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ジョン・ケージ論(6)

ポストモダンの藝術論

(前)

 ケージと同時代を生き、ケージについてもたびたび言及している哲学者リオタールは、ここまで見てきたような作品概念の危機を、十九世紀的な藝術の特権的な機構からの逸脱として、すなわちポストモダンの現象として捉えている。理性と合理性によってさまざまな言説を選別し、藝術という言語ゲームにおける規則に合致するもののみを抽出し、そうでないものを排除する藝術の機構は、その根拠を失い、それまで抑圧され排除されてきた無機構的なもの、機構からの逸脱が注目されるようになった、とリオタールは主張する。

 ポストモダンとは、モダンの後に続くある時代の名称ではない。それは「メタ物語に対する不信感」*1であり、機構からの逸脱である。あるイデオロギーからの逸脱は、新たなイデオロギーになる。ポストモダンとは絶えざる変化である。

ポストモダンとは何なのだろう? イメージおよび物語の諸規則めがけて投げかけられた問いの、目がくらむような仕事のなかで、それはどんな位置をしめるのか、あるいは、しめないのか? それがモダンの一部であることは確実だ。たとえつい昨日のものであろうと、人々に受け入れられているすべてのものは [...] 疑われなくてはならないのだ。セザンヌはどのような空間を攻撃したか? 印象派のそれを。ピカソとブラックはどんな対象を攻撃したか? セザンヌを。デュシャンは一九一二年に、どのような前提と訣別したか? 立体派的絵画であろうと、とにかくタブローを描かなければならない、という考えと。そしてダニエル・ビュランはデュシャンの作品から無傷のまま出てきたと彼が見なしている、このもうひとつの前提を問いなおす。つまり、作品の提示の場所を。驚くべき加速ぶりだ、いろいろな〈世代〉が次々にやってくる。ひとつの作品は、それがまずポストモダン [...] でないかぎり、モダンになることができない。このように理解されたときのポストモダニズムは、終わりにゆきついたモダニズムなのではなく、出生状態にあるモダニズムなのであり、そしてこの状態は恒常的につづいている。

Lyotard, "Le postmoderne expliqué aux enfants," 1988, 菅啓次郎訳、『こどもたちに語るポストモダン』、ちくま学芸文庫、1998、p. 30.


 リオタールは機構と逸脱という図式に関して、フロイトの『夢判断』における「二次過程」と「一次過程」という概念に着目する。

 夢とは、フロイトによれば、広大な無意識を意識化することで、ふだんは抑圧されている願望を充足する働きを担ったものであり、また理性による抑圧(「警察的な機能」*2)から免れさせるために、意識化された無意識を変造する機能をもっているという。フロイトは、このような願望の意識化を「一次過程」と呼び、また理性による願望の抑圧を「二次過程」と呼ぶ。リオタールは自らの試みにおいて、フロイトにおける意識-無意識の対立を、機構-無機構の対立に読み替える。リオタールは、二十世紀の藝術を、無意識の意識化、あるいは抑圧された願望を解放する一次過程の作用と見做している。

 しかし意識化された無意識は、もはや無意識ではない。この矛盾を解決するためにフロイトは前意識という概念を導入する。

「意識されている」とは、まず第一に、純粋に記述的な用語であって、もっとも直接的かつ確実な知覚に裏付けられている場合に使用されるものである。つづいて、経験の教えてくれるところからすれば、たとえば表象などの心的要素は、通常、持続的に意識されているとはいえない。 […] 今意識されている表象は、次の瞬間にはもはや意識されなくなってしまう。とはいえそれは、ある一定の簡単な条件さえ整えば、再び意識されうるようになる。その間この表象がどのようなものだったかは、われわれには分からない。はっきりいえるのは、それは潜在的であったということ、つまり、いつでも意識されうるものだったということである。だから、それは無意識的であったという言い方をしても、記述の仕方としてはまちがいではなかったということになる。とすると、この無意識的という言い方は、潜在的でかつ意識されうる、ということと一致するわけである。 […] / […] とはいえ、われわれは、無意識的なものには二種類あると考えている。ひとつは、潜在的だが意識されうるもの、もうひとつは、抑圧されたもの、すなわちそれ自体としては容易に意識されえないものである。 […] たんに記述的に無意識的である潜在的なものを、(われわれは)前意識的と呼び、それに対して、無意識的という名称は、力動論的な意味で無意識的な抑圧されたものに限定して用いるということである。その結果、現在では、意識的、前意識的、無意識的という三つの用語、もはや純粋に記述的とはいえない用語が存在することになっている。

