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PL学園OBが活躍できる理由を論理的に分析してみた

 PL学園出身のプロ野球選手はPL学園硬式野球部創立62年の歴史の中で実に82名に登る。更にプロ野球の中でも超一流と呼ばれる名球会に入っているPL出身のプロ野球選手は七名。他にも強豪校と呼ばれる高校は全国にも複数あるのだが、これほど継続的に超一流を輩出している高校は他にない。

 なぜPL出身の選手はこれほど活躍するのだろう。筆者である僕自身がこの疑問をいだいたのが僕自身が中学生のときである。この疑問を解決したい!その思いを胸に僕はPL学園に入学することを決断した。

 実際にPL学園で3年間自分自身で経験したこと、そして卒業後、アメリカに渡り、スポーツ科学、心理学を勉強し、なぜPL学園出身の選手が活躍できるのかという自分なりの答えがでた。今回はなぜPL学園OBが活躍できるのかという理由を現代の科学的根拠を交えて論理的に分析していこうと思う。

 結論から言うと、PL学園のOBが活躍できる理由は3つ。1つ目がPLで野球と信仰を通して学ぶマインドフルネスの境地。2つ目が決して諦めないという気持ち(グリット力)とレジリエンス(回復力)の獲得。そして3つ目が能動的に学び続ける姿勢を培うということである。

PLで野球と信仰を通して学ぶマインドフルネスの境地

 野球のみならずすべてのスポーツに古くから言われている言葉がある。それは一流の選手になりたくば心技体を鍛えろ。ということだ。この言葉は漢字の通り、心を磨き、体を鍛え、技術を向上させろということである。確かに、どのジャンルのスポーツで活躍している一流の選手は心技体が洗練されている。それは誰が見ても明白なことである。
 しかしこの言葉にはあるトリックが隠されている。このトリックこそがいかに一流と呼ばれることが難しいのかに直結する。それが心の鍛え方である。心技体の他の2つである体力と技術の共通項はどちらの力も実際に可視化してその数値を見ることができるということである。

 体力で言えば如何に体が大きいかが野球では有利に働く。現在はその体力の強さを可視化する方法は多く存在する。単純な身長体重のみならず、筋肉量を表した除脂肪体重を図れてたり、体脂肪率、体内の水分量なども正確に計ることができる。この体のデータを使って自分のベストの体のコンディションを見つけ、その数値に近づけるようなトレーニングをしたり、必要な栄養素を取ったりすることができる。正しく強く体を鍛えるということは現代では非常に簡単である。だからこそ体を鍛えようと全国の高校生が躍起になってトレーニングを重ね、サプリメントを摂取する。数十年前と比べると高校球児の平均体重は年々上がっており、高校生の年代でフィジカルがプロに引けを取らない高校生もいるくらいだ。これほど多くの球児が体を鍛えることにフォーカスするのはひとえにすべてのデータが可視化、数値化が出来て、単純に分かりやすい、ということが主な理由だろう。

 体力の次にくるのが技すなわち、スポーツの技術である。技術に関しても各スポーツで確率された技術が存在する。野球のバッティングでは打撃時の打球速度、打球角度、スイングスピードが瞬時に計ることができる装置が開発され、現在ではプロのみならずアマチュアの世界でも続々とそういった装置が導入されている。そこから得られた統計により、どの角度でどのくらいのスイングスピードでボールをバットに当てればホームランになるのかということも実際に証明されている。従来では可視化しにくかったバッティングの技術さえも現代のテクノロジーを用いれば簡単にデータ化することができるのだ。

 またYouTube などの動画メディアの台等により、従来では知ることのできなかったプロの技術を無料で何度も何度も細かい動きまで見ることができるようになった。もちろん、知っていると出来るの違いは大きいが、一昔前なら、アマチュアの選手が知ることもできなかった高度な技術の情報が簡単に手に入るようになったのだ。

