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【音楽連載】ピタンガの木|本日もくらげ日和!vol.1|音楽と文:RaGmy -具志堅舞-@石垣島




石垣島に生まれて


石垣島に生まれて育ち、
高校卒業後そのまま地元で就職。
就職先では秋まで仕事がないとのことで、
その間はフラッと旅行をすることに。
東京にいる兄のもとへ。

そんな感じで
カバン一つで旅行へ行ったはずの東京に
数年も住むなんて

あの時の私は考えもしなかったさー。

末っ子の娘が
急に都会に移り住んだのは
お父さん寂しかっただろうなぁ。

と、今になって考えると
胸がギューっとなる。

16歳年上の兄
10歳年上の兄
そして私。

歳の離れた
3人兄弟の末っ子で
女の子の私は
生まれた時から
それはもうたくさん可愛がってもらった。

特にお父さんは
どこに行くにも
毎日毎日朝から晩まで
私のことを連れていた。


幼少期の頃の私と父のこと

朝起きて私の長い髪を
綺麗にポニーテールに縛るのも父。
仕事であろうが
プライベートであろうが
人と会う約束の場所へも
私を連れていき、
お酒が好きでほぼ毎日美崎町へ。
そこへまでも娘を連れて行く父。

おかげで私は
スナックでカラオケを歌い、
知らないおじさん達から
チップをもらうという技を
身につけていた。

4才の頃の私の十八番は
小柳ルミ子「お久しぶりね」

こういう生活をしていたので
保育園も幼稚園もほとんど休みがちで
園での思い出がほとんどない。
1年のうち半分も行ってないのではないろうか・・・

でも
園や学校の行事には
積極的に参加してくれた父。
幼稚園のうさぎ小屋を作ってくれて
子ども達が書いた感謝状を
渡されていた時は
私もとても誇らしかった。

小学校の授業参観。
周りの友達はみんなほとんど
お母さんが来ているのに、
私は毎回父が来た。
父の姿が見えると
「え?誰のお父さん?
 あれ?おじいちゃん?」
教室は毎回ざわつく。

そう。
私は歳いってからできた子なので、
よくおじいちゃんと
間違われていた父。
ちょっとそれを気にしていたようだが、
私はそれも誇らしかった。
父が寝坊して授業参観に来れなかった時は
「なんで来なかったのおぉ!!」
と、心の底からスネたものだ。


東京にて石垣島を思う

さて幼少期の頃の私と父のことを書き綴りましたが、卒業後東京に住み着いた私は憧れの都会に心弾ませつつも、なかなかのホームシックに陥ってました。

「海が青くない」

「寒すぎる」

などなど、
石垣島での生活の違いに
戸惑いを感じながらも
何よりも気にかけていたのは
やはり両親のこと。

当時の私は
「沖縄というブランドを売らずに
 実力で売れなければ!」
というよくわからないポリシーを
持っていて、
作る曲はどれもポップな曲だった。
となるともちろん
三線を弾くこともない。
喋り方も沖縄訛りを出さないよう
必死だった。
(だいたい顔でバレるけど)

そんな私が上京して
ホームシックになって
両親と島を思って書き始めた曲は
自然と沖縄調のメロディーを
奏でていた。

身近に青い海があるということ

近所を歩いてると
どこからともなく聞こえてくる
三線の音色

照りつける日差し

潮の香り

生まれてからずっと
当たり前だった石垣島での生活。

上京してやっと
「私が生まれ育ったところは
 とても素敵な場所。
 私にとっての誇り。」
と気づくことができた。

その時書いた曲がこれ、


ピタンガの木


タイトルになったのは
5歳の頃に出場した
ちびっこのど自慢大会の景品で
獲得した苗木。

白保のおばあちゃんの家の庭に
父と植え、
あっという間に私より大きくなった。

でも父からしたらきっと
私もピタンガの木と同じで
あっという間に
大きくなってたんだろう。

父が使う方言は
石垣島の方言ではなく
沖縄本島の方言だったので
歌の中にはできるだけ
沖縄方言を入れたいと思ったが

恥ずかしいことに
方言を全くというほど
私は知らない。
もっとちゃんと父から
学んでおけばよかったなぁ。

図書館へ行って本を開いたり
インターネットで検索して
曲の中に点々と方言を添えた。

曲の完成を直前にして
入院していた父の容態が急変した。
私の成人式を終えての
初夏のことだった。

飛行機に乗って
すぐに父のもとへ。
私にできるのは
ただ手を握ることだけだった。

「耳は最後まで聞こえるそうですよ」
という看護師さんの言葉を聞いて、
父の耳にイヤホンを。
携帯電話に録音してある
未完成のピタンガの木を
聞いてもらった。

あの時
ピタンガの木を父に聞いてもらえて
本当によかったと

今でも歌うたびに思い出す。

曲の最後に
「かなよ かなよ 愛しい人よ」
「命ぬ重さ 肝に染みてぃ」
という歌詞をつけて
この曲は完成となった。

ピタンガの木は
赤い実をつけるが

甘い
酸っぱい
苦い

そんな味である。

お父さん
私の声は届いてますか


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この記事を書いた人

Ragmy -具志堅舞-
石垣島出身。くらげを愛する唄うたい。幼少期よりのど自慢大会や芸能スクールオーディションなどに積極的に参加し、歌やダンス、ギター、楽曲制作を始める。高校卒業後、東京にて音楽活動を行い、その後沖縄本島へ。2020年に石垣島へ帰郷。キッズダンススクール「cafumusica entertainment 」インストラクター。
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