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認知行動療法おもしろいって話

放送大学の番組で『認知行動療法』を偶然みた。強迫症の治療が話題で、紹介されていたのはエクスポージャー(曝露療法)という方法だった。

そのなかで面白い実験をしていた。

以下はその内容と、一視聴者に過ぎない私が専門知識もなく気ままに思ったことである。

強迫症者の心理を体験することを目的にされた実験で、手や顔など肌の水分をふきとるときペーパータオルだけを使用する、という習慣を1ヶ月つづけてみると、あらためて布タオルに戻ろうとしてもそこに不潔さを感じるようになる、というもの。

面白いのは積極的に嫌悪を催すことで忌避が生じるのではなく、標準的な行為を変更する(布タオル→ペーパータオル)ことで、非標準化された行為(布タオル)がいつのまにか嫌悪を伴うようになるというところ。

おそらく心理的にはペーパータオルの使い捨てという性質が、2度3度と使われる布タオルの繰り返し性に意識が向くようになったということだろう。

こうして嫌悪は意識的につくることも可能だというのが面白い。上記のような状態は強迫性と地続きの心理だが、こうしたことは一般的な感覚のなかにも潜在化してあるのだろうと思う。

ペーパータオルを積極的に使用して布タオルに不潔感を催すことは、感染症への意識が高まった現在ではあちこちでみられているだろう。自粛警察もこの延長上に生じた現象と捉えることもできるんだろう。

さて、こうして人工的に強迫性を植え付けられた状態をリセットするのに言及されたのがエクスポージャーという療法だった。

曝露療法ともいい、嫌悪的回避的な状態にあえて留まるという療法である。上記の布タオル嫌悪の例でいえば、積極的に布タオルを使用することである。そのとき嫌悪感や忌避感が生じるが、その心理はそのままにして使用をつづけるという療法だ。言ってみれば慣れさせるということだろうか。

強迫症としては、忌避というより儀式的な強制力をもつ行為として現れる場合がある。手が汚れてるようで何度手を洗ってもまた洗わないでいられないとか、Aという行為の次には必ずBという行為をしなくてはいけないといった、自分でもバカバカしいと分かっていながらそうしないといけないような感覚に襲われる状態だ。

この場合、手を洗うという行為や、Bという行為が強迫の嫌悪感を停止する回避行為といえる。だから、強迫や嫌悪は高まっても手を洗わない、Bという行為をしないという選択を積極的にとるのがエクスポージャーだ。

最初は嫌悪感はむしろ回避行動をしたよりも高くなるが、繰り返し曝露していくごとに条件付けの鎖がほどけてくる。なぜならこれは想像や連想といった機能が暴走して、あるものとあるものが強く連結していることなのだから、回避行動でむしろ強化していた連結が回避の停止によってその幻想性が意識とは違ったところで露呈し、関係がうすれていくためだ。

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