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窓の描写

百均さんなかたつさんがツイキャスでちかごろ話題の漫画、藤本タツキ「ルックバック」を考察していた。そのときに得た私の考察を垂れ流しておこうと思う。

このときのツイキャスでは百均さんが漫画を通して音読してくれた。それがよかったのだと思う。私は絵のほうに集中することができた。

また、なかたつさんは物語の整理と考察を行ってくれた。そこで私が物語について語る必要がなくなった。

1 窓

そのなかで気になったのは、何度も窓が登場することだ。特に印象的なのは、藤野が連載を描き始めてからの大窓だった。窓のそとには都会のビルの景色が広がっていた。

このシーンは手前に、藤野と京本が仲たがいするシーンが挿入される。京本は美大に進学を考えていて、藤野はそれに反対したのだった。美大に行くということは、藤野の「連載手伝えない」ということだった。

この大窓のシーンが印象的なのは、もちろんそれがこれまでのような小さい窓ではないからだが、付け加えると、窓のそとの風景があからさまに変化するからだ。もちろん、ビルの景色は藤野が山形から単身上京したということを意味する。しかし、それだけではない。

ここに来るまでの窓に注目してみると、藤野の部屋の窓が何度も描かれている。そこには向かいの家の屋根が映っているのだが、この景色は藤野の部屋と地続きの部屋で、さらに言えば、藤野が歩く山形の街の風景と地続きだ。

翻って上京後の大窓は細い線で整然と描かれている。この絵には既視感がある。初めて藤野の他の者が描いた——つまり京本が描いた4コマだ。

京本の4コマは4コマというより、組み写真のように4つの風景といった感じだ。藤野のようなストーリー性は希薄だが、そのデッサン力は確かだった。

この大窓の景色を誰が描いたのだろう。私はそう思った。

注意してみると準入選以後、藤野の実家の部屋で漫画は描かれている(それは準入選以前と同じように)が、窓の景色は殆ど見切れている。

そこで転換を予兆しているようにみることができる。

そして、物語は京本の死へと展開する。

以後、IFの世界を覗いて、窓は黒塗りになる。これは夜を意味すると解せる。が、これまでにも窓に夜を描いた場面はあるが、黒塗りではない。背景担当の喪失を意味するととることも可能だと思う。担当がいなくなったから窓のそとは景色を消失したのだ。

ついでにいえば、京本の部屋へと続く廊下の窓は4枚のガラス戸で仕切られている。

窓は藤野のなかで京本がどういう存在かを表しているのではないか、というのが私の読みだ。

藤野が連載する「シャークキック」は京本の死ののち休載となる。それは京本の死、というより、京本という藤野の最高の読者を喪失したことだったのではないか。彼女にとって、漫画を描くことは最初から周囲の評価を得ることだった。しかし、それは京本という強烈な読者の出現によって、他の評価を凌駕して、京本に読ませたい、読んでほしいに変わったのだ。もちろんその根底には変化がない。

京本が自分のそばを離れる(美大に進学する)という選択をしたとき、藤野が抵抗したのもそういうことだ。

なにより、「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの」という問いは、その2ページ後の京本の顔が答えなのは明らかだ。

そして、大窓の「背景」に包まれて藤野が執筆を再会するところで物語が終わる。

2 IFと現実の関係

なぜ、最後に窓に景色が返ってきたのか。これを探るために、現実とIFとをつなぎ合わせてみたい。

IFの世界は藤野が「部屋から出さな」かった京本がいる世界線だ。京本の死によって、自分のせいだと自責に囚われた藤本が、もし現実が違う展開だったらと没入した世界である。

まず、現実とIFの共通点を洗い出してみる。
1 京本の家に卒業証書を届けに藤野が現れる
2 1によって時系列的に、京本の4コマの衝撃はすでに藤野にはある
3 京本が「背景美術の世界」に遭遇し、美大へ進学する
4 京本と藤野のふたりが対面する
こんなところか。他にもあるけど、今回は省く。

ここで第2に示した点に注目したい。藤野の「なんで描いたんだろ…」という自問は、京本の死という現実に向かって吐かれており、なんで外に出してしまったのだろうという問いと同義なのだが、同時に、しかし知らず知らずのうちに、藤野が現在描いている根拠をも問うていることになっている。藤野は京本の4コマによって(あるいはそれによる脚光の推移によって)一度ペンを折っているのだから。

彼女が執筆を再開したのは、いうまでもなく京本の「藤野先生」という視線によってだ。

この視線はIFでも現れる。ただ、そのタイミングはすでに京本と藤野が高校を卒業して後のことだ。このときの京本の気分は、年齢が高いためか自制的になってはいるが、それでも熱烈で恍惚とした表情に現れている。連絡先を交換したとき彼女は、藤野に自分の名を名乗ったのだろうか。藤野は彼女が小学校のとき、自分の筆を折らせた当人であるとは気づいていない風である。しかし、名乗っていたら、それを思い出さないということがあるだろうか。たぶん、京本は気分が高揚するあまり名乗ることを忘れている。そして、ふたりの対面がきっかけではないかもしれないが、藤野は漫画を再開しようとしている。おそらくこの藤野は漫画家ではない。それは彼女が山形に残っていることでも言えるだろう。

これは、現実のふたりの対面と同じ流れである。京本が「藤野先生」に気づき、藤野のサイン/携帯番号を貰い、藤野が漫画を再開する。

救急車を見送った京本の行動は、京本の家をあとにした藤野の行動に対応している。そして京本の4コマが今度は藤野に手渡される。立場に逆転が生じている。

共通点はもうひとつある。「犯人」が京本を襲うということだ。これには変化がない。また犯人が襲えるということは、京本の進学にも変化がないということだ。IFの世界に現実との相違点があるのは、京本ではなく、藤野のほうなのだ。藤野が京本を外に連れ出したから、彼女の死があったのではない。京本が部屋を飛び出して藤野と対面したから、藤野は連載をもち上京して描いているのだ。少なくともIFと現実とをすり合わせるとそうなる。変わったのは藤野のほうなのだ。

最後に背景が戻ってくるのは、藤野のなかに京本が生きているからだ、というと陳腐になってしまうが、藤野の選択した現在は京本の存在を抜きに語れないからだと言えるのではないか。

3 藤野の人柄

漫画の最初のほうの藤野をみると随分いけ好かないやつである。周囲にちやほやされて、すっかり天狗といった感じだ。その鼻は京本の絵で一度折られるが、その後仲違いするまでだいたい同じだ。

キャスのなかでなかたつさんが指摘したので了解したのだが、京本の死の報せのあとの雪の場面は、合作の漫画の準入選を確認した帰り道だという。

読み返して分かるが、この場面は重要なセリフが凝縮している。「超作画でやりたい」という藤野に京本が「でも私描くの遅いからな」というのは、のちに京本が美大を志す因子になっている。そして「京本も私の背中みて成長するんだなー」と藤野は言うのだ。藤野はやっぱり「先生」という立場をとっている。たしかに、京本にとって藤野は「先生」だったが、藤野自身の「先生」気取りは慢心的で、取りようによっては藤野が必要とする「羨望の視線」を京本から搾取しているともとれる。というか私にはそう見える。「私のせいだ」と気づく藤野の気づきとは、この京本から搾取しているという気づきでもあったのではないかと思う。ちょっとこの辺はまとまらないので、印象だけに留めて、今回は終わりにする。

つかれた……

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