✴︎三度の精神疾患を乗り越えたMIND✴︎
私は幼少期にADHDと診断され、その後小学校3年生で登校拒否、不登校期間に「抜毛症」を発症。寛容までに6年。
その間に「鬱病」も患いながら、自然完治したものの同時に「摂食障害」になります。摂食障害は回復まで4年間でした。
なぜ、私は精神疾患を発症する「性質」なのか?をこれまで考えてきた結果に、摂食障害から学んだ事があります。
それは「私の当たり前を、自分がよく理解していなかった」という事です。
振り返ると、私はまだ22年しか生きていない。精神疾患になったのも小学生〜社会人までの間に繰り返してきた。要は幼かった時期に、精神疾患を抱えていた訳です。
ADHDという生まれ持った個性が「精神疾患」を発症させたとは思っていませんが、人とどこか違う個性が自分の理解を邪魔していたんだと思います。
「ADHDだから」というのは一概に言えなくて、個性は人によりけりだから、それよりニュアンス的には「私だから」という、私だけの私なりの考え方や生き方があって、それを自分という器が理解できなかったから、他人と違う自分に対して、他人というフィルターを通してしか見て判断する事ができなかった、というのが精神疾患となる要因だったかも?これが今の結論。
小さい頃の記憶ありますか?自分のアイデンティティーなんて持っていましたか?数十年生きているとしても、そのほとんどは「育ってきた期間」であってまだ、土台を作る最中ですよね。自分の気持ちを理解することも、それを誰かに伝える言語化する能力なんていうのも、今ですら困難ですが小さい頃は考えすら思い浮かばなかったと思います。
他人のフィルターを通して、というのも先程書いた通り「幼かった」自分にとっては自然な事でした。学校というコミュニティーはものすごく小さく狭い物だけど、毎日行く場所、評価を与えられる場所、行って出来て当然のように思っていましたから、そこにいる人(同級生)と、仲良くする事(人脈、対人関係)や勉強ができる事(将来の為)を「この場所(学校)」で、培っていくものだと、思うしか私は考えられなかったのです。
例えば、他に習い事を始めると評価の対象も学校とは異なるし友達作りに行ってる訳でもないから、人と関わる事が苦ではなかったりしました。今思えば、学校というシステムが苦手だったから、登校拒否をしたり、再び毎日学校に通えるようになったのが「習い事」を始めたからだった経緯に理解ができます。
抜毛症を発症した不登校期間、学校という負担から避けて生活していたけれど別の形で現れた生き辛さ。
他人のフィルターを通してしか自分を判断できなかった幼かった自分は、きっと「学校に行けない自分=模範的でない」「当たり前ができない=ダメな子」という罪悪感に近い感情を抱いていたんだと思います。その経験を引きずったまま、中学高校へ進学して私は非行少女へ転換してしまいます。
結局、自分は何やっても上手くいかないんだ。という経験を掻い摘んで自分という人間を断定してしまった。つまり、自分が自分に自信を持つ事ができず、余計に他人からの評価や他人とどう接しているか?を重要視してしまった訳です。非行少女になった理由を問われたって「思春期だったから」とか「悪目立ちしたかったから」という言葉しか出てこなかったけど、22歳、精神疾患を乗り越えて気付いたのは「埋められない心の凹みかあって、紛らわそうとしていた」という事。シンプルです。
他人との関係性で私という人間の価値を自分で定めていったり、悪いことをして遊ぶ事で他の人と違うんだっていう自分らしさの確立。自尊心も、どこか他人を通していた気がします。
それから、抜毛症は恋愛している期間は寛容して独り身になると再発しての繰り返しだったのですが高校生になり、抜毛症は自然と寛容しました。その後、独り身になっても髪を抜く行為には走りませんでした。同時に、摂食障害という自分を守る術を知っていたからです。
小中高と、人よりは体の大きい子でした。摂食障害になる経緯などは Ameba blog " @konpaichan " で書いているのでそちらを読んでください。理由のほとんどはここに書いた通り、自分を理解できなかった事が根源です。