 このように、現代のスポーツ界では心技体の中で体力と技術に関するデータや情報を可視化することができることがわかる。しかし、いくら体力に恵まれていて類まれな技術を持ち合わせていてもスポーツの世界で長年に渡って結果を出せない選手がいることも事実である。その原因は心(メンタル)の部分にあると推測することができる。心(メンタル)の強度は可視化することが不可能で、よってそれらのデータも存在しない。しかし全員が知っていることとして挙げられるのが、「メンタルは強いほうが良い」ということだ。

 しかし、誰もメンタルの鍛え方は知らないので、とにかく苦しい思いをしたら良い、とかプレッシャーを与えればればメンタルを強く出来ると勘違いした脳筋の大人たちが子供を理不尽に追い込みその選手が競技をやめてしまうというケースが多々起きるのである。では、本当に心(メンタル)を鍛える方法は存在しないのか。その答えはNOである。PLでは、何十年も前から現代の科学で証明されているメンタルの鍛え方を宗教の信仰を通して実施していたのだ。ではどのようにPLでは可視化できないメンタルを強化していたのかをこれから説明していこうと思う。

全ては世界平和の為に

まずメンタルを語る上で非常に大事になってくるのが目標設定の部分だ。多くの強豪校が甲子園出場や全国制覇をスローガンに掲げて日々練習に励んでいる。しかし、PLでは一切、甲子園や全国制覇ということは口にしない。その代わり耳にタコができるほど聞かされたことが世界平和の為に野球をプレーしなさい。ということだった。甲子園もプロ野球も人生の通過点に過ぎない。世界平和というある種の究極論を掲げてプレーするPLの目標設定はPLの信仰に基づくものだ。

PLで日常生活に落とし込まれたマインドフルへの道

PL学園で心を鍛える場所はグラウンドではなく日常生活にある。自分自身、アメリカに来てマインドフルネスの勉強をし、それに関する文献や本を読み漁ると長年の疑問であった点と点が結びついた。現在、アメリカを中心に有名アスリートやハリウッドスター、有名実業家の間でもはや主流になりつつあるマインドフルネスの概念。マインドフルネスとは無我の境地に入り、一点のことに集中し最大限のパフォーマンスを発揮するための行動である。
従来では可視化できないとされてきたマインド(心)の強さを最新科学によって証明し、研究によって導き出された行動を取り続ければメンタルが安定し、強化されるということである。

マインドフルネスとは自己観察、自己探求、行動を通して、自分という存在の豊かさに触れ、自己や世界と調和して暮らす生き方である。

マインドフルネスの実践によってストレスが軽減され、認知的パフォーマンス、問題処理力、レジリエンス(回復力)が高まることが研究で明らかにされている。
 
マインドフルネスの実践は、ヴァルネラビリティ(自分の弱さ)の受容をもたらす。そしてそれが周囲の人々への思いやりや感謝を生むのである。


スタンフォード大学 マインドフルネス教室

マインドフルネスという概念はすでに形成されていて、各々が勉強をして、実践をすれば、その境地に達することが可能だが、それを高校生に強要しても達成できる可能性は非常に低い。そこでPL学園ではマインドフルネスの境地に入る為のメゾットを科学的アプローチではなく、宗教・哲学的アプローチによって生徒に無意識のうちに実施をさせている。

感謝に始まり感謝に終わる

PLでは何より”感謝”という気持ちの表現を最優先される。PLでは「〜した」という言葉を使わない。打った、投げた、勝ったという表現は使わず、打たせて頂いた、投げさせて頂いた、勝たせて頂いたと表現する。いつでも謙虚に傲らず生活するということを言葉から体現している。この感謝の言葉の体現が実は上下関係の厳しさに通じてくる。PLには先祖の徳を敬うという言葉があるが、その真意は今の自分が在るのは先祖のおかげ、今の世界が在るのは先人のおかげという意味である。よって年上の方を敬うことにつながって、その敬う態度どして、敬語を使ったり、先輩のお世話をさせていただくのだ。

