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繊細で傲慢な私の "傲慢さ"

こんにちは。私は摂食障害はじめ、精神疾患経験者で経験談から考え方、メンタリティーについて X @mgmgpai で質問やお悩みを頂いて Ameba blog @konpaichan でお答えさせて頂いています。

はじめに

私は自分の性格を言葉に表すと「繊細で傲慢」と表現するのが、しっくりくるなと思います。これまでにも、そんな性格だからこその考え方を書いてきましたが、今回は「経緯」である私の人生の「ポイント」これまでにどのように、傲慢さが構築されていったのか?を、振り返るnote。

7000字近くあるので、目次参考に読んで頂ければと思います、長過ぎました。



恵まれた環境

「恵まれた」とはどこかで振り返った時に人がそう感じるものであって、形も種類も異なると思います。初めから自分の置かれた環境に恵まれているかどうか?で判断していることではないと思いますので、これは今の私が過去を振り返ると「恵まれているな」と感じているということです。

具体的に何に恵まれていたか?

家族。父母と私の3人家族ですが、祖父母、母の姉や父の兄弟(親戚一族)皆んなとても仲が良く距離も近い関係でリッチな生活を送っていた幼少期

自慢、とかに見えるかもしれませんが認めざるを得ないほどに事実であるので不快にさせたらごめんなさい。私の父は自営業なので経済的余裕はありませんが、祖父が家族経営している会社が「儲かりすぎている」ので私は幼少期から当たり前だと思っていた家族との、食事や旅行など、振り返ると「贅沢小娘ライフ」だった訳です。

例えば、日本に二箇所の別荘。夏と冬には家族皆んなが集まれるように祖父は購入した「別宅」がありまして、当たり前だと思っていましたが自分が働いてみて、分かる「すげー」の気持ち。

ランチやディナーは椿山荘をはじめとした「有名ホテル」で、三越日本橋店が私のイオンでした。(自分で書いていて不快なので、もう一度謝ります。ごめんなさい。)

三越に入ると、知らないお姉さんに別室で遊んでもらい顔パス状態。ホテルのフロントマンも、私の遊び相手のお兄さん。

小さい頃の写真に映る私は、頭からつま先でハイブランドで外車の前で抱っこされている写真ばかりなのであまり人に見せたくない感じ。しかも記憶にあまりないし。そんなくらい私は「規格外お嬢」として幼少期を過ごしていたのです。

大前提に、それが成り立ったのは祖父の努力と家族の仲の良さですね。何より恵まれたのは兄弟がいない(できない)私にとっての兄弟のような親戚の存在でした。叔母の子は皆んな10歳以上も歳が離れているけど、妹のように可愛がってくれました。

このように、小さい頃から日常に恵まれていた私ですが今はお金に余裕もないし祖父の経済力の恩根は受け取らないつもりであります。理由はまた後に書きます。

また、父母も長い不妊治療の末に生まれた子である私に対して沢山の愛を注いで育ててくれた事も今では「自覚・恵まれている」と感じています。

ここを切り取ると、ただ恵まれていて何一つ不自由のない生活を送る小娘話に見えますが当の本人である私は当時から「個性爆発」していたので多くの不満を抱えながら生きていました。

先程も書いた通りに、今振り返って「恵まれている」と感じられるのであって思い出の渦中は決して満たされていた訳でも、順風満帆でもありませんでした。


苦手が多すぎて自我に振りわされた幼少期

ADHDと診断される私。五感の繊細さに周りがついてこれない。苦手に振り回されて自己主張能力に長けた人格が構成される。

私が幼少期にADHDと診断され人より五感が繊細なのは後から知る事実で、幼少期の私は「特別」の自覚もありません。故に自分の自我に振りまされた挙句には「誰にも理解されない」と孤独感を感じます。そして「理解してほしい」という強い願望に代わり、自己主張(わがまま)が上手いしやり方も強引な私に変わっていきました。


まず、皆さんに五感が敏感とはどのような事かを今は説明できる私なので知って頂きたい。

1番苦しいのは「匂い」嗅覚です。あり得ないほど、匂いがダイレクトに入ってくるし嗅ぎ分けられるし、覚えてもいる。遠く離れた場所や他人から香る匂いまでも、察知する鼻。犬なんです。

