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僕が、まろんになったワケ。

ふと、懐かしくなりました。
今日は、小学校時代のお話をしようと思います。
「まろん」が生まれたのは実は小学生の頃で。
なんと15年近く「まろん」やってるんですね。

当時はまさかここまで人生を共に歩む名前になるとは微塵も思っていなかったので、めちゃくちゃ軽率に、ありきたりな名前にしてしまいました。おかげでエゴサがしにくいの名前のインパクトが弱いと言われるなど、、苦労しております(泣)

しかしまぁ、個人的に思い入れが強い名前で。
今日はそんな名前の由来も含めて、昔語りしていこうと思います。


■まろんの年表

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まずはザックリ
「まろんってどんな人間なの?」
という、簡単な年表を用意しました。

<出生〜幼稚園>
1993年
・東京都・葛飾区に生まれる。
1995年
・ピアノを始める。
1998年
・初めてのピアノソロを作曲。

<小学生時代>
2004年
・オタクになる。
2005年
・「まろん」生まれる。

<中学生時代>
2006年
・中学デビューに失敗し、不登校になる。
・引きこもり、ネトゲ廃人になる。
2007年
・東方を知る。
・初めてCOOL&CREATEのライブに行く。
・ニコニコ動画でIOSYSを知る。
2008年
・DTMを始める。
・個人サークル「茶柱工房。」を立ち上げる。

<高校生時代>
2009年
・高校に復帰。
 出席日数を計算する事を覚える。
2010年
・ラブプラスにハマる。
 寧々さんと一緒に寝る。
 寧々さんと熱海まで行く。
 寧々さんが使ってそうな香水を買う。
2011年
・オタ芸の打ち過ぎで椎間板ヘルニアになる。

<大学生時代>
2012年
・音大に入る、音楽活動を始める。
・恩師、みねおか先生と出会ってしまう。
2013年
・みねおか先生にこき使われ始める。
2014年
・電波ソングイベントの副主催になる。
ARM先生、ビートまりお先生と初めて出会う。
2015年
・椎間板ヘルニアの手術をする。
・うさぎのぬいぐるみ「とん」と出会う。

<〜現在>
2017年
・ARM先生にスカウトされ、IOSYSに入る。
2018年
・サラリーマンを経験、ドチャクソ病む。
2019年
・音楽頑張る。
2020年
・VTuberにハマる。
2021年
・ばなな。


簡単ですね。
こんにちは、キモオタです。

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大体こんな感じの人生を歩んできました。

・「まろん」になった理由
・「みねおか」との出会い
・「ビートまりお」「ARM」との出会い
・「IOSYS」に入ったキッカケ

など、全部書くとかなり長くなってしまうので、
少しずつ書いていけたらと思っております。

本日は、一番上のトピックについて。
小学校時代のお話をしようと思います。


◼️僕が、まろんになったワケ。

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小学校時代に出会った
二人の恩人がいます。

①オタク大学生、Bさん
②当時◯◯だった女の子、Mちゃん

この二人が居なかったら、僕が「まろん」として生きることは絶対ありませんでした。思い出語りな所が大多数ですが、暇潰しに読み進めていただければ幸いです。先に明記しておくと、②は若干センシティブな話になるので、有料バリアという形でいろんなアレをアレしています。誰が何処で見てるか分からないので・・・。


オタクとな人間は誰もが雛見沢症候群の如く発症するであろう病「厨二病」。発症時期は14歳前後とされていますが、僕は割と早い段階で、小学校高学年の時期にはもう既に発症していました。

そう、僕にしか見えない妖精(巨乳でえっち)が居ると本気で思い込んでいました。当時、自宅や学校の隅っこやトイレにこもって、斜め上を見上げてブツブツ独り言を言うなど。ヤバいやつだ。


