初心忘るべからず―受難節を覚えて
こんにちは、マルです🙆♀️
世間ではバレンタインで盛り上がっていますが、本日から受難節が始まりましたね!この期間はイエス様の十字架について考えるだけではなく、自分の洗礼について思い起こす言わば初心を忘れない期間でもあるそうです。
灰の水曜日ということで、魚を食べることにしました🐟
聖金曜日にも断食(肉なし)チャレンジをしたいと思います!
受難節の期間は洗礼の準備期間になります。去年の今頃は私も洗礼準備会に毎週教会へ行って勉強したことを思い出します☺️
勉強会も楽しかったですし、「もうすぐだ!」と緊張したり、洗礼記念品や洗礼名をどうするかで悩んでいたことが昨日のことのようです🤭兄弟姉妹の皆さんは洗礼式にどんな思い出がありますか?
今の教会に行ってからはモーセの十戒の話を通して洗礼準備会でのことを思い起こしていました。モーセに限らず、聖書にはたまに耳の痛くなるような言葉も書いてありますが、「口に甘く、腹には苦い」(ヨハネの黙示録)とあるように、飴と鞭ではないですが愛と厳しさの両方があってこそ御言葉は成り立つのだと考えさせられました。
そして受洗とは少し離れますが、私がいたルーテルでは礼拝の本質について考える機会もあったので、今の教会で聖餐を受ける際に月イチとは言えども聖餐と洗礼がイコールであることを忘れてはならないと思いながら聖餐の恵みに与っています☺️
ルターが宗教改革をしていなかったら、礼拝の在り方について深く考えなかっただろうなぁ…🙄
違う教派なので礼拝の流れも使ってる賛美歌集も信仰告白も主の祈りも全然違いますが、それでも私が姉妹の1人となったことに代わりはなく、毎週礼拝堂で祈り続けています。
私はお世辞にも真面目とは言えませんが、だからこそ初心を忘れないようにときどき洗礼証明書を開いて「そうだ、私はクリスチャンでマルタという名前を貰ったのだ」と受洗したことを思い出すようにしています。
コンビニでバイトしていた頃や、クリニックに勤めてた頃は教会へなかなか行けず、しょっちゅう洗礼証明書を眺めて自分が何者かを考えていました(^_^;)
私にとって洗礼証明書は、宝物であり身分証みたいなものだから聖書カバーの中に忍ばせています😉
クリスチャンの方は洗礼式で「イエス・キリストの十字架の死と復活を信じますか?」という質問を先生からされて「はい、信じます」と答えたと思います。
私が言うと偉そうだと思われるかもしれませんが、仕事や勉強においても基本を忘れないのと同じで、信仰だって基本に立ち返ることも時には大事だと思わされます。もし受洗した時のことを忘れてしまったら、きっと信仰生活における大切なことを全て忘れてしまうのではないか…なんて不安になってしまいます😥💦
いずれ教会を移籍してからも、数十年後におばあちゃんになっても常に受洗した時のことを忘れないようにこれからも自分のペースで信仰生活を送りたいものです。そしていつか洗礼志願者に出会ったら自分が兄弟姉妹の皆さんに助けられたように、その人の背中を支える立場になれたらな、と密かに思っています☺️
客員の立場ではありますが、教会員の皆さんのことを可能な限りサポートしていくところから始めようと思います!
本日はここまでです!それでは!👋