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「アンモナイトの目覚め」感想

終始息苦しい映画だった。感情移入しすぎたのだと思う。ふだん登場人物に感情移入することはないのだけれど。

※私が過去一で感情移入したキャラクターは「勝手にふるえてろ」(大九明子監督)の主人公ヨシカです。そういえばヨシカは絶滅生物が大好きで巨大アンモナイトを通販で買い撫でていた

この映画を知ったきっかけは作家の万城目学さんのツイートです↓


最近また心が閉じていてずっと引きこもってたけどたまたま先週ふらっと都会を訪れ「あのミニシアター開いてるかな~」と検索したら時間がちょうど良かったので観ました


以下、ネタバレを含みます。

わたしはシャーロットとメアリーのどちらの要素も持っているので、二人が交わっていくのを見ていて苦しかった。だってうまくいくはずがない。

メランコリー気質で、体調に波があり、幼く世間知らずで好奇心旺盛、自立できておらず、知的な人に惹かれやすいところはシャーロット。

裕福でなく、好きな作業に熱中したら寝食も忘れ、日記をつけ、自分の領域を侵されたくなくて(他人を頼るのが苦手)、環境の変化に敏感、華やかな場所が苦手で、親と同居しているところはメアリー。

わたしはそんなふうな人間なので、二人ともの気持ちが手に取るようにわかって、繰り返すが本当に終始息が苦しかった。

だってロンドン訪れたら絶対その結末迎えるじゃん……

メアリーにとってシャーロットは社交会が似合うお嬢様、花のようで時に少し眩しい、でも本能的に惹かれる、庇護欲をかきたてる幼子で、自分の世界を広げてくれる。

シャーロットにとってメアリーは知的で男社会に媚びず自立した憧れの存在、もちろん本能的に惹かれる、なにより今の自分を外に連れ出してくれるのはこの人しかいない!!


シャーロットもメアリーもお互いを「自分の知らない世界を見せてくれる人」として精神的に共依存状態ではあったけど、
"相手に求めるもの"に確実にズレがあり(このへん感覚的なものなのでうまく言い表せないけど……)

お互いの穴を埋め合う、凸凹のパズルがぴったりとはまる関係だったらよかったものを、
どこかざらざらした、擦りつけ慰め合うような、それだけだったんですよね

女性同士のセックスは物理的に凹凹で、肉体的にお互いの穴を埋めきれない。

精神面で相手に求めるものがズレていてぴったりハマらない様子が、セックスでも表現されていて……
というとレズビアンの方々に大変失礼な言い回しになってしまいますが、私はそのつもりはありません。

※メアリーとシャーロットは実在の人物ですが、二人が同性愛関係であったという記録はありません(また現実ではシャーロットが年上)。
この映画は、後年「科学の歴史に最も影響を与えた英国女性10人」に選ばれたメアリーの半生のドキュメンタリーではなく、
アンモナイトをまんなかにメアリーとシャーロットが出会い、そして別れる様子を描いた創作です。

だから同性愛表現がそういう"演出の一部"であることは確かですね。この点は賛否両論分かれると思います。

万城目先生も言及しておられますね↓


以下映画公式サイトより、フランシス・リー脚本監督とプロデューサーの言葉を引用します。

当時、女性は男性の従属的な立場にあったため、メアリーは社会的地位と性別のせいで歴史からかき消されてしまった。リーは言う。
「だからこそ男性との関係を描く気になれなかった。彼女に相応しい、敬意のある、平等な関係を与えたかった。メアリーが同性と恋愛関係を持っていたかもしれないと示唆するのは、自然な流れのように感じられたんだ。」
本作プロデューサーのイアン・カニングはリーの決断に対してこう語る。「メアリーの人生に、異性との恋愛関係があっただろうと考えるのと同じく、同性との恋愛関係があったかもしれないというアイディアに対し、自由でオープンであることが、私たちの時代の特徴だと思う。」


うーん、日本語訳でニュアンスが変わってるのかもしれないけど、監督脚本⇔プロデューサーで職業の違いがわかりやすく出てるな~と思いました。物語書く人と、それを売り出す人。


物語の感想に戻ります。

メアリーの母は8人の子供を亡くし心を閉ざした、とメアリーの台詞にあり、娘と同居すれどもある程度放任……というか自らのスペースに閉じ込もってるふしがあります(8人の子供に見立てた陶製小物を磨くのが日課で、それらをシャーロットに触れられた際は珍しく感情をあらわにした)。

まあメアリーの年齢と最低限生活できるだけの仕事(収入の見込み)があることを考えれば放任は当然ですが……

しかしメアリーとシャーロットが静かにしかし激しく交わるシーンは、母が部屋に入ってくるんじゃないかと気が気でなかった……(これは私が実家暮らしで母が過保護すぎるせいです、やはり感情移入しすぎてますね)