幼稚園の教室は、色々な人の家の匂いで充満され、そこで皆んなのお弁当の匂いが入り混じり泥の匂いや工作の粘土の匂いが相まってご飯が「美味しくない」にまで変換されます。

小学校は遠距離通学の為「片道2時間」の電車やバスでの移動の毎日だったのですが、幼稚園時代には嗅いだことの無い「異臭」から沢山の他人の匂い、電車やバスの独特な匂いが「頭痛と吐き気」に変わります。

他にも「耳」が良過ぎて聞こえたくない会話まで耳に入ってくるし、車やテレビの光も苦手。生きるの、難しいんです。だから、傲慢にも強くいないと生きてこれなかったんですよ。

小さい頃は、食欲がなく親が小児科の先生から「幼児虐待」を疑われるほど痩せていたし嗅覚が敏感なので食材へのこだわりも異常でした。

だから「これ食べなさい」と、怒られながらの食事でしたが、「嫌なもんは嫌」を主張し続けて「偏食」でしたし、怒られるとか強要されているという場面にも慣れてしまい、5歳で「怒る大人を俯瞰で見る」という能力が身に付いてしまいました。(食事の場面で怒られることが多かったので、何度も怒られていましたからそりゃ慣れます)

怒られても動じない、泣かない、なんか子供としての感情が欠けている様でした。

学校もこの五感の敏感さが理由の一つで不登校(登校拒否)にもなりました。小学校3年生でした。

友人や先生にはとても恵まれていて「楽しい場所」ではありましたが、学校に辿り着く前に「気分が悪い」がデフォですよ、6時間の時間割を熟すなんて気にもなりません。

行かなくても、私は生きていけます」と堂々としていないと学校に行けない私をダイレクトに否定したくなって傷付く事が怖いから「正当化」をして周囲にも、そう理解を求めました。傲慢さは、良い意味で自分を守る手段です。

1番の問題はこれを説明する能力もないし、他人も皆これくらいに「気分が悪い」ものだと思っていた事です。どこかで、「理解されないな」と感じていたけど、どこかで「理解できるよね?」の気持ちがあったから、自己主張というわがままを、手や足を動かす前に、頭で考えもせずに体現して自我を突き通し(強制的に)理解してもらうように思考が変換されていきました。

「分かってもらえないのなら、とことん分かってもらおう」手段選ばず、後先考えない。これが傲慢の始まりです。

正当化を初め、私が不登校だからこそ味わえるであろう娯楽に浸り、満足・充実を楽しんでいるように「努力」していましたし、自分の不甲斐なさを掻き消すために、特技やスキルを芸能の仕事で一囓り程度ですがやってみて手に入れてみて、過大評価を自分に与えたりもしました。

でも、どこか繊細なので満たされない心や、親への申し訳なさ、それが心の凹みになっていきます。

不登校期間にはストレスから、虐待を疑われる程の栄養失調から肥満に変わりますし、抜毛症も併発します。

傲慢だったな、と思うのはやり方や思考の部分ですよね。抜毛症なのに、不登校なのにすごく堂々としていて(良いことなんだけど、繊細さもあって精神疾患になってるからね?)自信たっぷり、我が道を行く、我が人生最高と思っていた(思い込んでいたのかな)のです。めちゃくちゃに都合よく生きていたし、良いとこ取りしていた。人生を謳歌させる天才児にもなれたのが私の傲慢さです。


先程、恵まれた環境について書きましたが”ホテル”だから”別荘地”だからは関係なく「嫌なもんは嫌」なので、外車の独特の革の匂いで嘔吐しながら、苦手なオムライスしかないホテルのお子様メニューを食べに行く休日は悶絶ものでした。

これは五感には関係ありませんが、親戚兄弟の影響も私の傲慢さを語るには欠かせない話題。
最低でも10歳差の姉とヤンキーの兄2人。姉もギャル☆(^o^)☆でしたから、とにかく「マセガキ」でした。同年代の子の流行りは興味もなかったしおままごとを見下していました。だから、誰かと同じように心から年相応の青春や楽しみを謳歌できなかったんです。

