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曼珠沙華 【#2000字のホラー】

「秋吉、水ば汲んできてくれんね」
水桶を担ぎ、1歩踏み出すと冷たい空気がまとわりつく。「もう、9月か。冷えてきたな」
まだ薄暗い空の下、先日13歳になったばかりの秋吉は朝から晩まで親の仕事を手伝っていた。

ジャリ ジャリ
家の裏手にある小川まであぜ道を踏む。
しっかり冷えた水が秋吉の手を痺れさせた。
「冷てぇな」かじかみながら水を汲み終わると今度は重たくなった水桶を竿に通し担ぎあげた。
肩の肉にくい込んでいく重みに歯を食いしばる。

ジャリ ジャリ
腰に力を入れ家の明かりを目指す。

サッと目の端に白いものが見えた。
向こう岸に人が蹲っている。

「はて?こんな朝早くに誰じゃろ?」
秋吉は水をこぼさないように尻を突き出した姿勢で
ゆっくりとそちらに体を向けた。

薄暗い河岸に白い肌の女が一心不乱に曼珠沙華を手折っていた。

身の毛がよだつと同時に秋吉は不思議な気持ちになった。

恐ろしい。
恐ろしい…けど、、

秋吉は固まった足に力を入れ、またゆっくり体を返すと何も見ていなかったかのように家に向かった。
腰から下が置いてけぼりのように、前に進まない。
またあちらの河岸に目をやると、そこには誰もおらず 手折られた血のように真っ赤な花が川を流れていった。

夜になると筵(むしろ)を打った。
筵1枚打てば十円になる。
それで弟たちに飯が食わせられる。

そうやって秋吉は毎日働き詰めだった。
当たり前だと思っていたのでなんの不満もない。
電球がチカチカ瞬きだし、プツっとまっ暗になった。
弟達が「母ちゃん!」と騒ぎ出す。

「俺が変え、買うてくる」
新しい電球を買いに近所の出店へ向かった。

とぼとぼと田んぼのあぜ道を歩いていると、
あの河岸の女を思い出してしまった。
恐ろしい顔、、花を詰んで捨てていた。
だけど体の芯に雷が落ちたように美しいと思った。
「あの女は誰じゃろ?村のもんか?見たことねぇな。」

ふと、目線の先にある田んぼの脇に曼珠沙華が手折られ積まれているのが見えた。

ドクン ドクン
体の奥が熱い。心臓が突き破って飛び出すかと思った。

辺りを見回すが、あの恐ろしい女は居なかった。

ドクン ドクン 

店につき、新しい電球を買うと来た道を戻る。
その間もずっと動悸が止まらず死んでしまうかもしれないとさえ思った。
家に着くと
「秋吉、あんた、具合がわるいとね?」
「いや、、うん、なんでもない」
「筵は明日打てばいいから、今日は早よ寝らんね」
薄い布団を敷き横になった。

「母ちゃん、今日、恐ろしい女がおった。見たことない女やったが、誰やろ?」
「なんね?恐ろしか女って。熱でもでとるんかね」
「いや、、なんも無い。よか。ねる。」
「はいはい、早うよう寝れ」

秋吉は村の外れにある墓地にいた。
違う。これは夢か?
ここは墓地や。
俺は寝ぼけとるんか?

カサカサっと音がしてそこに誰かいると知る。
秋吉はそっと長く伸びた草を掻き分けると、すぐそこにあの恐ろしい女が曼珠沙華を手折っているのが目に入った。赤く美しい花が大量の血のように地面を染めていく。

その白い横顔は汗ばんでいて、帯の細い腰が艶かしい。
秋吉が思わず生唾を飲み込んだその時、唐突に目が覚めた。

はぁ、はぁ、と動悸と共に息苦しい。
秋吉は汗をかいていた。
そっと布団を抜け出し、開けっ放しの縁側から外に出た。まだ星のある空の下、冷たい空気が心地よい。

あの女はだれや。
恐ろしいが美しい。
美しいが恐ろしい。

居ても立ってもいられなくなり、墓地のある方に裸足のまま走り出した。

あの女。あの妖しい女にまた会いたい。
頭の中はそれでいっぱいだった。

墓地に着くと、そこにあの女がいると思っていた。
しかし、そこには誰もおらず、薄暗く湿っぽい香りの気味の悪い風が通り抜けるだけだった

踵を返し、墓地から出ようとすると
「どこへ行きなさる?…坊ちゃん」
後ろから透き通った鈴の音のような声に捕まった。

全身の毛が、ゾワゾワと逆立つのがわかる。
ここに来てはならなかった。
秋吉はすぐに後悔した。

ゆっくりと振り向くと、そこにはあの女が立っており、手には真っ赤な曼珠沙華と薄明かりに光る包丁を持っていた。

真っ白な顔は天女のように美しく、伏し目がちながら、薄桃色の唇は微笑んでいた。 
足元に目をやると裸足の指が汚れていた。

「お、、俺は、、お前は、、」
咄嗟に何も言葉が出てこなかったが、そこにいるのが幽霊ではなく、生きた人間だとわかると安堵した。
「お前は誰や? ここで何をしよるんか?」

女はフフフと笑い
「あの子が帰ってこんけぇね。探しよるんよ」
「でも、、探すんやめてもよかねぇ。坊ちゃん見つけたけぇねぇ」
「坊ちゃん、彼岸花ってしとるかい?」
「あの世の彼岸に咲く恐ろしい花よ」

そう言いながら差し出した曼珠沙華の奥にキラリと光るものが見えた。

秋吉は咄嗟に尻もちをついたが女は花を振り上げ秋吉に馬乗りになった。

狂ったように笑いながら
「詰んでも詰んでもまた咲く。あの子はどこへ行ったんじゃ?彼岸はどこじゃ?ここかいな?ここはどこじゃ?どこにおるんじゃ」
天女と思った顔は恐ろしく釣り上がり、血眼になり
この世のものとは思えなかった。

狂っとる。

秋吉は振り絞って女を跳ね除けると、転がりながら墓地から逃げ出した。


※2100字 
※北原白秋 「曼珠沙華」オマージュ作品








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