情熱はギラギラじゃなくてもいい
「情熱」と聞くと、どんな印象を受けますか?またまた突拍子もない質問からスタートですね(笑)わたしはタイトルのとおり、「ギラギラ!」でした。今までは。
情熱、熱血、熱意、、、とにかく熱くてギラギラに燃えているもの、人。
情熱を持って、何かに取り組んでいる人、成し遂げている人、心から尊敬しますし、凄いなあ!と思います。ただ、イメージが先行しすぎて、そのギラギラ!が全面に出ている人がすごく苦手でした(ごめんなさい 笑)
なんとなくその圧に負けてしまうというか、、、
自分には縁のないものなんだろうなと。
そんな時にコーチングの中で、自分がその「ニガテ」になってみるというワークがありました。そんなの無理ーーー!!!!!と思いましたがコーチ曰く、そのニガテの中に気づきがあるかもよと。そして必ずしも情熱はギラギラじゃないといけない決まりはないよと。目からウロコ(笑)本当そうですよね。自分で勝手につくったイメージ、思い込みの枠の中で苦しんでいただけだったんです。
ある人にとってはふつふつと胸の奥に静かにあるもの。さらさらと自分の中に自然に流れているもの。なにも堂々と表に出さなくてもいい。自分が心地よく感じるところにすとん。と置いておけばいい。自分にしっくりくる雰囲気の情熱をまとえばいいんだ。そんなふうに思えました。
なんでわたし、ギラギラだと決めつけてギラギラに囚われていたんだろうか(笑)
それからインスタやこのブログを通して、表現することを実践してみました。ニガテに感じていた主張的なものをやってみる。そして気づきました。
何かを熱く語る人、堂々と主張する人、わたしがニガテに感じていたそういうものにちょっと憧れている部分があったのかもしれない。
「ギラギラが全面に出ている。」
よく言えば、周りを気にせず自分を表現できる。
「堂々と主張する。」
よく言えば、自分の意見をしっかり持っている。
「何かを熱く語る。」
よく言えば、思いが強い。
そういう、自分には無くて、ちょっと勇気がいるなと思うことをいとも簡単に自然にやっている人を見ると、心が反応するんですね。ニガテと感じていたものに、自分の心の奥にある願望が映し出されていたりする。
なんか苦手だな〜と感じているあの人は、わたしの奥の奥の奥にある、本当はこうしたい!という願いや欲求を表しているかもしれない。。。
そんな実験心で観察、ジャーナリングしてみるのも面白いですよ^^
もちろん、自分にできそうな心地よい範囲で◎
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