【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第13話 最後の聖戦編(4)
【我執】
非情に徹し、全人生を掛け奪い取る。
対戦相手のその後の人生を思いやる余地はそこにはない。
それが真剣勝負の世界だ。
もちろん、相手とて同じである。
そういう覚悟を持った者同士の神聖な場に、覚悟のない者や勇気のない者は上がってはいけない。
そういう気持ちでフリムンは自らを追い込み、試合場に立ち続けてきた。
勝利への渇望は元より、認められたい、尊敬されたい、崇められたい、感謝されたい、威厳を保ちたい等、自らの内側に向けられた感情。
それ即ち…全て「我執」である。
そんな瑣末(さまつ)な不純物を一切排除し、本能のみに頼る。
戦いに必要なのは、勇気と覚悟と非情に徹することのみ。
長い年月を掛け手に入れた技を、最短最速で相手にぶち込む。
ただそれだけに集中する。
それが勝利への近道だ。
しかし、それは試合という“特殊な空間”でのみ許される事。
仲間同士で互いを高め合う場(道場)では、また違った意味合いを持つ。
尊い時間と対価を払い、教えを請いに来ている道場生を、自らの技の実験台にはできない。
そういう思いで、常に生徒には怪我をさせないよう配慮してきた。
お陰で自らが怪我をする事も多々あったが、それがフリムンの美学でもあった。
あのヤンチャな学生時代(※記事「実験室」参照)の姿はもうそこには無かった。
人を傷付け、自らを誇示するあの暴君はもう居ない。
極真を始めてから、路上でのトラブルは勿論、空手関係者や格闘技関係者との争いやトラブルは一切起こらなかった。
争う必要が特に無かったからである。
(何なら手を取り合ってきたくらいだ)
よって道場のスパーリングでも、終(つい)ぞ本気を出すことはなかった。
もちろん、道場生にもそれは徹底させた。
ただ、それでも感情を抑制できず、カッとなり仲間に襲い掛かる者は一定数存在した。
それは、まだ心の在り方が未完成な証拠。
自分の事しか考えられない“我執”に憑りつかれている証拠である。
自らの意思でそれをコントロール出来るようになり、相手を思いやる心が芽生えて初めて、武は完成を見るのではないだろうか。
そうフリムンは解釈していた。
よって道場で本気を出していいのはガンダムの時のみ。
もしくは試合形式のワンマッチの時のみ。
フリムン道場では、そういう教えを徹底している。
※注:ガンダムとは、安全を期すため防具に身をまとい、相手のガチ攻撃を浴びながら、相手に怪我をさせないよう打ち合う稽古法である。
それにしても、あの泣き虫フリムンがここまで辿り着けようとは、一体どれほどの人間が想像できただろうか?
答えは…限りなくゼロである。
当の本人でさえ、世界の舞台に立つなど想像すらしていなかった。
どんなに「努力は報われる」と吠えたとて、心の奥底では「どうせ無理だよ」という思いが常に付きまとう。
それは、敗北や挫折を知っている者、挑戦し続ける者にこそ粘っこく付き纏う“雑念”である。
長い年月を掛け、漸くその“雑念”を払拭することに成功したフリムン。
やるだけの事をやり切って、後はこの螺旋から静かに降りるだけだ。
そんな心境に辿り着けただけでも、長く現役を続けた甲斐は十分にあった。
さぁ準備は整った。
後は本番を…待つだけである♡
【愛燦燦と】
全ての準備を終え、後は本番を待つだけとなったフリムン。
その心は晴々とし、雲一つない晴天の如く澄み切っていた。
石垣島を飛び立つ直前、自宅の仏壇と道場の神前に手を合わせ、ここまで無事に辿り着けた事への感謝を伝えた。
そしてこれが、世界大会へ向けた最後の仕事となった。
それにしても、他の追随を許さないほど失敗や挫折の多い人生であった。
それでも、それと同じ数だけ這い上がり続けてきた。
しかし、決して自分の力だけで成し得た訳ではない。
多くの方々の支えは勿論だが、そこに「運」が伴わなければ決して辿り着けない境地である。
そして、その「運」を引き寄せるのが「感謝」の気持ちだ。
ここに来て、改めて感謝の気持ちがどれほど大切かをフリムンは実感していた。
そんな事を考えながら空港に到着したフリムン。
手荷物を預け、意気揚々と2Fに降り立った次の瞬間、背後から聞き覚えのある声がした。
それもかなりの人数だ。
振り向くと、そこには道場の子どもたちや保護者の姿があった。
「押忍っ!フリムン先生頑張ってきてください♡」
