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去年、心が風邪を引いた話


6月いっぱいで、長くお世話になったフォトスタジオを退社した。

これは心の整理のために書いておきたい日記。

昔、ある人に言われた事がある。

「Marrypossaはリミッターが壊れたバイクみたいだ」

いつも通り動いていたかと思うと、急に動けなくなってしまう。

・・・ということらしい。

我ながらハードな仕事もソツなくこなすし
仕事が早くて、"できる方”だと自負している。

だけど、実は人知れず限界突破していて
ストレスが溜まると微熱を出し、胃が痛む。

私は笑ってそれを「知恵熱」だと言っていた。
熱が出たなと感じたら葛根湯と栄養ドリンクを摂り
1晩眠るとだいたい良くなる。

職場は長くお世話になっていて、オープニングスタッフでもある。

その中で一番「お姉さん」な私。

ヘアメイク、着付け師、ボディアートがメインだけど、
手が足りないところを補うマルチプレイヤー的、立ち位置にいた。


去年の下半期に心が風邪を引いた。

それは私本人が一番驚いた。

その時期 私は、家の事と仕事がいつも以上に忙しかった。

家の事とは、母がALSという筋萎縮症で日常生活にお手伝いが必要で車いす生活になったのを機に帰国し実家で暮らしていて、肝臓がんと闘っている父の家業も手伝い、家事全般と自分の仕事をしていた。

繁忙期だったけど、仕事の過酷さに耐えかねたカメアシさんが突然辞め、
頼りにしていたもう1人のヘアメイクの同期が体調不良で休んでいた。

残るは新しく入ったばかりのカメアシさん2人。
彼女たちはまだ 新人研修中でほとんどの業務を知らなかった。
カメラマンは畑が違うのでお互いに補えないポジションだ。
マルチプレイヤーの私は必然とスタジオ内を走り回る日々。


元々、メンタルは豆腐素材だと自覚がある。
割と落ち込みやすいし、引きこもるのも好きだ。

でも、如何せん、肝は座っているので、
直ぐに立て直せる性格でもある。

寝たらリセットできる便利な性格。
自分のそんな都合の良い性格に絶大な信頼を置いて
まだまだやれるはず!とタフでいようとした。

なので、毎日、「しんどいなー」と思いながらも
朝起きたら自分を鼓舞し、栄養ドリンクを飲み仕事に向かっていた。

朝スタッフに会うと「眉毛太くしたんですか?」とか「姉さん今日、アイラインバッチリですやん」とよくいじられていた。

(今思えばその頃、既に鎧が必要だったのかと思う。)

クローンかコピーロボットが欲しいし、だれか助けてーと思っていた。

ある日から 急に、頭と体が繋がっていないような、
時間が飛ぶようなことが起こり始めた。
頭の中がスッキリせず、何かを思い出すことや計算が苦手になってきた。


体は疲れ切っているのに、眠れず朝を迎える日も増えた。

ある日、一睡もできぬまま 仕事に行こうとすると、なぜだか絶望的な気持ちになり、突然 訳もなく涙が止まらず 手が震え出した。

そんな自分に戸惑いながら、でも、行かなきゃ!と、奮い立たせて職場に着くと、今度は吐き気を催し、呼吸も脈も荒くなり、手汗が止まらない。

心筋梗塞とかそんな急に起こるなにかの病気かもしれないと怯えつつ

「あれ?これはもしかしたら限界突破の向こう側に来てしまったかも」
と冷静に状況把握している自分もいた。


頭の中の情報処理と口から出る言葉のスピードが揃わない。
接客中は舌を噛みそうになるし、頭の中にしっかり入っている事柄が口から出てこなくなった。
常に手足が震えているようなきがした。



接客が終わればバックヤードで無になり、
体は動いているのに思考だけ停止していた。

ある日、在庫管理を「あ、あれやらなきゃ」と、
やったはずの作業を何度も何度も繰り返してはループしている私を見て、
遂に同僚のカメラマンが (男性) 泣きそうな顔して
「もう、いいから…ね」と止めてくれた。

彼とは長い付き合いだ。
でも、その、怯えたような、悲しい目は見た事なかった。

やっと、自分がおかしいかもしれないと気がついた。

直ぐに別部署から応援を呼んでくれて、来てくれたスタッフをみたら申し訳なくて涙が止まらなくなった。

そんな私に「大丈夫、大丈夫だよ。頑張ってくれてたんですね」と普段は弟のように思っているそのスタッフたちに背中をさすられて、力が抜けて嗚咽しながら泣きじゃくった。

初めてスタッフの前で子供みたいに泣いた。

その日、早退させてもらって自宅に戻ると
不甲斐なくてまた泣けた。

自分が抜けた穴を埋めないといけない他のスタッフに申し訳なく罪悪感で消えてしまいたくなる。

数日、ゆっくり休んでいいよと店長からLINEが来て甘えることにしたけど、やっぱり気になって、翌々日にはまた出勤していた。

そしてぼろぼろになって帰宅し、家事をした。

そんな日々をまたしばらく続けた。


「そういう病」は嫌だった

妹が心療内科に行こうと調べてくれた。
自分も休みをとってまで、連れていこうとした。

最初はそれすら拒否していて、自分が「そういう病」だと言われたら、そうだと思いこみ、もっと悪くなる気がした。

それにどこかしらにその記録が残ることが何となく嫌だった。

「己に負けたんだ」と自分が不甲斐なく、恥じた。

変わり果てた容姿

年が明け、ちょくちょく私を気にかけて家に来ていた妹から改めて病院に行こうと誘われた。

「最近、鏡。ちゃんと見た?」といわれ、洗面所に行くと、知ってる人だけど知らない人が鏡に写っていた。

目の下に濃いクマができ、酷くたるんでいた。
肌はガサガサ、顔色も悪い。
眉はまばらに生えており、髪は根元が伸びきって、ツヤもない。
目に生気もなく、眼瞼下垂みたいに下がっていて、口角も下がり、ほうれい線が目立つ。
酷く猫背で顎が上がっていて、肩で息をする。

これが私…?
今まで靄がかかっていたものが急に晴れたように、ハッとした。

自分の変わり果てた顔にショックを受けた。

いつの間にこんなに老け込んだのだろうか?

