映画「ロストケア」
ネクタリン。
ソルダム。
店頭で見かけると思わず手に取る。
特別好物というわけではない。
父が好きだったのだ。
映画「ロストケア」を観た。
ある事件をきっかけに、
好感度の高い介護士による殺人が発覚する。
その数は42名。
数字を見れば、
一見猟奇的殺人のようである。
まるで自分は神か天使であるような言い方だ。
犯人自身の過去、
対する検事の現在、
この事件の答えは明確なようで、
この問題の答えは不明瞭のよう。
殺人を肯定する道理はない。
だが、
「介護」が抱える問題は根が深いのだろう。
この映画内での言葉を借りるならば、
わたしは「安全な場所にいる」人間だ。
この問題について語ることはできない。
映し出される演技がどこまでリアリティがあるのか分からないけれど、
あの状況を好ましく見ていられるものではないことは確かで。
これが現実で、
だから苦しむ人がいて、
でも家族だからと頑張る人がいて。
外野はすごく冷えた空気で描かれる。
介護に多くの時間をとられ、
働くことができず、
やむを得ず生活保護の申請をするも、
要介護者はともかく、
介護者が働けない理由がないと却下される。
役人の判断が適当なのかどうかはわからないが、
事務的な対応がココロを抉る。
頑張って、
頑張って、
頑張って。
3食とれなくなって、
明日の生活の不安があって、
正常な判断ができなくなって。
疲れた。
休みたい。
ただ純粋に疲れた頭と身体を休ませたい。
でも、
まだやれるでしょ?って追い討ちをかけられる。
まだ足りないと言われる。
自分を見失う。
自分は救ったと言う。
家族が実は殺されたと知って、
それでも救われたという人がいる。
家族を返せと泣き叫ぶ人がいる。
殺人だが、
善とも悪とも言い切れないグレーな感情がある。
見習いの若い女性従業員が彼のことを、
勝手に良い人だと決めつけて、
それがその人の全てであるとでも言うように、
勝手に尊敬する。
その人が連続殺人犯と知るや、
ショックを受け、
尊敬から恨みへと感情を翻す。
辞職し、
風俗店で働く。
これだけはどうでもいいと思えた。
映画のシーンにいらないというわけではなく、
この女性の感情が勝手すぎて何の同情もない。
殺人犯役の松山ケンイチや、
検事役の長澤まさみの、
ゆっくり、
でもはっきりと言葉を発するのが印象に残っている。
連続殺人犯に感情移入するなんて、
なんて重たいテーマなんだ。
検事すら、
自分の中の感情に迷いを感じる。
観ている側も迷う。
だから考えることになるんだろう。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
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