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神風特攻隊を生んだ男の遺書

特攻隊は、多くの人々が知る「神風特別攻撃隊」だけではありません。

しかし、この有名な攻撃隊を任命(発案)した男。

その男が大西瀧治郎。「特攻隊の生みの親」として歴史が好きな方には名が知れているかもしれません。しかし、あの特攻を生み出した人なんて絶対極悪な非道人ではないかと疑っていました。

軽く流れを整理すると戦争が激悪し、マリアナ・パラオ諸島の戦いでサイパンが陥落した日本はアメリカと次にフィリピンで戦うことになります。このフィリピンは本土と南方資源を結ぶ中継地点でここを失えば戦争が続けられなくなってしまう、何としてでも負けられない重要な戦いでした。

そして1944年、第一航空艦隊司令官長菅になった大西は特攻を承認。フィリピンで実践の指揮をとります。彼はもうこの時には、日本は負けてしまうかもしれないと感じていました。ここフィリピン島で食い止めなければ、本土決戦となってしまう。何とか戦争を終結させるために、苦渋の策として、特攻隊を結成します。これに若者の兵士たちは皆手を挙げて志願したといいます。彼の遺書には未来の国民への言葉もありました。

「この戦争で日本は負けてしまうかもしれない。でも、ただ一つだけ残せるものがある。それは、戦争に負けても若者たちが命がけで戦った事実だけは残せる。この事実が後世に伝えることができるなら、たとえ戦争に負けても、日本は決して亡国にはならない。」

大西中将含む彼らは今を生きる私たちのために、大切なものを全て捨て戦ってくださった先人がいたということを決して忘れてはいけません。

そして彼らと同じ日本人として誇りに思い、世界の平和を作っていかなければなりません。先人たちが残してくれたこの国の未来を考えていくのは私たち、国民です。それが、今に生きる我々の使命です。

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