貧困層ではないクリぼっち単身者や、私のような平常運転者は、やはり透明な存在なのだと痛感します。

思いやりがないわけでは決してないのです。ただ、日本のように多様なライフスタイルが一般にまで浸透し、それが当たり前になっている……という世界とは程遠いな、と感じます。(クリスマスに関しては、の話ですが)。


世界がみな幸せそうに見える。自分以外は。

これ、私が外国人だからそう感じるだけなのでは?と思いきや、そうでもないようです。実は私の夫はメンタルヘルス系の医療従事者なのですが、クリスマス前はうつ傾向になる人が増えるそうです。クリニックを受診する人が増えるだけでなく、自殺願望が強まる人も少なくないのだとか。実際に、昨日(12月23日)は強い希死念慮を持つ方が2人もいたそうで、これは他の時期に比べてかなり多い人数だそうです。

クリスマスの一家団らんや、楽しく温かいイメージが悪いと言いたいわけでは決してありません。心おきなく楽しんでほしいし、子供はプレゼントをたくさんもらって幸せな気分に浸ってほしい。ただ、それ以外のライフスタイルが一切黙殺されているこの単一的な空気が、とても残酷だなと思うのです。

せめてスーパーマーケットには、単身者が手に取りやすい小分けのケーキや、小さなサイズのアップルサイダーがあればいいのにな、と思います。そして、そういった商品を手に取る人が、孤独でかわいそうなのではなく、そういう志向の人もいるよね、ぐらいに気楽にとらえられる空気になっていけば、とてもいいのになと思います。

お読みいただき(ラジオの場合はお聴きいただき)どうもありがとうございます!それだけでも十分うれしいのですが、サポートいただけると大変励みになります。オレゴンで小躍りして喜びます。