献身(みささげ)

 PLには献身という風習が存在する。献身では、落ちているゴミを拾ったり、落ち葉を掃いたり、部屋をきれいに掃除したりとごく当たり前のことを徹底的に気がついたら行うという風習である。ここでも掃除をするとは言わずに掃除をさせていただくという言葉を使い、自分の為にではなく、他人の為を思って丁寧に掃除をさせていただく。マインドフルネスのことを勉強してからは、この献身が特にマインドフルになるための大事な行事だったことが理解できた。掃除という普通は人が嫌がることを自ら進んでで行い、毎日毎日それらを繰り返すことで、無心で掃除に集中することが出来る。それをPLでは無の境地と呼ぶ。献身には、PLの先輩である、現中日ドラゴンズ監督の立浪和義さんと現中日ドラゴンズ二軍監督の片岡篤史さんの逸話が有名だ。片岡さんがPL時代、不審にあえいでいた時、当時キャプテンである立浪さんが片岡さんを誘い献身で毎日朝5時に起きて大会まで毎朝グラウンド周りの落ち葉を掃き続けたのだ。それによって無の境地を見た片岡さんは復調し夏は見事4番に返り咲き、PL の春夏連覇に大きく貢献された。(このエピソードはYouTubeや多くのメディアでも語られている)

 その行為自体が、実はマインドフルネスになるためのメゾットの一つであり、毎日落ち葉を掃くことでマインフルの状態に入り、試合で圧倒的集中力を発揮し、打席ではゾーンに入ることができたのである。

掃除、食事などの場面において、集中と観察を意識しながら、それ -5- 進化心理学からみたマインドフルネスの現代的意味 を行うことで、マインドフルな状態になることが可能である。マインドフル ネスをフォーマルな形式で実践している人は決して多いとはいえないが、多 くの人はマインドフルな状態を好み、程度の個人差はあるものの、イン フォーマルな形式で無意識的に日常生活の中で実践しているものと思われる

進化心理学からみたマインドフルネスの現代的意味


朝参り、夕参り

PLでは朝と夜に決まった時間にお参りをするという風習がある。毎日同じことを繰り返すルーティンで、式典の中では、祈りをして、経典を読み、先生のお話を聞かせていただく。当時はルールで全員が強制参加だったので、義務的にこなしていたことも多かったが、この式典にもマインドフルになり、メンタルを今日かするプロセスの一貫だったと後に気づいた。日本では無神教の人が多く、祈るという行為は日常的には行われないが、こと欧米では毎日何度も人々が祈るシーンを見ることができる。また欧米ではほとんどの人が何かしらの宗教を信仰していて週に一度、教会に行き、祈りを捧げることは彼らにとって日常である。これほど世界で祈りが行われているのにはやはり科学的根拠が存在する。実際に祈りを捧げることにより、ストレスが軽減し、メンタルが安定向上し、豊かな生活を送ることができるというエビデンスも多く発表されている。PLでは練習前、練習後にもこの祈りを感謝の気持ちを込めて行う。練習前、練習後に祈りを行うことで、オンとオフのスイッチの切り替えに大きく役に立つ。

「祈り」をしたときには脳内に脳内活性化物質が分泌される。
その一つがベータエンドルフィン。これは免疫力、集中力脳内物質である。
良い祈りをすることでこれらの脳内活性化物質が分泌される。そしてそのことは祈る人たちの脳と心を良い方向へと変化を促す副作用なしの天然の精神安定剤となる。科学的に見ても「良い祈り」を習慣化することが正しいとされている根拠の一つだ。


脳科学からみた「祈り」

アミュレットとおやしきり

 PL学園の野球部が試合中に胸に手を当てているシーンを目にしたことはないだろうか?実はPLの生徒は全員、アミュレットというお守りを首からかけていて、一日中それを身に着けている。試合中だけでなく、練習中、学校、私生活でもだ。そしてPL式の祈りの言葉がある。それが”おやしきり”という言葉である。キリスト教で言うところの「アーメン」仏教で言うところの「波阿彌陀佛」に当たる。試合中、打席に入る前や、守備位置についた時にPLではアミュレとに手を当てて、「おやしきり」と心の中で唱える。