おままごと、今の方が全身全霊で楽しめる自信ある。


そんな幼少期からの今、恵まれた環境と思えるのは沢山の経験から自己理解と私らしい生き方を身に付けて、振り返って初めて抱けた感情です。とにかく自我に私も家族も振り回された今まででした。


非行少女期で学んだ傲慢さの魅せ方


これまでにも少し、非行少女期について触れていると思いますが具体的なエピソードはここでは書きません。想像でお察し下さい。

家が恵まれいるからこそ、感じる孤立感。品を重んじられ、個性を抑制させられてきた故の反動でグレるなど。恵みを素直に受け止められませんでした。

個性の大渋滞、大洪水が通常の非行少女期の日常で学んだのは「私にしかない個性」をいかに魅せていくか?でした。

私は私。だけど、誰かをケツもちにしないと誰も私を認めてくれないし評価もしてくれない。自我が強過ぎても弱過ぎてもだめ、評価に値する「肩書き」が必要とされる現代社会より厳しい「チーム・非行」

「何はできるんだい?何人ケツもちがいるんだい?」今の社会生活、就活より厳しい「自己アピール能力」が必要でした。

幼少期に培った自我の強さを活かして最初の波には上手く乗りこなせたのですが、次第に求められる肩書きの多さと、その肩書きの「視野の狭さ」と言いますか、私からすると「くだらない張り合い」が、私の自我を疼かせます。

それでも、学校に行くよりも家に帰るよりも、まだここの方が私を受け入れてくれる気がして欲しくもない肩書き作りに励む日々を送ります。

これを、環境依存。考え方の選択肢の少なさ、視野の浅さとも今は捉えています。「これしか私にはない」と、思っていたんです。本気で。

そんな内に自尊心も肯定感もなくなり、自分に何枚も嘘を重ねた自分を演じながら「他人を生きている」ような感覚になります。これができてしまうのが私の傲慢さです。

どんな場所に行っても誰とでも仲良くなれる(でも相手の事は嫌い)どこでも偉そうにしていられる(別に望んではいない)みたいな。

ここから、どこかで他人の評価を気にしてしまう私や繊細さが芽生えて、いつしか開花した「心の凹み」の先には枯れるしかないストーリーが待っています。繊細さがあるのに、傲慢っぷりが凄まじいので、凹みも深まります。

非行期に出会った恋人からDV・半監禁被害を受け、我に返り「非行少女」の幕は降ります。

この方と恋人関係の時に「摂食障害」を発症しています。別れてからピタッと寛容しましたが、後にまた再発します。

非行期は終わっても、幼少期のような自己主張とは違う自分になった事や経験が心の凹みとなって私の心は変わってしまいした。

でも、一貫して言えるのは「傲慢さ」があった事。故に、凹みが大きく目立ってしまったという事です。

非行少女期には沢山の家庭環境を目にして、良いも悪いも自分なりに感じていきました。自分の家族は、確かに恵まれているかもしれないが「私と相性が悪い」としか思えないし、私にとったら「悪い方」だけど、いかに恵まれているかを読んだ方なら分かる様に「それでもいいやん、文句言うな」くらいの環境であった為、我慢、抑制に苦労したんです。

なので、絶対にその恩根を受け取らないぞ。と、反抗心は立派に育ちましたし、成長の合間に祖父は現役引退、父は病気に。「リッチ少女」も束の間の話で、今は私も経済面を支えているんです。今も恩根で豪華な暮らしを垣間見る瞬間はあるけど、高卒で大学に行かずに社会人になり家族を支える役を担ったのです、ずっとお金持ちとか苦労していないとかではないからこそのギャップもしばしば感じます。


傲慢さがない人間っているの?

単純な疑問。誰しもわがままさや、自我の強いこだわりや譲れないプライドなどありますよね?それが私の傲慢さで、その割合が大きかったのが私なのかと思う。

皆さん、自分が「自我や自分が分からない」と仰る方が多いのですが何かに悩んだり不安や不満を抱いたり、それが怒りに変わったりするのは「自我という傲慢さ」がある証では?と、私は考えます。

皆さんも、私も社会という枠組みや協調性を求められる集団で生きる人間だから「折り合い」をつけたり「妥協」になったり「諦め」をつけて自我や傲慢さをコントロールしているのであり、「ない」ではなく「あるけど出さない」だけな気がします。