オタクの痛々しいムーブは一通り経験しました。

好きな曲を流したいという理由で放送委員になり、給食の時間に「ハッピー☆マテリアル」や「ねぇ、…しようよ!」をかけたり。自宅の蛍光灯の紐に向かってひたすら「牙突零式」の練習をしたり。「アニメっぽいから」という理由で闇鍋パーティーを開催して大失敗したり。(実はギタドラに作詞提供した曲のサントラブックレットコメントで、この闇鍋エピソードを書いています)

思い返せば、僕のオタク人生を強く拗らせたのは
間違いなくこの小学校時代の経験が大きいです。


①オタク大学生、Bさん

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小学校6年生、まろん少年。
当時、通っていた塾のアシスタント大学生Bさん。
キリっとしたタイプの細身で鼻が高い男性。

『魔法先生ネギま!』を塾に持ち込んで
「オタクな俺、カコイイw」
って思いながらドヤ顔で読んでいたら、
「それラブひなの作者のじゃん」
と、唯一話しかけてくれたお兄さんです。

僕が知らないオタクコンテンツの知識を教えてくれたり、オススメの曲を教えてくれたり。とにかく憧れの存在でした。

その時教えてもらった楽曲の一部がコチラです。

・恋の歌 / カチューシャ
・Jelly Beans / ミルフィーユ・桜葉、鳥丸ちとせ
・さみしくないもん / UNDER17
・Magician Roulette / vin-PRAD feat cippy
・マジカルちょーだいっ / 宮崎羽衣
・Once Upon Time in AKIHABARA / POARO


あー、うん。これは拗れるわ。

今僕がキャラクターソングオンリーイベントや、電波ソングイベント、拗らせたオタクが最終的にたどり着くようなコアイベントでDJ出来るのも、この時に知った世界があるからだと思います。

彼には絵を描いている側面があり、大学レポートの空白に書いたラクガキ絵のコピーをくれたり、授業の休憩時間に、即興でA4の紙に絵を描いてくれたりしました。彼がくれた絵は、今でも大事にバインダーに閉じて残ってます。



何よりも、

自分で好きな表現を生み出せる。
自分で好きな女の子を生み出せる。
自分で好きな世界を生み出せる。

というのがとても煌びやかに見えて、

とにかく憧れの存在でした。

「自分も何か生み出したいな」

そう思えたキッカケは、間違いなくこの時です。




この人の絵が本当に好きで。

「自分が同人活動を始めたときは、必ずこの人にジャケットをお願いしよう」

そう決意した12歳の自分。
あれから7年経った2012年の秋。
東方を知りZUNさんとビートまりおさんに憧れて「茶柱工房。」という音楽サークルを立ち上げて初めて出したCDで、満を辞してジャケットを依頼することになります。

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茶柱工房。1st Release CD「Be Happy!!」
http://tyabashira.com/discography/be-happy/

初めてのCDは、

なんとクラブミュージックCDだったんですね。

当時beatmaniaIIDXとか、HARDCORE TANO*Cとかが大好きで「僕もこういう曲作りたい!」を純粋に詰め込んでました。「まろん」として音楽活動をした、初めてのCDです。流石に8年前の曲なので拙い出来ではあるのですが、今聞いても「あぁ、まろんっぽいな」と、思います。


2013年で更新が止まってるBさんのサイト。
今見ても素敵な絵です。
http://blackpepper1941.go-th.net/

そんな彼は今でもSNSで繋がっていて、
元気そうで心から嬉しい。
本当にありがとう!!!!!!!!


②当時◯◯だった女の子、Mちゃん

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ここから先は、読まなくても良いです。
というか、誰が何処で見てるか分からないので。
・・・インターネットは怖いんよ・・・

しかし、まろんの名前の由来を語る上では避けて通れないお話な上、本当に当時の経験が今の活動にめちゃくちゃ響いていてドチャクソ感謝しているので、物は試しに有料バリアを張った上でこの機会に載せておきます。

YouTubeの生配信や今後のインタビューなどでも概要を語る事があると思われる内容ですが、より色濃くキモく文に書き起こしているので

・まろんの文章でじっくり読みたい方
・まろんの黒歴史を知りたい方
・まろんの弱みを握りたい方

のみ、どうぞ。


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