 このPLの選手が試合中に胸に手を当てる効果はPL側だけでなく相手にも影響を及ぼしていると感じた。まるでラグビーのワールドカップでニュージーランド代表のオールブラックスが試合前に舞うハカのように相手に異様感を与える。上記にもあるようにPLの選手はいつもこのアミュレットを身に着けていて、練習でも胸に手を当てておやしきりと唱えている。この動作もPLの選手からしたらルーティンになっていて、試合で最高のパフォーマンスを発揮することに繋がっている。試合中、様々なことが頭をよぎる。大事な場面、この打席打つことが出来るか、球種は何か、この打者を抑えることが出来るか、試合中様々な雑念が頭をよぎる。そんなときに祈りの言葉であり、更に辞書にはその意味が存在しない、おやしきりという言葉を心で唱え、胸に手を当てることでその雑念は消え去り、ゾーンに入ることができる。PLの選手が大事な場面で結果を出すことができたのはこのルーティンの効果がとても大きいだろう。

そもそも釈迦が悟ったことは、「不幸とは、自分自身の思考が作り出しているものにすぎない」ということである。だから単純にその思考を停止すれば、不幸は止まるということになる。不幸を生み出している思考を止めることはそう簡単ではない。「考えてはいけない」と言われると。「考えてしまう」のが人間である。そういとき、「考えてはいけない」と考えてしまう問題をどう考えればよいのかという命題について哲学的思考を徹底的に積み重ねるのもよいかもしれないが、人によっては差し迫った状況もありうるだろう。もしくはそれを考えているだけで、一生が終わってしまう人もいるかもしれない、だったら1000の言葉を使って小難しいことをゴチャゴチャ考えるよりも、たったひとつの言葉を繰り返す方がよっぽど有効である。

南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

難しいことは何もない。同じ言葉を一心に繰り返すことにより、雑多な思考の雲が晴れ、混乱に満ちた精神状態が収まっていく。そして混乱が収まった結果、釈迦の境地に到達出来るかもしれない可能性が出てくるのだ。

史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち


アミュレット(本人実使用)
アミュレット(本人実使用)
アミュレットに手を当ておやしきりと唱える
アミュレットに手を当ておやしきりと唱える


決して諦めないという気持ち(グリット力)とレジリエンス(回復力)の獲得


グリット力とレジリエンス

 PL学園の野球部にはいつしかこんな異名が付けられた。「逆転のPL」PLは序盤、中旬で負け越していても、終盤戦、もしくは最終回で逆転をして勝つことが異常に多かったのだ。特に大舞台になるほどその傾向は多く見られた。これは偶然の産物なのだろうか。いいや違う。これこそPL学園で培われたグリット力の賜物である。

グリット研究の第一人者である、心理学博士のキャロライン・アダムス・ミラーさんの著書・実践版グリットによると、GRITのことを以下のように定義している。

グリットとは高い目標に対する情熱的な追求であり、周囲の人々の畏敬の念を引き起こし、より良い人間へと成長し、精神的な持続的幸福を獲得し、ポジティブなリスクを冒し、最高の人生を送りたいというモチベーションを引き出すもの

実践版グリット

グリットとは生まれ持った才能ではなく、後天的に得ることができる才能だと定義されている。それには失敗を恐れずに挑戦をして、長期的、継続的に努力を続けていく必要がある。

ではこのグリット力をPLではどのように培っているか。その答えはPLの寮生活に在る。PLの寮生活はこれまで何度もメディアに取りだたされ、世間ではただただ厳しい、理不尽な寮生活だと取りだたされているが、実際の真意はそうではない。もちろん厳しさはあるが、その厳しい寮生活を通して、得られるものはレジリエンス(回復力)の獲得である。レジリエンスはグリット力と密接に関係していて、レジリエンスを向上させれば、必然的にグリット力も向上するのである

