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何者かでないと何かしてはいけない感覚


住む街に対して、ここにこれがあればいいのにとかこれなんとかならないかなぁとか

そういう人はだいたい行政がやればいいと考えている

この場所でうまくいくとかいかないとか、やる前からは分からなくて、やりたいなら必要な手続きや行動をするだけで単純なのだと。

そう話す友人の話を聞いて、

なにかを始めるってこんなに単純なことなのかとはっとすると同時に、自分も含めて“そういう人”たちは、何者でないと何かをしてはいけない感覚に囚われているんじゃないのかなと思った。


コーヒーを淹れてみたい、お菓子を売ってみたいと思うけどバリスタやパティシエじゃないし…とか。
発信したいけど写真や文章がうまい人なんてたくさんいるし…とか。


かつて私も自分のお店をもつことに憧れていた。
いろんなお店をみればみるほど、私ひとりがお店をしなくたっていいお店は溢れているじゃん、とやる意味が分からなくなった。

好きだから、やってみたいからとか単純な動機に対してやらなくてもいい理由が多すぎる。

プロなんちゃらとかなんちゃらリストを名乗る人は特別な人だと思って、自分は特別じゃないからと端からあきらめている感じ。

何かしたいのに何ができるか分からなくて何もできない。

どこを目指していいか分からない。



悶々もしてないでやってみて違うと思えばやめればいい。
やってみてできなかったらしょうがない。
大きく何かを始めるんじゃなくて、スモールステップにすればいい。

具体的に何かを目指しているんじゃないけど、よくいう経験のかけ算をしていけば面白い答えにつながるかもしれない。

ちょうど1年前の今日、飲食店の仕事を辞めた。

今は、飲食店を経験した自分に養護教諭の経験をかけている途中なのだ。

まだもう少し長い式になるんだろうな。


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