痩せていた方が良い、幸せになれるかもしれないという自分の意思と、他人や社会から与えられた間違った認識でダイエットに夢中になり、歯止めが効かなくなり、摂食障害に。
これは、誰しもが陥る事なので日々ダイエットに関する間違った認識や行き過ぎた表現に対して「社会問題」として私は訴え続けています。私だから、ではなく誰でもなる病気。
摂食障害は気付いたら寛容していた、という病気ではありませんでした。そもそも、この22年間私が抱えていた自分への無知さと、生き辛さの理由を知る事が、回復には必要でした。どうしてこれまで、上手く生きてこれなかったのか?それは自分に理由がある事も、他人との距離感も、何より自尊心というものの、考え方の履き違えを、一度正す(自分なりに)見直す必要があったのです。
だから、摂食障害の回復期というのはただ、食べる事が困難になって食べられるようになるだけが目指すゴールの回復ではなく、心の凹みを知る事、向き合う事、付き合っていく練習をしてこれからの人生までも考えて、「生きやすくなる」事の練習が回復期でした。
とても長い前置きになりましたが、前置きが全てです。ここからは、そんな精神疾患を乗り越えた「私なりのマインド」について。
結局、自分に自信を持つ事ってどうしたらいいの?っていう所から始まるんです。短所は沢山並べられるけど、長所は思い浮かばない。
それでいいんです。「短所を知っている事こそ最強の長所」と思っています。
私は人と違うんだ、という自覚があるから他人と同じように物事が進まなくても、受け入れられる。「他人と同じように何かを成し遂げられる事だけが、重要ではない」事も学んだのです。
一緒に、同じレベルで、同じペースで皆んなが生きていたら何も進化していないと思います。平坦な世の中だったと思います。天才がいたり凡人がいたり、得意不得意があって凸凹しているから、面白い世界になっているのだから、私だけが遅れているとか、何もできないとか、そんなんじゃなく、皆んな欠けていて長けている。私には私のストーリーがある。
それがどんなにつまらなく感じても、それって誰かと比較した時に自分を客観視するだけで、当たり前が近過ぎて見えなくなっているだけで、自分だけの事を考えたら私には住む家があって、食べる物がある環境にいて、教育も仕事もいつからでも挑む事ができて、何より健康で。これが、まずは土台というものでそれが整っているという事が、幸せなんだっていう事。そこからどうにでもできる、なんて環境は有難い過ぎる話なのです。
それは、不登校になったり抜毛症になったり鬱病になったり摂食障害になった私だから気付いた当たり前の幸せなのもしれませんが、人生の転機として結婚して子供を授かって初めて「親の有り難みがわかった」なんてことはよく聞きますが、同じように自分という1人の人間が変化する時に、何かに気づく事ができる訳です。
何も変化しないままというのは、特に怖い事も不安な事も悩みもなければ、その場に立ち止まっていて後ろも前も横も知らない訳で、自分の事も他人の事も、多方面からの視点で見る事はできないので、私は精神疾患になった事で自分に自信を与える機会、きっかけだったのだと思って「精神疾患」を「チャンス」として捉えて、成長の糧にしていけると、捉えました。
お陰で、こういった考え方を持てた事で今の私に起こる全ての善悪に対しても割と冷静に対応できるようになった。これってこれまでの精神疾患という経験のお陰でもあるし、何より1番の味方となる自分のマインドとタッグが組めたと思っています。
ここまでつらつらと書いていますが、あくまでも私の人生、私のストーリー、私の考え方価値観、私だからこそ精神疾患になって「よかった」と言っているまでです。
皆んなが、精神疾患になれば自分を労り、世の中と距離を置いて自分を尊重できる。なんて思いませんよ。できれば精神疾患にならないでも、自分を好きでいてあげられたらよかったのに。とは、正直思いますね。それほど、大変な道のりでしたから。
ただ、繰り返しにはなりますがそもそも繊細で傲慢な個性の私だから、それくらいの転機がなければ、考えるだけで恐ろしいですがこの先の成熟した自分に、大きな自分にとっての間違いを背負ったまま生きていたら?と考えると、小さい頃から人と違うことに悩んで、病気になって、乗り越えてきた過程は「これからの自分の為の試練」だったと解釈できます。