 自分自身、PLの寮生活で得たグリット力とレジリエンスは社会に出てから特に役に立っている。PLの1年生の頃にこの世の理不尽の果てを経験したように思う。厳しい練習でヘロヘロになって寮に帰り、そこから最大で先輩の練習用のユニフォームを4セット手でこすり、すべての黒土を落とす。その後に数名の先輩のマッサージをして、さらに夜食まで作る生活をほぼ一年間やり通す。こんな生活をやり遂げると、社会にでて周りが言う理不尽は到底理不尽とは思わない。

心理学におけるレジリエンスとは、社会的ディスアドバンテージや、己に不利な状況において、そういった状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力と定義される 。自己に不利な状況、あるいはストレスとは、家族、人間関係、健康問題、職場や金銭的な心配事、その他より起こり得る 。

wikipedia 参照

つまり寮生活によって、理不尽な状況をあえて作り出し、その環境下で耐えられる術を身につけた時、PLの選手たちは皆レジリエンス力を得るということに繋がる。また、そのレジリエンス力を使い、野球の練習に役立てる。何度失敗しても出来るまで続ける、成功させるまで終わらない。怪我をしても必ず復帰して見せるという強い意志を獲得することができる。つまり何度失敗してもなんどでも立ち上がり、成功するまで続けるという成功の王道パターンをグリットとレジリエンスの獲得によって身につけるのだ。

このグリット力とレジリエンス力は高校時代にのみ使われる力ではない。むしろく高校卒業後、社会にでてから大いに役にたつものだ。それを証明するのが、PL学園卒業のプロ野球選手の選手寿命の長さである。特に名球会に入られた七名ものPL学園OBの方々の凄さは、その能力ではなく、現役の年数にある。

加藤英司(阪急~広島~近鉄~巨人~南海)(通算19年)
[通算] 2028試 率.297(6914-2055) 本347 点1268

新井宏昌(南海~近鉄)(通算18年)
[通算] 2076試 率.291(7011-2038) 本88 点680

清原和博(西武~巨人~オリックス)(通算22年)
[通算] 2338試 率.272(7814-2122) 本525 点1530

立浪和義(中日)(通算22年)
[通算] 2586試 率.285(8716-2480) 本171 点1037

宮本慎也(ヤクルト)(通算19年) 
[通算] 2162試 率.282(7557-2133) 本62 点578

<遊撃手>
松井稼頭央(西武~メッツ~ロッキーズ~アストロズ~楽天~西武)(通算24年)
[日米通算] 2543試 率.285(9492-2705) 本233 点1048 盗465

福留孝介(中日~カブス~インディアンス~ホワイトソックス~阪神)(通算23年)
[日米通算] 2462試 率.283(8456-2395) 本322 点1240

上記の選手がPL出身の名球会を果たしている選手で成績に目が行きがちだが、最もすごいのはその現役生活の長さにある。ほとんどの選手が役20年間現役でプレーをしていて、常に第一線のところで活躍をされている。20年もの間現役でプレーをしていると、普通はどこかで大きな怪我をして現役を退いたり、成績が低迷して引退を余儀なくされたりするものだが、上記の選手にはそれがない。もちろん怪我や、スランプはあっただろうが、それを克服しての2000本安打の達成なので、メンタルが如何に強いかがわかる。

怪我をしてもスランプに陥ってもなんとしてでも這い上がるという強い意志(レジリエンス)と2000本を打つまで現役を退かないという強い意志(グリット)があるからこそなし得た偉業であることは否定しようがない。


