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摂食障害を経た私の容姿への考え方


世の中の人は自分の考え価値観があって性格があって
何を綺麗と感じて、美しいと捉えるかもそれぞれです

それぞれの美的感覚があって自由で、それを否定しない
それが多様性なのかな?私はそれで良いなって思う

だけど、反面に私の価値観の中でNOとなるのが
痩せへの助長と思われる発言やマーケティングの仕方

痩せてる事が悪い事じゃないですよ
それも個性だからね
(病気だったり不健康なら、身体的には悪い事ですが)

痩せている事が「美しい」の枠で基本であるかのような
それ以外の体型に対して辛辣な言葉も存在していている
そんな痩せ=美 のような感覚の存在に嫌悪感を抱きます




価値観の植え付けがSNSなどを通して目立っていて
それを鵜呑みにしちゃう人が増えている
だから私の中の美的感覚がNOとしてしまうのです


痩せてる人もいればふくよかな人もいて普通の人もいる
筋肉質の人がいて背が低い人がいて背が高い人がいる



もっと、世界を見れば肌の色の違いなんて当たり前だけど
「人と違う事」を「特別」としていないから
その違いで、その人自身の価値を判断する事はありえない


日本はどうでしょうか?
小さな頃から同じ黄色人種の中で生きてきたから
見た目の違いが「小さな枠」の中で目立ってしまいがち


仕方ないでしょ、日本人だからっていう言い訳は
もう通用しなくなってきているのが現実問題かなと

多くの若い子が容姿ばかりに価値を置いてしまう
(無意識のうちに意識させられる)
それが全てだと思ってしまう子がいる


ダイエットが当たり前の努力として評価されていて
摂食障害が増えているのは、明白な事実です

これを、問題だとしないのは何故でしょうか
私は訴え続けたい、見た目が全てなの?人の価値なの?

どこかで声を上げてる人はいるのかもしれないけど
私はあまり見ないし元当事者です、の人が多い気がする

なのでこんなpostをしてみました


少し話は変わるけど、ダイエット=努力 →評価
これも、どうなのかなって思う

努力って+a みたいなところがあるじゃないですか
何を犠牲にして、努力して何かを成し遂げるかは自由
これも、否定をしてはいけないと思うし凄い事です

だからダイエットして健康的になったり
病気の症状が軽くなったりする人もいて
簡単じゃないから、凄いねって思いますよ

ダイエットが悪じゃないけど
さっき書いた容姿の呪縛が存在するから
そういう為のダイエットには異議ありです


でも、+a だからね
皆んなが同じ力量じゃないし、得意不得意があるし
その先に叶えたい事や達成したい事も違う
同じ努力ができないのはダメな事じゃないと思いませんか


まずそもそもの人としてどういう人なのか?
人柄、考え方、その人の持つ魅力があると思う
そこに+a があるだけで、って私は考えてる

凄いお金持ちでも性格が悪かったら私は嫌ですもん
どうせだったらめっちゃ良い人がお金持ちでいて〜!


私は私の人柄があってそれを好いてくれる人がいて
+a の努力も本当に自分がしたい事だけをしている
無理したり我慢したりはある程度、必要な事だとしても
自分の体を傷付けたり、心が壊れる程追い込まない

もっと言えば、その先の評価を求めない事
自分が満足できたらそれで満たされる感覚があるから

それは回復期の中で覚えた「心の満足」です

他人の評価を気にしたり他人からの評価で自分を評価する

他人に振り回されるのは単純に疲れるし当てにならない
一瞬嬉しくても、結局いつも一緒なのは自分の心
自分が自分を褒められなきゃ、なんか、もったいなくて


もし、痩せている事が美しいんだと思っていたり
それが自分に当てはまらない事で
自分って醜いと感じてる人がいたら一度考えてみて欲しい

周りの好きな友達や家族やらが容姿が変わったとして
嫌いになるとか魅力がなくなるとか
そんな風に思ったり、距離を置いたりしますか?

皆んなの好きな友達や家族やらに思う気持ちを
自分にも思ってあげて下さい
もっと自分に優しくしていいんだよ〜と思う



という話





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