個性
noteは最初は読む専門だった
このnoteの中には私と同じ辛い思いをした人や、
それ以上の思いをしている人もいて、
周りの人だけ見ると少なく感じる拒食症だったけど、沢山の人がいることを知った。
私が拒食症のことを恥ずかしく思っていたけど、
恥ずかしいことではないのかもしれない。
そして、拒食症になりかけている人や、その知識をあまりない人に
知らせなければならない。
医者から、
「BMI一桁は日本で数人しかいない学会レベルの重症者。研究に使いたい。」
と言われたほどの経験をかけるのは私しかいないかもしれない。
だったらnoteを書こうと今日も書いている
でも、私の拒食脳は消えたわけではなく、今もずっと脅かされている
沢山の決まりを作ってしまう私は、
それが守れないと、自分で自分を傷つけ、罰を与えてしまう。
自分で作った決まりなのに、その決まりに縛られている。
それは拒食脳からきた強迫性障害だ
もともと頑固だった私は、その考えを変えることもできずにいて、
死にかけていたのに、拒食症を治したいとも思わない。
2度、危険ゾーンのところまで体重を落としている私は
臓器に負担はかけたままで、腎臓、肝臓が正常に戻ることはなく、血液検査のエラーが必ずと言っていいほど出る。
でもそれが嬉しかった。
陸上をやめてしまったこと、学校を中退させられたこと、仕事も働いたら痩せてしまってやめなければならないこと、沢山の口実をつくりっておきたかった
太ったら、体が元気になってしまう。
そうすると、社会に出なければならない。
でも、人と会うことはどうみられてるかが気になって怖くて、
食事のことが気になって、
ルールが守れなかったら、と心配になって不安が襲う。
だから、太ることができずにいる。
そして、大人の女性の体になることも嫌で、
大人の女性としてみられることも、そう生きていくことも、怖くて考えられない私がいる。
でも最近、拒食も過食も2度目を繰り返しているおかげで
私が私のことを大体は理解できるようになってきて、
働きに行くとしんどくなるのは、
自分のルールが多すぎて、社会に出るとそれ以上にルールが増えて耐えられなくなるからだ
こどものままでいたいのは、
自分から助けてと言えないから、だからこどもだったら誰かしらが声をかけてくれそうな気がするからだ
毎日のルールが多いのも、
私は何かをしないと生きていることが許せない。だから、せめてもの自分へのノルマをつくっているんだ。
そう理解するようになった。
そしてうちにいるお母さんと弟というポジティブ人間のおかげで
摂食障害を持っている私を『個性』と捉えるようにした。
今日も決まりは多く、
朝は起きてから分単位で決まっているルーティーンをこなし、朝ごはんまでたどり着く。
そして、夜ご飯までに、トイレ掃除や、床の拭き掃除などを行う。
夜ご飯は決まった時間ぴったりに食べる。
でも、昔はもっと厳しかった
夜ご飯までに!なんかじゃなく、○時までにと1つ1つに時間制限もあって、ご飯の時間も1分狂うと食べなかったりもした
時が“柔軟な考え“という言葉を届けてくれたおかげで、
当たり前の考えを少しづつ取り戻している
それと同時に、新しい決まりができることもあったり、決まりがフラッシュバックしてくることもある。
だから私は摂食障害は治すのではなくて、1つの個性として捉えることにした。
そして、辛くなく毎日が送れる決まりを完成させるまで
許せる範囲で増やしたり、減らしたりしながら
生きる
冒険も、リュックが重たければ進まないし、
リュックが軽すぎては楽すぎてストイックな私には向いてない
だから、自分の冒険に本当に必要なものを探して今日もアイテムを探しに冒険は進む。
(冒険の意味→https://note.com/maru427/n/n633d31aeb97a?sub_rt=share_pw)
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