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おはようございます!Martです。
なんか昨日いきなりフォロワーさんがドッと増えてびっくりしております(*^^*)。これまではあまり人に見せることを意識せず、単に「知ってること、経験したことを書き留めておきます」的な文章を書いてましたが、これからは少し“オーディエンス”を意識した文章にしないといけないのかな?なんて思いました。すぐにでは出来ないと思うのですが、少しずつ挑戦していきますので、よろしくお願いします!
さて今日は、デジタルサイネージの公共性についてです。

デジタルサイネージは、最近公共機関でも積極的に取り入れられていますね。つい最近も市役所に住民登録に行った際にも、待ち時間にボーッと眺めるにはちょうど良いものとして重宝させていただきましたw。
公共機関が行う上記のような“お知らせ”は、いわゆる“広告”とはちょっと違う匂いがすると思うのですが、広義には同じ「告知行為」と言えるでしょう。デジタルサイネージは、正にこの告知行為のためのツールです。

公共機関と言っても役所ばかりではなく、最近は「オレオレ詐欺」の対策方法や注意喚起を呼びかける警察の作ったビデオなどもよく流されていますね。その他、消防署や学校などからのお知らせが流れる事もありますね。街中のデジタルサイネージには、こういった一種の“公共性”が求められてます。誰もが見るものだから、様々な人々に伝わる情報を流していくことで、単なる「広告マシン」としてではなく、「街の情報掲示板」として存在感を発揮することで“街の機能の一部”として馴染んでいくことが必要とされています。
これはSNSのフォロワーさんを増やすような考え方ですねw。お互いの利益が一致した状態で行える様になれば、非常に仕事はしやすくなりますから。

本やビデオなどのようなメディアは、基本的には一人、もしくは少人数で楽しむ(利用する)パーソナルメディアなので、“公共性”を強く意識して作ることはないと思いますが、TVや新聞の様に大勢の人が共有する可能性のあるパブリックメディアに関しては「誰が見ても害にならない」という点を意識しつつ制作を行う必要があるのは当然です。

デジタルサイネージも、紛れもなく後者の“パブリックメディア”と言えるでしょう。ですので当然ながら「これはNG!」というコンテンツも出来てしまします。ギャンブル系やアダルト系は言うに及ばず、暴力や差別を想起させる主張の動画やフリップ、その他にもあらゆる犯罪の温床になる施設や団体の宣伝などなど。
もちろん、ギャンブル系の企業などは自社で自社用のデジタルサイネージを立ち上げて、その上でこういった宣伝を行っているのを多々見かけますが、これは法規的には特に問題はないと思います。見た人がどう感じるかを意識しつつ、その上でメリットが大きいと思うならばやっても良いと思ってます。実際彼らが使ってくれることにより、デジタルサイネージの普及は加速されています。
ただ気になるのは、「デジタルサイネージ=パチンコ屋の看板」というパブリックイメージが出来てしまわないか?と言う部分ですが、まあ、私が気に病むことではないかなと…。ビデオの普及を加速させたのは、紛れもなく“アダルトビデオ”の存在があったから、という事実もありますのでw。

私がデジタルサイネージ広告の営業を行っている時、一つ課題となっていなのは「葬儀業界」との関わり方でした。私は当然営業と言う立場でしたから、「お客様は神様です」というスタンスだったので葬儀業界の方々とは良好な関係でコミュニケーションを取らせていただいておりました。(未だに時としてご連絡をいただきます)
しかし、当時の会社の中には「葬儀関係の広告はちょっと…」という風潮もあり、私が葬儀業界の広告をとってくることを「良し」としない人もいたのです。
幸い経営者は「問題ない」と言ってくれたので仕事に支障は出ませんでしたが、やはり「葬儀=死」のイメージは、会社のブランディングには良くない、という意見は根強く、度々繰り返される議論に辟易としていたものでした。

人間は、生物は、必ず死にます。生まれることがあれば、自ずと死ぬことは運命づけられています。もちろん「死」は良くないもの、来てほしくないものと考える人も多いので、そのイメージは避けるべきなのかもしれませんが、いざその時!となった時に何の用意もしていない、というのも困ったものです。
少なくとも、「あ、あの看板で見た葬儀屋さんに聞いてみよう」と思いだしてもらえる様告知をしておくことは、社会にとっても不利益とは言えないと思うのです。
また最近では、生前に自分の死後についてキチンとプランニングしておく「終活」なるものがブームになり、自分の葬式や墓、はたまた樹木葬だの散骨だの、新しい形式が提案されチョイスされているのです。だから、葬儀業界はある意味“活況”を呈しております。
以前のような「これとこれとこれとこれとこれとこれとこれと……、で、合わせて60万円です」という長い、そして必要なものなのかどうかもよくわからない見積もりを見せられ、ショックでボーっとしている人々に高額な支払いを求める業界とは様変わりし、「マルっとやって198,000円、追い金なし!」っという業者さんもかなり増えてきました。これらの価格の情報も、街中やロードサイドの看板から得ている場合が多いと思います。当然デジタルサイネージもこういった業界の告知に一役買うべき存在です。

私がこう思う様になったのは、やはり葬儀業界の方々と直接お話させて頂く機会が多かったからだと思います。彼らはそれこそ24時間365日、いつ何時でも“いざ”という時のために交代で待機しております。人間の死は、いつやってくるかわからいからです。
お客様から直接ご連絡をいただければまだ良いのですが、病院からの引取り要請もあるとのことで、その機会はかなり多いと聞きます。このコロナ禍でご多分に漏れず“大規模な葬儀”はメッキリ減り、家族や親族だけといった“小さな葬式”が増えたことにより、小さな葬儀場のニーズが高まったことに敏感に反応し、コンビニの跡地や宅地などに普通の家のような外観の目立たない葬儀場を作ったりする動きが活発になっているとのことです。
この傾向は、中小の業者さんには有利な流れですね。看板やデジタルサイネージを使ってくれる中小の業者さんの活躍をお祈りしております。

っというわけで、最後はちょっと脱線しましたが、今日はデジタルサイネージの公共性について考えてみました。

ではまた!


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