でも母は二人の関係になんとなく気付いてはいたと思います。


そしてもう一人、エリザベスも。
終盤母を亡くしたメアリーがエリザベスのもとを訪ねるシーン。
メアリー「(シャーロットを)愛したかった」
エリザベス「違うわ、あなたは心を閉ざしたの」
エリザベスは、メアリーを外に連れ出してくれたのはシャーロット、だから自分は距離を置いた……と言葉を続けます。

序盤メアリーが軟膏を求めてエリザベスを訪れる場面で、エリザベスがかなりの年月メアリー母娘の世話をしてきた様子が伝わります。薬を処方するだけでなく、カウンセリングに近いことも行ってきたはず。

距離を置いた……というのは新しい外国人医師がメアリーの心の領域に踏み込もうとした(自宅の音楽会に誘った)のも関係あるのかな……?

というか音楽会でシャーロットとお喋りしてた女性がエリザベス(とその姉妹)なの気付かなかった。かなり重要なシーン見落としてるじゃん……。
(ここはメアリーに感情移入して「うわ……パーティー苦手、そりゃ帰りてえよな」ってずっと思ってた)

シャーロットはエリザベスに「メアリーがわたしと一緒なら行こうって言ってくれたの♪嬉しかった♪」って無邪気に話してたんだろうな~

シャーロットは本当にいじらしくてかわいい。3歩後ろを歩く控えめさをもちながら(これは当時の女性の常識・マナーですね)、黒白緑赤どのドレスの色にも負けない上流階級の風格がある。
メアリーに合わせて夜更かししてみるとか、ハンカチに繊細な刺繍を施してメアリーにプレゼントしたのなんて、いかにも貴族のお嬢さん、じゃないですか……そんなことされたら抱きしめたくなっちゃうよね


二人の階級の違いは風景にもあらわれてる。

メアリーの住む田舎町ライムは常に曇り空で暗く荒い海から風が吹きすさび、たてつけの悪い扉は常にガタガタ音を立て、窓枠には羽虫が死んでるけど
シャーロットは大都会ロンドンの豪邸で暮らしてて、劇場も博物館もなんでもあるし、出かけなくともあの天井の高く広い部屋にはコレクションが揃ってる。

大英博物館でガラスケース越しに見つめ合う印象的なラストシーン。
シャーロットは(わたしも大人なの、ひとりでここまで来たの、科学の前では皆平等なのよ)と訴えているように感じた。
対してメアリーは明確に拒む表情ではなかった……と思う。

-でもメアリーは大英博物館に船と徒歩で来てるのに対してシャーロットは絶対に馬車で来てるんだよなあ……!



メアリー役のケイト・ウィンスレットはとても好きなacterです。「とらわれて夏」のけだるい演技が特に印象的だった記憶(これは私が初めて学校サボって遠くの映画館行って観た映画、という思い出補正もありますが……)。
愛や時代に流される女性の役柄が多いイメージでしたが本作では年下のシャーロットを(どちらかというと)導く側、貫禄を感じました。

シャーロット役のシアーシャ・ローナンの演技は初めて観ましたが、目や口元の細かな表情がとても良かった。彼女の主演作「ストーリー・オブ・マイライフ/私の若草物語」(原題:Little Women)は気になってた作品なのでこれを機に観ようと思います。


(余談)

原題はAmmoniteなんですよね
いや邦題の「目覚め」って何???
二人の関係性の変化をさすのか、夜明けdawnに近い意で用いられてるのか……でも夜明け要素は無いような……どちらかというと二人は眠っていたと思う(そしてずっと溺れていた)。

邦題って大抵クソだよなwwって話をしたいんではなくて、でもまあ、ニュアンス大事だよね

万が一、(同性愛に)「目覚めそうになったわw」の意味で使ったならば私は邦題つけた人を本気で軽蔑する。

最近こういうちょっとした言い回しにも敏感になってしまったので、
以前とは違った意味で、生きててしんどいですね……。


ではでは
また素敵な映画に出会えますように。

いま気になってるのは「あのこは貴族」です。階級の異なる二人の女性が交錯する、というところは本作と共通かもしれません。
ほぼ上映終了してるけど、機会があれば。



タイトル画像はCanbaのテンプレをお借りして作りました。テーマは「身近な地層っぽいモチーフ」

(左上)この前行ったドトールの階段

(左下)目の前の本と雑誌とパンフレットとフライヤー

(右上)メモアプリに眠る下書きたち

(右下)この映画のフライヤー  です!!


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