その瞬間、今まで空手の道に固執してきた真の理由が分かったような気がした。
人生とは“他者への貢献のためにある”とフリムンは常々考えている。
与え、与えられ、共に幸せを共有する。
決して一人では幸せにはなれないのが人生の妙だ。
他者を幸せにしたいと願うその行動により、達成感や幸福感が生まれる。
幸せとは、与え続けてこそ手に入れることが出来る魔法のようなものである。
フリムンが必死に追い求めてきた空手道という旅の目的は、この目の前の光景に全て詰まっていた。
そう、これこそが彼の求めていた“答え”だったのだ。
これまで、数えきれないほど多くの子どもたちと多くの時間を共有し、全力で愛を与え続けてきた。
これがフリムン流の道場の在り方でもあった。
お陰で彼の周りは常に笑い声や笑顔で溢れ、武道や格闘技に在りがちな殺伐とした空気は微塵も感じられなかった。
共に強さを追い求めながら得た大切な宝物。
そして彼にしか手に入れることのできない唯一無二の財産。
それは、フリムンの元に集まってきた極真石垣道場の至宝たちだったのだ。
そう、既にフリムンは、早い段階で夢を手に入れていたのである。
全日本や世界という高い壁にばかり目が向き、自らの足元に溢れている幸せを見落としていたフリムン。
彼が心から欲しかったのは、選手としてのビッグタイトル等ではなく、空手を通して結ばれた、
極真という名の“家族”であったのだ。
ギリギリ、本当にギリギリのところで子どもたちにそれを気付かせて貰ったフリムン。
多くのスポーツの中から格闘技を選び
多くの格闘技の中から空手を選び
多くの流派の中から極真を選んでくれた子どもたち
そんな子どもたちと、実に30年間も大好きな空手を続けて来れたのだ。
これ以上の幸せが他にあろうか。
待合室で皆に別れを告げ、機上の人となったフリムン。その瞳は、汚れなき涙と希望で溢れていた。
「もう、何も怖いものはない」
「俺には皆んなが付いている」
羽田空港への直行便は、いつもより静かなフライトでフリムンの心を癒し、これまでの数奇な人生を思い出させてくれた。
生まれてから56年と9ヵ月を迎える、三日前の事である。
横断幕や応援旗のメッセージを見ながら、応援くださる方々がこんなにも居るのかと驚きを隠せずにいたフリムン。
この最後の聖戦は、実はそんな方々のためにお膳立てされたものなのかも知れない。
そう思えてならなかった
そして唇を噛みしめながら、例え肉が裂けようが骨が折れようが、絶対に最後まで諦めないと心に誓ったのはいうまでもない。
【決戦前夜】
大会前日、試合会場の「横浜武道館」に降り立ったフリムンは、その建物の外観や内装に驚愕。
東京オリンピックに向け建てられただけあって、その設備は最新式。
デザインもオシャレそのものであった。
このような場所で現役最後を迎えられる喜びを噛みしめながら、同好会を立ち上げたあの頃を思い出し、感慨深い気持ちに浸っていた。
ちなみにS間選手も日本代表として一般男子に出場。
超イケメンな沖縄のエースに、多くの期待が寄せられていた。
そう言えばS間選手とフリムンには、二人だけの秘密のルーティンがある。
大会などで久々に会った際、最初にフリムンが切り出してからそれは始まる。
「おっ、相変わらず今日もイケメンだな(笑)」
「押忍( ̄― ̄)ニヤリ」
「いや訂正せんのかい(笑)」
「今日もいつもと変わらずイケメンだな(笑)」
「押忍、今日も朝からイケメンでした( ̄― ̄)ニヤリ」
「いや自分で言うな(笑)」
「おーー今日はいつもよりイケメンじゃないか(笑)」
「押忍、自分も鏡見てそう思いました( ̄― ̄)ニヤリ」
「いや更に被せてくんな(笑)」
未だかつて、イケメンと言われた彼から謙遜の言葉を一言も聞いたことがなかったフリムン。
「机の角に足の指をぶつけて折れたらいいのに」
と、心の中で密かに思っていたのは言うまでもない♡
その後、沖縄選手団も続々と会場入り。
もちろん計量もドンピシャでパスし、翌日の初日を迎えるだけとなった。
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この記事を書いた人
田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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