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私の好きな本⑤

 今回の本は先ほど読み終わり、新鮮なうちに感想を残しておきたいと強く感じ、記事を書くことにしました。読み始めてすぐに「好きな本」であり、「読むべきだった本」になりました。

 色々感想を書きたいのですが、この本を読んだ後だとジェンダーに関わる語句を使用するのがすごく躊躇われてしまいます。要領を得ない文になってしまいますが、ご容赦ください。

三橋順子
『歴史の中の多様な「性」日本とアジア変幻するセクシュアリティ』

 近年、「性」についての議論は学問としてだけでなく社会問題として広く行われるようになってきました。そのような議論を目にするたびに「難しい問題だ」と思うと同時に「それで終わらせてはならない」とも思うのです。考えるためには、材料が必要です。私自身は、生まれた性と性自認が一致しており、当事者的な意識や知識は持てません。しかし、この本は筆者ご自身がトランスジェンダーであることにより、筆者の経験や知識を通して当事者性を追体験しているように感じました。

 

 私がこの本で最も好きなところは、現代の概念を過去に遡及したり、現代の視点で過去を見たりすることを回避し、歴史は繋がっているが不変というのはあり得ない、ということを明確にしている点です。そもそもLGBTQという概念自体極めて新しいもので、それを前近代に適応する危うさを改めて認識しました。これはセクシュアリティに関わる論点だけでなく、歴史的な議論においては重要だと思います。

 この本では、性別越境について分類します。例えば男性同性愛について、女装のあるなしや年齢の上下のあるなしなどを踏まえて分類したり、異性装と犯罪の関係について異性装が恒常的なものかどうか異性装自体が犯罪になっているかどうかなどを基準に分類し、それぞれに当てはまる例を紹介しています。それまで漠然と「男性同性愛」として考えていたものが、実は全く異質のものであることを知りました。そもそも前近代における「男性」とは何なのかというところから考えることができます。
 また、レスビアンについて書いてあるのも衝撃でした。ジェンダーに関わる書籍でレズビアンを扱っているものは珍しいように思います。印象的だったのは、レズビアンと女性から男性へのトランスジェンダー(FtoM)の自認が混同してしまっているのではないかという指摘でした。筆者がメニュー論と名付けた、ジェンダーアイデンティティを獲得する時には自分の中にある選択肢の中から選択するというもので、「レズビアン」という選択肢のない人が、「女性に恋愛感情を抱く」という点から「男性である」という性自認にすり替わっているのではないかということです。これは重要な指摘だと思います。何かを選択するときに、知らない選択肢は選択できないはずです。
 さらに、重要だと感じたのは、トランスジェンダーの当事者として学術的な発言力を持つ人のほとんどがトランスウーマン(男性から女性になった人)ということです。国際的なシンポジウムでもトランスマン(女性から男性になった人)が発言することは稀だそうです。これは、幼少期の性別がジェンダー変更により逆転することで起きます。つまり、トランスマンは「女の子」として育てられているため、教育の機会が不十分だというのです。このような状況を知っておくこともとても重要だと感じました。

 重たい内容もあるのですが、全体としては歴史の中で性別越境がどのように行われ、どのような意味を有したかという内容で大変興味深くすらすら読めるものなので、ぜひ読んでほしいです。高校生はもちろん、中学生でも全く理解できない内容ではないと思います。

 私はこのタイミングでこの本に出会えて本当に良かったと思います。読書は自分を広げることのできる行為だと思っていますが、今回はまさに読了後自分がひと回り大きくなったように感じました。

 大学のレポートだけでなく、小論文や面接で話題になることもあると思います。SNSやニュースももちろん情報源にはなり得るでしょうが、この本のように「学術的に」どのように論じられているかを知っていることは自分の考えに深みを持たせると思います。
 

 最後までご覧いただきありがとうございます。

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