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誕生日が来るたびに「もういいよ」と言い続けてきたINFJの私による、生きることについての最近の見解

こんばんは。
最近半夏厚朴湯(ハンゲコウボクトウ)を服用している茉莉花です。

今年に入ったくらいからずっと喉に異物感があり、去年の11月頃にかかったコロナの後遺症かなぁなんてぼんやり思っていたのですが、いやいや流石に遅れて来すぎでしょ、ということで漢方を飲み始めました。

元々は喉のつかえに効くといいな、という思いで飲み始めた半夏厚朴湯ですが、なんと気分のふさぎにも効果があるようです。なんでも疲労やストレスから来る「気(き)」の巡りの滞りを改善してくれるのだとか。最近落ち込み気味な私の心にも効いてくれると嬉しいです。

知るたびに思いますが、漢方って奥が深いですよね。いつかきちんと勉強してみたいと思っています。

さてさて、今日は私の「生きる」ということについての見解をまとめてみようと思います。なんだかぼんやりしているし、明るくも楽しくもない話ですが、よろしければお付き合いください。


誕生日が来るたびに「もう充分」と思っていた私

突然ですが、
生きることについての根本的な原動力って何から発生するんでしょう?

私は世間一般の人が当たり前に生きようとする気持ちが分からなくて、ずっと疑問に思っていました。だから誕生日が来る度、また一年歳を重ねたなあと考える度、「もう充分長く生きたよ、もういいよ」って思っていました。
去年の誕生日まで、本気で。

原因を考える

私が思うに、生きることに対して前向きに捉えられるのって家庭環境の影響が大きいのではないでしょうか。それとその他の対人関係。
私が上手く生きられないのを全て家庭環境のせいにするつもりはありません。が、少なからず影響を与えた要因の一つではあると思っています。

いつか別の記事にまとめようと思っていますが、私は母親と仲が良くありません。壊滅的に合わない。両親は離婚しており、父親とも疎遠です。父は年に一回くらい食事に誘ってくれるのですが、お互いのことを良く知ろうとするには遅すぎました。毎回当たり障りのない話をして、食事会は終わり。

2~3年前は家に居ても気が休まらず、鬼のようにバイトを入れたりして、何かと理由をつけて外に出ていました。苦手な人と同じ空間にいるのって物凄く気力を消費しますよね。長くなってしまうので今回は詳しくは触れませんが、その頃はちょうど母との間に決定的な確執が生まれた時期でもあったので、ズタボロな自分の心を守るために必死だったんです。

そんなこんなで家族との関係を上手く築けていない私は、長い間宙ぶらりんな気持ちのまま生きてきました。明日も明後日も、この先もずっと生き続けることに対しての活力が湧かなくて、ぼーっとしたまま日々を耐えている、そんな状態でした。

そういえば、去年の誕生日は思わなかったな

誕生日は私にとって特別でもなんでもない日です。
寧ろ、今までの人生とこれからの人生のことを考えてネガティブな気持ちになるからあんまり好きじゃなかったんです。

ところが去年の誕生日は、もういいやなんて思わなかったんですよね。逆に「今年はもっと友達と遊んでいたいなぁ」なんて、前向きなことを思ったりしてました。何故でしょうか。

誕生日から2週間ほど経った頃、私が学生時代から考え方や生き方を尊敬するお友達と食事をする機会がありました。彼女にその話をしたところ、「自分の人生を自分で決められるようになったからじゃない?」と言ってくれました。彼女が言うように、学生ではなくなったことも理由の一つかなと思います。短い期間とはいえ社会を経験した私は、もう自分のことを自分で決められる大人という立場になったのです。

あとの理由はそうですね、
最近、以前にも増して仲良くしてくれている友達のありがたさを痛感することが多いからでしょうか。
仕事を辞めようか悩んでいるときにも、私の心身の安寧を一番に考えてくれる優しい人ばかりで、相談しながら何度涙が出そうになったかわかりません。


そんなこんなで自分の生き方をちゃんと考えるようになったことと、仲良くしてくれている友達の事を考えるうちに、生きることについての漠然とした不安が薄れてきたのかもしれません。

この気持ちがすぐもとに戻ってしまうのか、それとも長く続くのかはわかりませんが、今は自分がこう思えるようになったことを褒めてあげようと思います。

今回の記事はこれで以上です。
やっぱり冒頭で書いた通りぼんやりした記事になってしまいましたね。それでも最後まで読んでくれた方がいましたら、ありがとうございました。
今日が皆さんにとっていい日になりますように。