私は、繊細(五感は敏感なのも世間や他人を意識する癖)が大きすぎる傲慢さにより、更に繊細さを脆くさせて、どこかでコントロールできなくなった傲慢さが、繊細を刺激して摂食障害という精神疾患、痩せという目的に突っ走ってしまったんだと思います。

なので、繊細で傲慢な私の経験談から皆さんにもある傲慢さは「バランス」を保たなければ、良くも悪くも傾いて偏ってしまい「制御不能」になってしまうと思うんです。


我慢のし過ぎも、心の負担になるし反動で爆発したり自分や知らない誰かまでを傷つける爆弾になってしまったり。

傲慢の露出度もチラ見せ程度でないと、他人に勘違いされたり本音を汲み取ってもらおうにも傲慢さが先行して伝わらなかったり。

だから、総じて「何事もやり過ぎはダメ」の理屈になると思います。私もそうだけど、皆さんも、どこかにある傲慢さと自分の中のバランスを保ってほしいと思います。


最後に傲慢からの意見

傲慢さは自分を守ったり困らせたりするけど、1番怖いのは誰かを傷つける事。人はミスをするので、失敗に囚われる必要はないけど無意識で人を気付けたり、その連鎖で社会問題の一因にならないようにしよう。

私はこれまでもこれからも傲慢さを持って生きていくと思います。これまでに経験したことから、学んだことを活かして良いお付き合いをしていける気がします。

結局、自分に無害であれば他人様にもあまり影響がないのですが、自分にも有害で不利益で迷惑な傲慢さは他人様にも同じような影響をもたらしている事もあるのです。

無意識、つまりは思考であり価値観であり性格なので変わる事は難しくても先程書いた通り、コントロールとバランスが肝心なのだと思っています。無意識は、自分で気が付くのはとても難しい。だから失敗して学ぶんですよね。

無意識にも人を傷つけることは誰にでもあってしまう事ですが、たまに傲慢さとは意図的に誰かを攻撃したり、自分を守る手段となりそれが他人様の犠牲の上に成り立ってしまうのです。

例えば、「痩せている方が美しい」も一つの価値観で自由なのですがそれが全員の価値観ではない事や、「自分の自我」である事はある程度大人になり色々な人と関われば、魅力や美しさは容姿だけではない事は理解しているかと思います。

それを「押し付け」価値観の強要であったり自分の自我の枠から外れた人間と捉えているだけで言動の節々に、生き様となって現れて特定の相手や周りの人、SNSでは世界の人々にまで影響をもたらすんですね。

それが徐々に偏見になり、社会問題にまで発展していく自覚をみんが持たなければならないと思います(これも傲慢ですよね、多分。)

でも、現実です。被害者だという方も多いのでは?

私もおままごとを少し見下していた時期や、青春を俯瞰で冷めた目で見てしまっていたあの頃は誰にも「一緒に遊ぼう」って誘われなかったし、同年代の友達と、結局自分が距離を作ってしまっていたんです。

だから、どこかで逃げるように、鎖国のように孤立死にようにも仲間を見つけて過ごしていたけど、そこにあるのは本来自分が望んでいた青春でもなければ「幸せ」も「充実」もなかったと思います。

そして、なぜか運良く友人には恵まれましたがきっとどこかで私はたくさんの人を傷つけてしまっていたと思います。

摂食障害になり、親友達に涙ながらに「私達の大好きなmaroの面積が地球から少なくなって悲しい」とか、学校辞める時も、沢山の友人に黙ってやめてしまって傷付けたり。その姿を見た誰かの影響にもなったし、親や先生にも迷惑かけたし、失敗や後悔は数えきれないくらいにあるんです。

その分、私も傷付き失敗から学んできたんです。そのままにしない事を選べた私に自画自賛、万歳。

これからも、同じです。完璧はないので、またどこかで傲慢さが誰かにむいてしまったり、自分を苦しめるかもしれないけど、どこまでも成長過程だと思って(傲慢な前向き思考ですみません)まずは、自分らしくこれまでの経験から出来上がった今の自分を愛していこうと思います。

自由解釈なので、これはただのどこかにいる繊細で傲慢な私のこれまでの傲慢の過程と今の考えとして読み終えてどこかに置いておいて下さると嬉しいです。





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