もし、精神疾患に悩んでいる方がいるのならこうやって伝えたいです、「これからの自分の為だと思いませんか?」という事。なってしまってから、精神疾患を憎んでも悔やんでも仕方のない事、とことん落ち込むまで落ち込んでも、その下はないのです。逆に、這い上がる上はいくらでもあって「伸び代しかない♪」(creepy nuts) って事です。
これまで、沢山背負ってきて苦しんできて悩んできたからこそ今自分と向き合うために心から訴えている何かと闘っている。
この教訓は、今普通に生活していても活かされるんです。まあ、普通に生きていても嫌な事も面倒な事も、時に自分の自信や自分の考えを否定されたように感じる瞬間も沢山あるわけです。
先に書けばよかったのですが、悲観的に捉えられそうなのでここで伝えると「私が変わっても世の中や周りの人は変わらない」というのは、今の私が思う事です。
自分が生きやすいようになったからといって、それは周りが変化したからではなく自分が変化したからであって、自分を変えるに、自分しか変えられなかった事が証拠で、他人も、他人からの影響で変わる事って側面的でしかないような気がします。
なので、生きていれば嫌な奴に嫌な事言われたり、苦手な事を強いられたり、まあ理不尽な事ばかり起こってしまうのです。
そんな世の中に生まれてしまったのだから、いちいち後悔するより「あー地球って複雑」くらいの規模感で悔やんで、「来世は犬になる」と思う方が、私は楽なんです。
ずっと同じ時間が続くようで、この22年間色々な事があって変化してきたように、この先も恐らく沢山の出来事や転機があって自分が変わっていくのだと思います。
だから、今苦手な事も嫌な事も、できない事も全て今の自分に責める気持ちを持ってプライドや自信を削ぐより、割り切ってしまう、「私はできないけど、違う事ならできるじゃん」「あの人はあれで幸せなのかもしれないけど、私は私の幸せがあるじゃん」と、今できない、楽しめない、辛い、不安、全ての負の感情に対して少し距離を置いて考える事が私の居心地のいい考え方になっているんです。楽観的かと言われると、そうは思わないのですが(一旦は愚痴を言ったり落ち込んだりするからです) そこからまたいつも通りの自分に戻るまでの労力や心の負担が以前より軽くなった、というだけ。だけ、ですがこれが結局「生きやすい」に繋がっているんですね。
よく、自分らしくとか自分軸とかありのままって言葉だけが先行していますがそこからイメージするものって完璧に近くないですか?だから、そんな上手くいく訳ないって思うんですよ。
その通り、そんな上手くいく訳ない。だから、嫌なことにも苦手な事にも自分の短所を世の中に合わせていく事も自分なりにやる事を自分が認める事が、生きやすいというだけで「全てが良くなる」という大袈裟な表現はしたくありません。
嫌な事は消えてないくせに、生きやすいと思えるのは都合よく自分寄りに解釈できる程、自我を強く持てるようになった。というところですかね、これがマインドなんです。
誰かから「良い子」と思われたり「できる人」と重宝されるより、自分が自分に寄り添える事が何よりの生き甲斐だと思っています。
そうして自分に寄り添う心から生まれる余裕が、他人への優しさや配慮、世の中への貢献と自然に繋がっていくと考えます。まず自分の幸せを自分が願えず、他人の事や他人からの評価を気にしたって、それは負担になるし自分の為とは言えないと思うのです。
精神疾患という人生のフェーズにいる方は目の前や先までも精神疾患という病に取り憑かれた心中かもしれませんが、それ以前の自分と比較する必要はありません。なぜなら、精神疾患という病気になった後の自分と以前の自分では大きな違いが病気によって生まれたはず、それはネガティブな事ではなく何か新たな人生の転機だと捉えて、治療をするなり、そもそもの生き方や心の気持ちに向き合う時間と、捉えて欲しいです。
精神疾患を乗り越えた私のマインドをシェアしますが、これが正解でも模範でもなくただ、私1人の人間の在り方考え方なのでそれを踏まえて、考え方の選択肢の一つのなってもらえたら嬉しいです。
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