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人の痛みがわかる人間に

23年7月1日 9時44分 雨

人の痛みとは、なんだろうか。
人の痛みがわかる人間ってどんな人なのだろうか。
私は、人の痛みをわかり、汲み取れる人間になりたい。

ただ、自分が我慢するような
自己犠牲的な優しさは、違う気がする。
いつか限界が来るような気がするから。

だからと言って人の痛みを感じているのに
無視をして、見なかったことにして、自分だけが得をする
というのは、もっと違う気がしてしまう。

そんな悩みを中学生くらいから悶々と抱えている。

昨日、カフェのアルバイトでオーダーミスをした。
お客さんに多くお金を払わせてしまった。
会計後の待ち時間にその女性から指摘を受け、謝罪した。

しかも、不幸中の不幸とはこのこと。
決済がクレジットカードだったため、
大掛かりな返金手続きを要した。

現金ならその場で返して完結するものが、
クレジットカードでは社員しか対応できない上、
カフェのテナントが入っている館に報告書を書いて届けに行き、
館の役員からカード会社に問い合わせをする。

時間もかかりお客さんに迷惑をかける上に、
多くの人を巻き込んでしまうのだ。

私はひどく落ち込んだし、できるならば、
自分のお金を出して多少損をしてでも、この場で解決したい。
なんてことも頭によぎった。

時間がかかることをその女性に伝えに行くと、
「あ、ていうか、いいわよ!」
「私その分もらいます!カードって手続き大変なんでしょ?」
「一緒に来てるこの子がお腹空かしているし!」

と明るく、爽やかに答えてくれた。
流石に申し訳なくて一転二転はあったものの、
最終的には快くミス分まで食べてくれた。
「ありがとう!」と笑顔で受け取ってくれて。

その女性は、4人組できていて華やかなスーツを着ていた。
同伴者のスーツ姿の男性2人も、横でケラケラと笑い、
もう1人の若い女性も微笑んでくれた。

かっこいい。
そんな余裕のある大人になりたい。

小学6年生の頃、国語の教科書を忘れたことがある。

私の担任は、学校一厳しいと言われるO先生で、
忘れ物をした時はみんなの前へ出て謝った上に
授業中ずっと立っていなければならなかった。

シャイで内向的な性格だった私は、
忘れたことを言いに出せずにチャイムがなっても
一人、机に教科書がないまま座っていた。

気づかれるのも時間の問題。
そして報告をせずにバレることは、忘れた以上の罪になる。
ドキドキ恐怖に怯え、心臓が破裂しそうだった。

すると、スッと隣から教科書が出てきた。
となりの席にいたLくんだ。
彼は何も言わずに教科書をシェアしてくれた。

安心したのも束の間、
O先生はすぐに私たちの異変に気がついた。
「おいそこ、なに一緒に見てんだ」
「どっちが忘れたんだ?報告も聞いてないぞ」

時が止まったようだった。
クラス中の視線がこちらに向く。

先生への恐怖心の上にみんなから注目を浴びたことで私は、
胃が縮み、心臓が激しく脈打ち、息が上がり
手には汗を握り、動けなくなってしまった。

すると、Lくん。
自分の教科書を私の机にスライドし、
「僕です!!すみませんでした!!!」
と立ち上がった。

O先生は、フッとひと笑いし
彼をしばらく立たせた。
おそらく、私が忘れたことにO先生は気づいてたのだろう。

私は、こんなエピソードを思い出すたびに
”人の痛みがわかる人って素敵”という言葉が頭に浮かぶ。

きっと、そういうことなんだろう。
相手を当時の私のような気持ちにさせること。

自己犠牲するとか、無理して優しくするとか、
頑張って親切を振る舞うとか、そういうことじゃなくて。

相手のことをよく見ること。知ること。
その気持ちを想像すること。
その気持ちや感情を大切にしてあげること。

ただ、それだけなんだと。
シンプルで簡単ではない真理かもしれない。

お金も、ものも、時間も、労力もいらない。
人にとって一番大切で嬉しいのって”気持ち”だと。

寄り添う気持ち。
気遣う気持ち。
愛を与える気持ち。

その表現方法はなんだっていい。
言葉だって、態度だって。
そういうのって、ちゃんと伝わるものだと思う。

人の痛みがわかる人間になりたい。
すぐに態度や言葉で表せなくても、
人の気持ちを想像する習慣をまずはつけたい
と思った出来事であった。


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