こんな人にヘアメイクされてもお客様は嫌だろう。

だめだ。これでは。
こんなんじゃだめだ…

遂に妹に連れられて心療内科を訪れた。
隔週で先生に、ここに至るまでの様々な話をたくさん話した。
涙も出たけど、いっその事…と、心の奥に閉まっていたもの、隠していたもの、全部全部、何年も前の話までした。

どうやら、今まで有耶無耶にしていたいろんな気持ちの処理が遂に間に合わなくなってしまったらしい。

先生が言うには本棚が溢れた状態であること。
しまい切れない本の置き場がなくて散乱しているらしい。

ひとまず、いまは仕事から離れた方がいい事。
家の事を任せられる人に任せる事。

その2つが最重要事項だった。

「何もしない事が薬」という事らしかった。

※家の事とは、母が特殊なタイプのALSという病気で、通常とは逆の非常に進行の遅い筋萎縮症であり、骨折しやすい。
父が肝臓癌持ちなので、実家で介護と家事をしている事。



仕事は直ぐに上司に相談した。

上司は「見ていて変化に気づいてたのに、状況的に君だけに負担を与えてしまった。。申し訳ない」と頭を下げられ、
また年甲斐もなくわんわん泣いて今年の4月から休職する方向になった。

家の事は妹が転職のタイミングもあり、近くに越してきてくれ、私がやってきた家事を半分担当してくれる事になった。

有難いことに職場も家族も快く生活の改善に手を貸してくれた。

休職の間は、韓国にメイク留学をしたり、Mexico旅行に行こうかと新しい事に目を向けはじめ、

少しずつ、人と話せるように戻ってきた。
でも、自己嫌悪は治らなかった。


自分以外の人達の優しさで、救われ始めた矢先。

…… コロナめ。

コロナが猛威を振るい始めた。
旅行に行くなんてもってのほか。
仕事は営業自粛となり、図らずしも「休職」となった。

心が不安定なまま、気晴らしのはずの計画も中止にし、
ずっと家にいた。

もちろん体は休まった。
よく眠れるようにもなったし、少しづつ、部屋が片付いた。

髪を染めたりネイルをしたりと仕事中だと出来ないようなことをして気分も良くなってきた。

突然来る得体の知れない悲しみと疲労感

営業再開して1ヶ月。
元の私と変わらずスタッフと笑ったりお客様と接していたのに翌日、急に起き上がれないほどの疲労感が支配する。

「だめだ。でも行かなきゃ。無理してでも…」
そう、思った時に「これか!」と気づいた。

その日は休ませてもらって、後日、改めて上司に退職願いを出した。

6月いっぱいで遂に働くことを辞めた。


それから、約4ヶ月。

何もしていない日々。
家事や介護に集中できている。
スローライフというのだろうか?
携帯やSNSから離れ、母の代わりに庭に野菜を作り花を育てる。
母と一緒にワイドショーを見て、父の病院へ洗濯物を取りに行く。

本を読むことが増えた。
映画も沢山観た。
夜はとても早くに眠り、毎朝、ちょっと早めに起きる。

最悪の時期は終わったような気がする。
そろそろ次の仕事をみつけたい。

最後に

怒涛の毎日を20年以上続けてきた。
大好きな仕事が中心の生き方。
それに悔いはない。

だから、母が車椅子になった時、今度は、好きな事に専念させてくれた家族のために生きようと帰国を決めた。
仕事が大好きなこと以上に家族も大好きだ。
自分で決めた生き方だった。

いつも思う。
母は、世の中のお母さんはすごい。
世の中の主婦はすごい。

終わりのない怒涛の毎日を生きている。
仕事で疲れた体で家事や子育てを何年も続けるなんて。
私にはできなかった。

誰かに出来ることが出来ない事が悔しくもある。
でも、すぐ、ひとの許容量はそれぞれ器のサイズが違うから
誰とも比較しないこと。と思い直す。

リハビリのような現在

求職もしつつ、独立の方向も考える。
未来ノート的なものも付け出して、日々、私のお店なら、こんなことをやる!って楽しい妄想を集めている。

好きなことを詰め込んだノートが着々と綴られている。
大正ロマン、明治レトロ。
ステンドグラスの引き戸のある古民家。
待ち時間に美味しいコーヒーがあり、マジックがある…etc

ワクワクを増やしているところ。

しかし、世の中はまだコロナの影響で人気店ですら存続の危機だし、畳んでしまった店も多い。

なので、独立をするのは来年だと決めている。

ここまで読んでくれた人へ

今、疲れを背負って、責任感を抱っこして、毎日戦うあなた。

鏡を見てください。
今すぐに。

その人をもっと褒めてり労わってあげてください。


2020/10/19

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