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「人権は普遍的だ」というのは誤り?――とても短い覚え書き

 Aさんが次のように主張したとします。

【Aさんの主張】「日本では表現の自由は保障されているが、中国では表現の自由は保障されていない。よって、『人権は普遍的である』というのは誤りである」

 ここでは、実際に、日本では表現の自由が保障されているのか、また、中国では表現の自由が保障されていないのかという点についてはおいておきます。

 さて、Aさんの主張には問題点があります。それは「人権の普遍性」と言われるときのこの言葉の意味を誤解している点です。法学者の深田三徳は次のように言います。

〔略〕人権概念の第三の特徴は、人権の普遍性である。ここでいう人権の普遍性は人権原理がどこの国ないし地域でも充分に保障され実現しているという意味ではない。またどこの国ないし地域でも人権侵害に対する制度的救済が完備しているという意味でもない。それは、一定の権利・自由がすべての人に対して平等に配分されるべきであること、そしてそのような人権原理がどこの国、地域でも妥当しているということである。

深田三徳『現代人権論』(弘文堂 1999年)p. 112 ※強調は原文

 つまり、「人権の普遍性」とは〈人権はどの国・地域でも実際に保障されている〉ということではなく、〈人権は国・地域に関係なくすべての人に配分されるべきだ〉ということだと理解できるのです。

 もしも「人権は普遍的である」という言葉が〈人権はどの国・地域でも実際に保障されている〉という意味であれば、Aさんの主張は正しいです。

 しかし「人権は普遍的である」とは〈人権は国・地域に関係なくすべての人に配分されるべきだ〉ということだと理解できるので、Aさんの主張は正しくありません。

 なぜなら、日本では表現の自由は保障されていて、中国では表現の自由は保障されていないからといって、〈人権は国・地域に関係なくすべての人に配分されるべきだ〉ということが誤りになるわけではないからです。

 今回の記事は以上です。読んでくださって、ありがとうございました!

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