Sigmund Freud, "Das Ich und das Es," 1923, 道籏泰三訳、『自我とエス』(フロイト全集18)、岩波書店、2007、pp. 5-7.

 前意識とは、ふだんは二次過程によって抑圧されているため意識化されることはないが、夢の作用や自由連想法によって抑圧から解放されれば意識化することが可能であるような、記憶などが蓄えられている精神の領域のことである。前意識と対置された無意識は、意識によって捉えることができず、その存在はほのめかされるにとどまる。人間の精神には理性で捉えられないものがあるということを、リオタールは自身の議論の根底に据えていた。


 クローデルの「眼は聴く」*3という言葉は、可視的なものは解読可能、理解可能であることを意味している。「世界のもろもろの異なる部分には、相互の認識〔共同出生connaissance〕*4があり、義務があり、したがって、あたかも読みうる文を形成しうる言説〔discours〕のさまざまな部分のあいだと同様に、世界のさまざまな部分のあいだに絆が存在する」*5。

 リオタールは『言説、形象』においてこれに反対する。「所与はテクストではない。そこには厚みがある [...] 読むべきではなく見るべき構成的な差異が存在する」*6。世界のさまざまな部分のあいだに絆が存在するように見えるのは、「眼の関係づけ」*7によるものである。言語に与する人々は、「言語の自己充足性」や「体系、閉鎖系」のなかにすべての意味を閉じこめていると信じているが*8、「言語空間が意味作用として内在化することのできない外在性」*9、「言語的空間の動揺なしには組み込みえない空間的現出」*10、すなわち分節された言語に回収されないものが存在する。リオタールはそれを形象〔figure〕と呼んだ。

 形象の外在性を開くものとしてリオタールが挙げるのは視覚である。視覚的な認識において主体と対象の距離は可変的であり、その距離は主体の可動性によって構成される。一方で言語体系における諸項間の距離は不変である。しかし視覚的な距離を前提しなければ、言語の指示作用は成立しない。語るべき対象は意味作用の外部に存在するからである。

 また言説以前の沈黙から形象を示すことはできない。「パロール以前の沈黙、胸中の沈黙は不可能であり、言説の反対側に移行することは問題外である」。しかし「言説の内部から形象へ移行することはできる」*11。というのは、いかなる言説にもその対象が存在する、換言すれば、意味作用の対象はその体系の外部にあると見做されるからである。言語の体系に内在する能記-所記という意味作用の関係と、体系に外在する記号-対象という指示作用の関係をリオタールは区別し、「この指示作用を、言述における視覚空間の効果と見なそうとする」*12。そして「言語体系の不変の間隔と視覚作用の可動的な空間化とを、両者の還元不可能な差異性において分節する」*13ことが問題なのである。

 形象とは、「解体において存し、解体を透かし見せるもの」*14である。リオタールにおいてはこの解体、すなわち「二次過程における現実規則に支配された知覚や言語を解体すること」*15こそが藝術の機能である。「芸術は形象を求める」*16。夢と藝術の差異は、夢が二次過程を前に偽装することで欲望を満たすものであるのに対して、藝術は二次過程のエクリチュールを解体することで欲望の不充足の空間を開くことにある。「無意識をひとつの言説とすること、 […] それは、夢と同時に芸術を殺害する、西洋的ラチオ全体の共犯となることである」*17。


