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【エッセイ連載】柔術家/歌手/海人の独り言 vol.1 (後編)|2023年4月号|人生のハンドル|文:渡辺直由


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この記事は前半と後半に分かれています。
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人生のハンドル(後半)

最初にボクシングを始める時、覚醒剤中毒のヤバい先輩や同級生に「ボクシングなんかやっても無駄だよ、お前より強い奴は沢山いるし、薬を売った方が金になるし女にもモテる」と言われました。

ボクシングより音楽の道を選ぼうとした時にはある人に、「お前には根性がない!ボクシングも続けられないのか!そんな事じゃ何をやっても成功しないぞ」と言われ、他の人にも「音楽なんかやって食えるか!遊んでんじゃねえ」と怒られ、

歌手から格闘技の道を選んだ時は、当時の同業の彼女や事務所のスタッフさんや親戚からも「な〜に格闘技なんかチャラチャラやってんだ!ちゃんと音楽やれ!」

格闘技をやめて石垣に居住する前後は当時の嫁や家族に、「石垣になんか行かないでちゃんと都会で格闘技をやるべきなんじゃないか」と言われました…。

そんな人生を歩んで、人生の節目や転機で繰り返し同じ事を言われていると《ちゃんと真面目にやる》って。一体何なんだろう?と思えて、失礼ながら、なんか笑えて来ましてね(苦笑)

新しい世界に飛び込んだ瞬間は勿論その分野においては未熟なわけで。ただ、始めたばかりの未熟な時も、成熟して仕事になる時も、私の情熱や気持ちは変わっていないんです。それを周りが勝手な判断基準で、《チャラチャラした遊び》か《真面目な仕事》か判断している

で、冒頭の【人生のハンドル】(本編前半をご参照ください)の話に繋がるのですが、この私の人生の物語を著名な友人の須藤元気さんに話したんですね。※著名人で元世界的な格闘家→人気ミュージシャン(パフォーマー)→現政治家

その時に須藤元気さんから言われた言葉が『ナオさんは【人生のハンドル】を思い切り切れるのが凄い、だけど普通の人から見たらは理解されにくいし「何がしたいのかわからない」と言われたり、時には責められる』と。

そして彼はこう続けました。『自分も格闘家→ミュージシャン→政治家とやってきてナオさんと同じ事を千倍くらい言われてますよw』と(笑)。そんな人生のハンドル切りまくりの私たちはお互い変人同士なので、数少ない理解者であり、今もずっと交流が続いております。

そんな私は元気さんのように上手くハンドルが切れず横転ばかりして事故っているような、他人から見たら失敗ばかりの人生ですが。自分の判断の結果の集大成なので、ふり返れば美しく誇らしいです。いや、誇らしく、まではいかないかな(笑)。でも微笑ましくはあります。

自分らしく生きてきた←と言うか、自分らしく以外には生きられない←と言う方がしっくり来る。私と言う視点から見た《人と言葉》の物語と、ナイチャーの私にしかない視点で見た八重山など、これから書いて行きたいと思いますので、よろしければお付き合い下さい。

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渡辺直由さんの有名選手との対戦プロモーション写真が見れます。

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この記事を書いた人

渡辺直由(柔術家/歌手/海人)
1975年8月4日生まれ。東京都出身。19歳でメジャーレーベルから歌手デビュー。2004年に盟友早川光由と共にトライフォース柔術を創設。柔術世界選手権や欧州選手権、プロの舞台でも活躍。2011年に現役を退き憧れの八重山に移住。電灯潜り漁師(現在休業中)を経て2022年6月に美崎町にカラオケ&弾き語りバー《アームバー》をOPEN。現在も代表としてトライフォース石垣島支部で柔術クラスを持ち、後進の育成に努めている。
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