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その「時間」で、何をする

6月14日より放映されている、
大泉洋主演・映画「ディア・ファミリー」を観てきた。

⚠ 映画の内容に触れています。  
  これから視聴される予定の方、  
  内容を知りたくない方は、  
  読まれないことをお勧めします。






原作「 アトムの心臓 / 著:清武英利 」の映画化である。
化学工場の社長、坪井さんとその家族の実話。
先天性の心臓疾患を抱えた次女は、
大事に生きて余命10年と告げられた。
なんとか娘の命が助かる方法はないものかと、
日本中の名医のもとに訪れたり、
国外へも足を伸ばしたけれど、
どの応えからも希望はなく。
もはや成す術無しに思っていたが、
次女の言葉から一念発起した坪井さん家族は、
自分で人工心臓を作ろうと動き出すーーー


まず一番に思ったことは、
人を想う気持ちが持つエネルギーは、
その想いがある限り耐えることはないのだと思わされた。
余命10年と告げられ、
その時間を何に費やすのか。
子どもと過ごす時間を多くとって、
たくさんの思い出を作る…
これも一つの選択だろうが、
坪井さんたちは自分たちで心臓を動かそうとする。
医学のいろはも知らないような素人が、
時代に任せるのではなくて、
自分が「その時代」を作ってみせると立ち上がる事ができた。
そのエネルギーは幾度も枯渇しそうになりつつも、
大切な人への想いがまたエネルギーを生む。

「さぁ、次はどうする?」


どれだけ立ち止まりそうになっても、
この言葉は坪井さんたちの思考を止めさせてくれない。
きっと苦しい。
自分たちを動かしていた想いの根源が目の前から失われようとしている時、
諦めるしかないと思われた時でも、
足が動かなくなっても、
自分が生きている限り「次」へ進めるのかもしれない。


主題歌「Dear」Mrs.GREEN APPLE

リリースされたのは1ヶ月前。
曲も歌詞も事前に知っていたが、
映画を観てからエンディングで流れる曲は、
更に芯に深く染み込んでくる。
わたしがミセスのファンだから…なのかもしれないが。


何度も足が止まりそうになっても、
それまでしてきた事が望む結果が得られなくても、

振り返ってみれば
足跡は続いているから

「Dear」Mrs.GREEN APPLE

立ち止まってみれば
風をまた感じられるから

「Dear」Mrs.GREEN APPLE

鳥が羽ばたくようには行かずとも
時代は変わっていく

「Dear」Mrs.GREEN APPLE

自分の本来の目的から反れようとも、
どれだけの努力を積んでも結果に繋がらずとも、
飛躍的な結果が得られずとも、
何一つとして無駄ではないのだと。



無くしたものを探す
道が廃れていようとも
誰かを失うのも人生の一部と
呼ばなきゃいけないなら
どうか

「Dear」Mrs.GREEN APPLE

大森元貴は、
タイアップで曲を作っていても、
決して偏ることなく言葉を選んでいると思う。
すべての曲を調べたわけではないけれど。
例え映画を観ていなくても、
内容を知らなくても、
聞けば誰かの側に寄り添えるような、
そんな言葉を選んでいると思っている。
ただ、
上の歌詞は、
きっと坪井さん家族を強く意識したのではないかとわたしは思う。


さて、
少しだけ話を逸らす。
観賞中の脳内に浮かんだのは、
Dearの歌詞ではなく、
まさかのコロンブスだった。

いつか君が乗り越える寂しさの様な
平等な朝日と夜空
胃が痛くなる日常が
乾いたココロをしゃんとさせる様な
ちょっとした美学にクローズアップ
意味しかないけど。

「コロンブス」Mrs.GREEN APPLE

坪井さん(大泉洋)が、
本当に「次」を見いだせなくなりかけた時、
ソファに座っているうちに朝日が差すシーンがある。
その時ふと次女から助けを求められた時のことを思い出し、
また再び動き出すことになる。
次女の隣のベッドにいた心臓の病気で苦しむ友を救ってほしいと。
その子はすでに亡くなっていたが、
その子の抱えていた病のために自分に何かできることはあるのではないか。
自分の本来の目的とは違う。
その努力で娘を救うことは叶わない。
誰かの為に。
それは一見カッコいい美学だが、
動く理由になるにだからそこに意味はあると言える。
悔しさ・遣る瀬無さを抱えながらも、
また丸めた背中を伸ばす。
わたしはこの歌詞を、
こう理解した…という余談でした。


最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。


※ ✕ 筒井さん → ◯ 坪井さん
 申し訳ありません…
 筒井さんはモデルとなった本名でした。
 ちょっとごっちゃになってる。

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