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「チッソ」という人にふれる

もう十年以上のお付き合いのお客様がいる。
毎日買いに来て下さり、時間が許せばたわいもないことをおしゃべりしていくのをどこか楽しみにされている。
年は八十三のご老人だが健康にはとても気を配られていてペースメーカーをつけておられるがお元気だ。その方とのお話。

だいぶ前から自身の所属する「歩く会」に参加するか迷われていた。
今回巡る場所は金沢八景。そしてその近くにある野島だそうで、そこは以前会社の寮にいたからわざわざ行っても面白くないという。
本当は自分は土地を良く知っているからみんなに教えてあげられるからいいんだけれども…。どうも気が進まないらしく、このくだりを何度も私に語る。

野島の寮にお客様は住んでいた。
夏は海水浴楽しみ、また山もあり、遊びにはもってこいの自然溢れる場所らしい。
島好きの私には心揺さぶれる場所だった。海も山も同時に体験できるなんて最高だ。是非一度は行ってみたい場所だなと思った。

そんな素敵な場所なのに事あるごとに先ほどのくだりを繰り返す。私はどうも解せなかった。
一体何が気を進ませなくさせているのか。そして今日ようやくその理由らしきものが見えた。
それは野島の山頂の眺めを語り始めてからだった。

「歩く会」のみんなはとにかく野島の山頂に行きたいらしい。そこからは金沢八景を一望出来るのはもちろん、日産の工場がふもとにあり、そこには試験コースが設けられている。そこで走る車を見ることも楽しみらしい。また発売前の新車などの試験走行はトヨタなどの偵察隊に見られぬよう、ビニールが掛けられて車の外装を見れないエピソードは面白かった。
昔は会社が作った積水化学工業の工場がふもとに沢山あったらしい。しかし水俣病の賠償金で全て売却してしまったと。
私は一瞬戸惑った。
水俣病の原因の会社は「チッソ」ではないか。 私はそれを確認したらそう、自分のいた会社は「チッソ」だと。

私はお客様の勤めていた会社名は聞いていなかった。自分から言わない限りはあまりプライベートなことは踏み込まないようにしているから。
しかしお客様はまるで私をずっと試していたかのようにそれらしいヒントは出していた。
例えばウチの会社は東大卒ばっかりだとか、自分は液晶の研究者だったとか、ひとつのプロジェクトの研究費が一億、それがいくつもあったとか。
だからと言ってまさか目の前の人が「チッソ」の人だとは思うだろうか?全く思いもよらなかった。

お客様はチッソ側から水俣病について語り始めた。
水俣病患者とチッソ側とはもっと穏便に話は進むはずだったが、共産党が騒いでチッソを潰しにかかったり、外国からはユージン·スミスが来て世界水俣病を写真で報道したり、とにかくめちゃくちゃにされたと。
会社は莫大な賠償金を支払い、多くの工場が閉鎖された。自分は入社してすぐ賠償のしわ寄せがきて安月給で働かされ、周りの多くの人間が退職した。子供が大学進学の頃本当に金がなく一番大変だったと。
水俣病患者はほとんどが漁師、その家族だった。当時の漁師は貧乏で魚の身は食べれず、捨てるような内臓を食べていた。だから水俣病になったと。

心がえぐられるようだった。
水俣の漁師、家族は貧乏ゆえに魚食べなければ生きていけなかった。それが健康に影響があるであろうと感じてはいても。
しかしそれでかけがえのない命は奪われた。人として生きるすべを奪われた。貧乏でも家族の絆は守られていたのにそれすらも奪われた。

また「チッソ」に関わる人々もまわりから後ろ指をさされ、苦境に立たされ辛い思いもした。
政府は「チッソ」を使い、国を繁栄させ多くの富を掴もうとしたが、結局誰一人として幸せにはなれなかった。
二度と同じ過ちは繰り返してはならない、改めて思わされた。

お客様はチッソの名前を今まで口にしなかった。実際声に出す時もそこだけ小声であった。
やはり罪を負った会社の名前を出すのははばかれたのだろうと思う。
しかし良い会社だったという。
そんな良い思い出と苦い思い出とが交錯する場所である野島。
お客様にとってはあまり楽しめる場所ではなくなってしまった所であったのだと、それが金沢八景、野島に行く気が進まない原因であったのだと知った。
しかし共有しにくい話題を敢えてされたのは、それでも人というのはコミュニケーションを取りたい生き物であり、人は人とつながりあって生きていくことが幸せだと知っているからなのかもしれない。

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