 例えば十五世紀イタリア絵画において確立された再現空間の幾何学的エクリチュールの規則、すなわち遠近法に対立することで初めて、セザンヌの空間はその批判的な機能を発揮しうる*18。「形象的なものの批判的機能、真実の働きが実現するのは、「エクリチュール」との関係においてであり、それは何よりこのエクリチュールの脱構築からなっている」*19。セザンヌによって齎された「危機」はまた、十五世紀イタリア絵画の遠近法を相対化する。「この危機は遡及的に、視覚の空間の文化的規模での自然な組織化は存在しないことを示唆している」*20。遠近法を解体したセザンヌを理解することで、十五世紀イタリア絵画における運動がつくりだした遠近法が理解されるようになる。十五世紀イタリア絵画とセザンヌの関係は、ここでは検閲と欲望の関係になっている。「ルネサンス的秩序は造形の戯れに諸々の制約を課すが、造形の戯れはこれに違反しようとする」*21。

 十五世紀イタリア絵画において支持体は隠蔽されていた。中世の写本挿絵にそのような隠蔽はない。挿絵は文字に囲まれ、それが写本に描かれていることをはっきりと示していたし、挿絵の役割はキリスト教の物語を記した写本の言語機能に奉仕するものでしかなかった*22。しかし遠近法によって、絵画が再現的な役割を帯びると、支持体はいわば透明な窓となって、自身がタブローであることを隠していた。ボエティウスにおいては、単に幾何学の下位科目とされているperspectiva*23の語義を、デューラーは「透かして視る〔Durchsehung〕」*24としている。つまり「画面の全体が[…]いわばそれを透かしてわれわれが空間をのぞきこんでいるように思いこむ『窓』と化しているようなばあいに、 […] したがって […] 物質としての画面や浮彫面がそれとしては否定され、それを透かして垣間見られる全体的空間、すべての個物を包みこむ全体的空間がそこに投影される単なるスクリーンとしてとらえなおされているようなばあいに――、そしてそうしたばあいにのみ、まったき意味での『遠近法的な』空間直観がおこなわれている」*25のである。

 ここで成立した絵画空間を、リオタールは劇場に見られる三つの境界を用いて説明する。境界(1)は建物の境界であり、ここで藝術が選別される。この外部のものは藝術と無関係なものとして排除される。境界(2)は舞台の境界であり、鑑賞者と作品がそこで区切られる。そして境界(3)は舞台と舞台裏の境界であり、自らは姿を見せずに舞台を組織する演出家が潜む場である。絵画の機構には、境界(1)として美術館などの展示の場が、境界(2)としてタブローの枠が、境界(3)として遠近法の操作者が潜む場が存在する。

シェーンベルクは新しい音楽のルターであり、そのセリー主義は改革された彼の『教会』であった。それはまさしく、ドゥルーズとガタリが言うように、フロイトが無意識のルターであり、またエンゲルスが言うように、アダム・スミスが近代経済学のルターであったのと同じである。様々な宗教という枠において宗教が、音楽という枠において音楽が、科学という枠において意識が、治療学という枠において精神医学が、そして私的所有という枠において経済学が批判される。これらの枠は、寺院の、また博物館(演奏会場)の、公証人の事務所の、あるいは診察室の限界でまずあるだろう。限界(1)、建物の限界である。宗教改革は、単に限界(2)、すなわち建物の内部で、いわゆる《イタリア式》の演劇的(宗教的-政治的-音楽的-絵画的)な機構において舞台と観客席とを分離しているような限界を破壊しただけである。この限界は、また例えば舞台の枠組み、首長の壇、司令官の演壇、タブロオの枠などの限界でもある。 [...] これらの限界(2)に隠されて、本当の限界(3)がある。それは、消去によって消し去られた操作者、演出の、ハーモニーと作曲の、レトリックと権力の、そしていわゆる正統的な画面構成法の操作者という限界である。

Lyotard, 小林訳, ibid., 1976, p. 46.

