映画『IT』の感想

金曜ロードショーで放送するというので観てみた。旧イットは小学生の頃に観たことはあるが、なにしろ低学年であったし20年以上の昔で、牙のあるピエロのイメージしか(強烈ではあるが)残っていない。リメイクについては未見だった。

主要な人物となる少年が数人いる。どの少年も抑圧を生む背景が描写されている。身内の行方不明、吃音。喘息、過保護(?)。父からの性被害、支配、性にふしだらという噂。……等。あ、それから別の少年グループからのいじめ。

いうならネクラとか陰キャとかの傾向をもっている少年たちだ。彼らは怪物ピエロ「ペニーワイズ」に襲撃されるのだが、それは抑圧的な境遇と無関係ではないだろう。

少年たちは襲撃を知覚できるが、他の者はこれに気づくことができない。自分には見えるものが他人には見えないということは、見えていない人のほうに狂気があるのではないなら、見えていることが幻覚だ。……しかし、この少年たちはこの幻覚を共有した。

作中の虚構が現実にはみ出す

すこし、メタな視点を持ち込む。ペニーワイズは幻覚の親玉みたいなやつで、こいつ自体が幻覚だ。このピエロは襲われる者の恐怖心を搾取して現実にリンクしてくる。__これは仕掛けだなと思う。怖い話を聞いたあと、トイレやお風呂に行くと無性に怖くなるということがある。同じことがこの作品を鑑賞後おきたら。いやいやあれは映画だから、フィクションだからと言ってみて、ペニーワイズが作中でも幻覚だったことに思いあたる。恐怖がピエロを現実の存在にしていく。「キリンを思い浮かべてはいけない」と言われるとキリンを思い浮かべてしまうように、思ってはいけないと思った時点で思い浮かべてしまっている。

ただの怖い話を思い出して怖いというのなら、作り物だということで多少なり安心する。でも『IT』は虚構の存在が現実の存在になる怪物なので、作り物であることが前提になる。あとはこれに恐怖心が加わると現実化してしまうという作中の設定が加わる。これがあの作品の恐怖の肝かなと思った。

抑圧に打ち克つ物語

また、作中の少年たちの視点でこの物語を語るなら、抑圧に打ち克つ物語といえるだろう。上記したように主人公たちには弱者としての側面がある。少年たちはまだ幼く、それゆえにこのそれぞれの問題をどう処理するかは、その後の人格形成にかかわるだろう。

終盤で主人公のひとりが失った弟(の似姿)と会話する。弟は偽物で、ペニーワイズが見せる幻覚だ。兄である彼にはそれが分かっていたが、いくらか話をしたのは、弟への執着を終わらせるためではないかと思う。

ペニーワイズに対抗しうるのは恐怖しないという一点にあった。これはペニーワイズに恐怖しないと同時に、現実に彼らを弱者にしている困難に恐怖しないことでもある。こうした点から、自分を受け入れ問題に向き合うことを決意する物語、といえるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?