能動的に学び続ける姿勢を培うという練習スタイル

PLの練習というと一日に何十時間も厳しい練習をしているとイメージされる方も多いと思うが、実はその逆だ。平日の練習時間は2〜3時間で、休日でも5時間ほどしか練習をしない。しかも、練習のメニューはほぼ固定されていて、コーチや監督たちも練習中に声を荒げて練習をストップさせることもまずない。ではPLではどのような練習に力を入れているかというと、その答えは自主練習にある。全体練習でみつけた課題を各々がメニューを決めて、各自自主練習を行う。そこには首脳陣は一切介入せず、選手たちが自分たちの頭を使って練習しなければならない。

 自主練習で一番必要になってくる力は自己分析能力だ。今の自分の実力を客観的に見極め、自分の得意な分野、苦手な分野を客観的に捉え得意を伸ばす為に時間を使うのか、苦手をなくす為に時間を使うのか、そのための練習メニューは何を構築するか、次回配分はどうするかをすべて自分の頭で考えて行う必要がある。この頭を使った自主練習の時間がこれまでPLがPLであることをたらしめている一番の要因なのだ。

 この主体的練習法はすべての分野に応用が効く。近年、勉強においては教師から言われたことをただ受け身で行う受動的勉強から生徒が自ら考え、行動する能動的勉強法(アクティブラーニング)の必要生が強く説かれている。PL時代に染み付いた能動的に練習をするという考えが、社会にでて役に立っているというPLOBの方の話はよく聞くし、プロで活躍されたPL出身の選手たちもプロに入ってからも能動的に頭を使い、練習をしてきたからこそ長年に渡ってプロの第一線で活躍が出来たのだろう。

教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入 れた教授・学習法の総称。 学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的 能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。

新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)
(平成24年8月28日)用語集より

PL学園野球部、再建と復活の鍵となるのは

 最後に、2016年から現在まで休部状態になっているPL学園硬式野球部のこれからについて書いていこうと思う。OBである僕たちを含め、全国のPLファンの皆さんがPLの復活を待ち望んでいると思う。ただ、PL復活について今の所言えることは、分からない。この一言に尽きる。やはりPLは母体がPL教団にあるため、教団に決定権がすべてあり、そこにはOBであろうが介入することは出来ない。

 PL野球部の復活をただ指を咥えて待つのではなく、なぜPL野球部が教団によって休部にさせられてしまったのか、について我々は熟考しなければならない。そもそもPL学園野球部は、PL教団によって、PLの信仰を野球を通して学び、将来的に世界のリーダーとして活躍出来る人材の育成の為につくられた。それゆえ信仰×野球の掛け算で心技体を鍛えるものだった。ただ心を鍛えるためには心にもある程度のストレスをかけなければならないので、そのために生まれた風習がPL野球部の厳しさに繋がっている。しかし、時代と共に伝統は湾曲していった。厳しさと暴力は似て異なるもので、当然だが、PL教団の教えとし暴力は一切容認していない。ただ、あまりにも大きく巨大な勢力になりすぎたPL学園硬式野球部は時代と共に独自の伝統を作り出し、時代と共にその伝統は受け継がれてきてしまった。その中の諸悪の根源が暴力の伝統である。

 PLのOBの方々は口を揃えて、今までの良い伝統は残しつつ、悪い部分排除をしてPLを復活させたい、というがそれではあまりにも抽象的すぎる。この抽象度具合がまだPL復活を教団側が首を当てに振らない一番の大きな原因だろう。我々が真っ先にしなければならないことは、暴力の完全撤廃である。そこは自分たちの非を認め、暴力は決しておきてはいけない、暴力を振るった生徒は例外なく退学、くらいの規定を作らなければPL硬式野球部の復活は難しいだろう。仮に復活したとしても歴史は必ず繰り返す。PLの教えはこの記事でも書いたとおり、メンタルを鍛えるには最適な方法論である。それゆえ暴力を完全に撤廃し、教団側の思いを完全に汲み取ることができればまたPL野球部は必ず復活する。日本の高校野球界を引っ張り、プロ野球を席巻するのはやはりPL学園でなければならない。













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