 セザンヌによって遠近法的空間が解体されたとき、タブローは透明な窓であることをやめた。それまで隠蔽されていた境界(3)は解体され、境界(2)の存在も露わになった。そしてデュシャンが便器を展覧会場に置こうとしたとき、タブローの枠、境界(2)が解体され、制度化された展示の場である境界(1)が露わになったのである。レディメイドは「手わざの芸術に対する批判」*26である。レディメイド作品は、作者による制作を経ておらず、それが選び取られるという行為のみが問題となりうる。「(デュシャンの)作品は事物ではなく行為である」*27。その人工品が元来置かれていたコンテクストから切り離されたときに、レディメイドはいかなる意味作用も失う。そうしてレディメイド作品は、藝術家による選択と名づけによって制度化された藝術の場に入り込み、そのような場の存在を、すなわち境界(1)を露わにするのである。

(続)

*1Jean-François Lyotard, "La condition postmoderne: rapport sur le savoir," 1979, 小林康夫訳、『ポストモダンの条件――知・社会・言語ゲーム』、水声社、1989、pp. 8-9.

*2 Lyotard, 'Plusieurs silences,' in "Musique en jeu" no 9, 1972, 小林康夫訳「幾つもの沈黙」、『エピステーメー』1976年8+9月号所収、朝日出版社、p. 34.

*3 Paul Claudel, "L'Œil écoute," 1946.

*4クローデルにおいて認識は、知覚された諸事物の諸関係を設定することである。人間は世界のさまざまな部分の諸関係を設定し、その内部での自身の位置を自ら決定することで、世界に共同出生〔connaissance〕する。

*5 Paul Claudel, "L'Art poétique," pp. 74-75. 斎藤磯雄訳、「詩法」、『筑摩世界文学大系』(56)所収、筑摩書房、1976、p. 207をLyotard, "Discours, Figure," 1971, 合田正人監修、三浦直希訳、『言説、形象』、法政大学出版局、2011, p. 1 に基づいて一部改訳。

*6 Lyotard, "Discours, Figure," 三浦訳、pp. 1-2.

*7 id., p. 2.

*8 id., p. 6.

*9 篠原資明、「解体からの戯れ リオタールと芸術」、『理想』1984年8月号、理想社、p. 237.

*10Lyotard, ibid., p. 8.

*11 id., p. 9.

*12 篠原, ibid.

*13 id., p. 238.

*14 id., p. 239.

*15 ibid.

*16 Lyotard, 三浦訳, id., p. 8.

*17 id., p. 11.

*18 篠原、ibid., p. 240およびLyotard, 三浦訳、ibid., p. 236.

*19 Lyotard, 三浦訳, ibid., p. 237.

*20 id.

*21 id., pp. 237-238.

*22 Lyotard, 三浦訳、ibid., p. 242.

*23 Boethius, 'Analyt. poster. Aristot. Interpretatio,' 1, 7; 1, 10. in: Boethius, "Opera," Sasel, 1570. アリストテレス分析後書注解。

*24 Konrad von Lange & Franz Louis Fuhse, "Dürers schriftlicher Nachlaß auf Grund der Originalhandschriften und theilweise neu entdeckter alter Abschriften," 1893, p. 319, 11.

*25 Erwin Panofsky, "Die Perspektive als “symbolische Form“," 1924, 木田元監訳、川戸れい子、上村清雄訳、『〈象徴形式〉としての遠近法』、哲学選書、哲学書房、2003, pp. 8-9.

*26 Octavio Paz, "Marcel Duchamp ou le Château de la pureté," 宮川淳、柳瀬尚紀訳、「純粋の城」、『マルセル・デュシャン論』、書肆風の薔薇、1991、p. 29.

*27 id.

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