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“後悔”は、クリエーターを育てる、か?!

おは、いや、こんにちは!Martです。
今朝は朝帰り。しっかりお仕事完遂してきました!
撮影の仕事はハードワーク。朝から晩までと言いますが、こちらは“朝から朝まで”のこともあるようです^^;。
スキで始めたこととは言いながら、大変だな〜と感心してみてます。

ぼくなどは、そろそろ無理…(´・ω・`)。翌日は役に立ちませんからw。

ぼくも以前、デジタル系の制作スタジオでディレクターのお仕事をしてましたが、確かに当時は「電車で帰る」ことは稀で、大体タクシーか、翌朝まで仕事して会議室で仮眠、なんて生活してましたね。

いや〜、あの頃が、恐ろしい…。

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ハードワークを支えるもの

あなたは何のために、誰のために、働いていますか?

もちろん、「自分のため」というのが最終的な答えになるとは思いますが、

「夢の実現のため」
「将来の目標のため」
「親の期待のため」
「家族の将来のため」など

いろいろな理由はあると思うのですが、やはりそれも全部が最終的には

「自分のため」

に帰着することになるでしょう。


とは言え、単に“自分のため”だけでは、
「期限だから」とか、
「予算のリミットだから」とか、
「もうこんなもんでいいや」とか、
「この程度なんだ、自分は」とか、

いろいろ言い訳を付けて、本当に納得行くまでシゴトを完遂することはナカナカ出来ないと思います。

何があなたを、支えていますか?

明日の自分に、恥じないものを

いろいろな思いや条件の中で、シゴトは行われます。
その中でも、一番大切にしたいのは、後で振り返った時のこと。

あの時もう少しやっておけばよかった。

あの仕事は、今考えると恥ずかしくて顔が赤くなる。

あの時点ではこれが最高だったかも知れないが、今だったらこうしていたかも。

実作業に入る前に、もう少し予算を(時間を)交渉しておけばよかった。

などなど、ぼくも何十年前の仕事について、こんな事を思うことがよくあります。
でも、覆水盆に返らず。
後悔先に立たずなんですよね〜。

今日はぼくの“残念なお話”を、ちょっとご紹介します。

ぼくの場合…

実は以前、とある出版社との仕事で、
ある有名漫画をCD−ROM化したことがあります。

この当時はまだ、インターネットがまだ普及する以前で、
人々にコンピュータ上でつかえる情報を送る手段は、CD-ROMかフロッピーディスクくらいしか無かった時代です。

そんな時、「当時の最先端」を自負していたぼくの所属会社は、その長編漫画をCD-ROMに収めて売る計画を売り込みに成功し、作者の許諾もえて案件として成立しました。

そのシゴトを任されたのが、ぼくでした。

最初はそれほど難しい作業だとは思っていなかったのですが、
当時のスキャナーの精度や画面の解像度で、
実際に「コンピュータ上で漫画を読ませる」という制作作業は、
かなり難しいシゴトとなりました。

まずは、まっすぐにスキャン出来ない…w。

ちょっと前に流行った“自炊”(本をスキャンしてPDF化し、PCやスマホで読めるようにする)という作業を、最初にやったのはぼくたちじゃないでしょうか?(*^^*)

まず最初は長編の漫画本を全巻用意し、
その綴じ目を切ってバラバラにしていきました。

そして、1ページずつスキャナーでスキャンしていくわけですが、
どんなに注意しつつスキャンしても、
当時のフラットベッドのスキャナーでは“真っ直ぐに”スキャンすることが困難で、各ページは微妙にどちらかに傾いた状態でデータ化されました。

まずこれを微妙に補正し、できるだけ各ページが均等に見えるように修正していきました。
これは、スキャンするよりも相当に時間と労力がかかる作業でした。
これを、ぼくはデザイナーと二人で毎日深夜までやっていたわけです。

次に気になったのが、吹き出しの中の文字です。

補正はしたものの、吹き出しの文字が微妙につぶれてしまうので、
実質的に「読めない文字」も出てきました。

最初は少しずつ手で直していたのですが、
あまりにも量が多くなってしまったので、
最終的には全部テキストを打ち直し、縦書きにして画像データに変換し、
吹き出しの枠の大きさに合わせて貼っていく、という、
気の遠くなるような作業を行いました。

いやほんと、この仕事を担当したデザイナーが半べそかきながら毎夜残業していたもので、急遽デザイナー(オペレーター)の数を増やし、事務員さんなどにも手伝ってもらって、「人海戦術」で何とか乗り越えました。


最後に、せっかくデジタルなのだから、部分的に動きのある画像にしたい、という当初の計画にしたがって、シーンを選択して、アニメーションにしていき、効果音などもいれて、作品に仕上げました。

当初の納期はとうに過ぎ、予算も使い果たし、
途中「こんなもんでいいんじゃないか?」と何度も思いつつ、
最後はどうにか、満足の行くものに仕上げましたが、
最初の見込みの甘さと安請け合い、計画性のなさなどは、
赤面の極みです(´・ω・`)。

しかも、
ぜんぜん売れなかったらしいので、またガッカリ…。
当時はまだCD-ROM付きのパソコン(MAC)が少なかったので、
コンテンツとしてはちょっと早すぎたのかもしれません。

また、もう一つ先の段階も見据えていただけに、
そこまで到達できなかった無念さもあります。

それは、漫画への色付けでした。

せめて256色でもいいから、カラー化して出したい、
という希望が当初からありましたが、
上記のようなわけで、そこまで到達できませんでした。

残念…。

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やったことは確実に自信になる

ただ、「残念」なだけではありませんよ。
ある意味、自分が生きた証のような、我が子のような愛しさを感じないわけではないですし、その後の制作活動への何らかの“自信”のようなものを植え付けてくれたことは、間違いありません。

良かったこと、悪かったこと、全部ひっくるめて“結果”として残っているのは、「何も残ってない」よりは、遥かに良いと、自分では思っています。

当時は“ギリギリ”だったと思っても、後から思うといろいろ出てくる、
こんな事は日常茶飯事です。

その時に与えられた条件(時間・金・人)が作品のクオリティを決める、なんてことは全然なくて、自分がどんなものを作りたいか、というしっかりしたコンセプトとそれを実現する意志の力が、後々の“評価”を決めると思ってます。

昨日の朝までの撮影につき合いつつ、どんな時でも、どんな条件でも、
如何に向き合って、バランスをとっていくかが、ディレクターの“UDE”の見せ所!

noteで頑張っているみなさんも、きっと“クリエーター”であり、“自分ディレクター”であり、そして“生活人”なのですから、各々のバランスを取りつつ、最良の作品を作って欲しいと願っています♡。

ではまた!


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