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「コミュニケーションが苦手なあなたへ」~HSPが考える、コミュ障のためのがんばらない処方箋 day7~

みなさん、こんにちは!
ほいみん です。
コミュニケーションについて、毎回お付き合いいただき(笑)、
ありがとうございます!

きょうは平等という観点から
コミュニケーションについてのお話をしたいと思います。

平等? 
どういうこと?
なんか、ちょっと怪しくない? 
そんな声が聞こえてきそうですね(笑)

いえ、そんなんじゃありません。
人はみな対等だよ。
上も下もないよ。
コミュニケーションは、みんな同じ立ち位置からスタートするんだよ。
そのことをお伝えしたいのです。

けれど、それを邪魔する「おじゃま虫」がいるんですね~
「性別」にこだわる「性別 おじゃま虫」とか…
「年齢」にこだわる「年齢 おじゃま虫」とか…
「肩書」にこだわる「肩書 おじゃま虫」とか…
多かれ少なかれ、だれの心の中にも住んでいます。

こうした「おじゃま虫」はもちろん、ぼくの中にも住んでいます。
(なるべく出さないように気を付けていますが、
それでもチラホラ顔を出します)
けれど、厄介なのは、この「おじゃま虫」は他人に対する見方を歪め、
健全なコミュニケーションを取りにくくする習性を備えている、
ということなんですよね。

たとえば、みなさんにはこんな経験がありませんか。
著名な専門家が言っているから…
職場の上司が言っているから…
学校の先生が言っているから… 
その人の言っていることを鵜呑みにしてしまう。
もちろんぼくもありますし、
一度は経験したことがある人も多いのではないでしょうか。

でも、これには理由があるんですね。
「権威バイアス」という言葉があります。
権威のある人や専門家の言動はすべて正しいと思い込み、
深く考えずに信用してしまうこと、を指します。

仮に間違えたことを発言していたとしても、
立派な肩書がついているだけで正しいと思い込み、
肯定的に評価してしまうんですね。
その人を見ずに、肩書を見る。
目が曇らされてしまうわけです。

もちろん良い方向に働くことも否定できません。
(人を集めるのには、欠かせない要素でもあります)
けれど、とても怖いことだとも思いませんか?
対等であるはずのコミュニケーションが、
相手が有利なポジションからスタートしてしまう。
フラットな関係ではなく主従関係が成立することで、
コミュニケーションが歪められてしまうのです。

ぼくは昔、カナダに留学をしていたことがありました。
正直に言うと、上下関係や序列でがんじがらめの窮屈な日本から
「逃げた」のです。

3か月というとても短い期間だったけれど、
とても居心地がよかったのを、よく覚えています。
なぜだろう?
それは、国籍に性別、年齢・肩書といった「おじゃま虫」にとらわれず、
コミュニケーションを築くことができたからだと思うのです。

当時、ぼくは語学学校に通っていましたが、
ステイ先の最寄りのバス停から、毎朝バスに乗って登校していました。
ある朝、バスの中で一人のおじいちゃんと乗り合わせました。
人好きらしく、ずっと話しかけてくるのです。
でもこちらは英語が上手じゃないから(なにせ、語学学校に通っているくらいなので)、何を言っているのさっぱりわからない。
でも、あまりに楽しそうにしゃべりかけてくるので、
ぼくもニコニコしながら話を聞いていました。

そしたら、同じバスに乗り合わせていた韓国人のルームメート(男)に
あとで言われたんですね。
「おまえ、いいヤツだな~ ちゃんと話を聞いて」と。
ビックリしました。
ぼくは日本にいたときと同じように、話を聞いていただけなのに…
でも、うれしかったですね。
彼は、ぼくという人間をありのままに見てくれたんだなぁ、
と改めて思いました。

どこに行こうが、だれといようが、自分は自分。
でも、いちばん大事なのは、自分に正直でいること。
「おじゃま虫」を取っ払ったコミュニケーションこそ、人間関係の基本。
彼がそのように教えてくれました。
肩の力が抜け、日本に帰ったあとも、
以前より気楽にコミュニケーションが取れるようになったのです。

「おじゃま虫」にすがりたくなる気持ちはわかります。
だって、ラクですもん。
けれど、それを乗り越えない限り、
相手の生身の姿にたどりつくのは難しいと思うのです。
そうしてたどりついた相手の、新たな魅力に触れる方が、
よりステキだと思いませんか。

初めて会う人の肩書を、(心の中で)消してみる。
それだけで相手に対する見方も考え方も、
ちょっと変わるのではないでしょうか。
本日はここまで。
お付き合いいただき、ありがとうございました! 

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