見出し画像

落語がみせるマボロシ


みどりです。


OKAMI企画さんとマロバシ堂の新春合同演劇公演が3月に幕をおろしました。

カーテンコール_210321_0

このような社会情勢の中、ご来場いただいた方、
あるいは応援してくれた方には心より感謝申し上げます。

マロバシ堂として初めての公演。
短編とはいえ、わたしにとっては初めての脚本・演出でした。

らくださん (139)

その脚本では、落語『らくだ』を扱いました。

落語については憧れというか、演劇の中でも特異なところにいじらしさを感じています。
結局はわたしの一方的な片思い。
今回はその落語の魅力について話しておきたいと思います。
公演の振り返りは・・・ごめんなさい、でてきません。


落語を好きになるまで

小学生の頃に祖母の部屋にあったカセットテープを借りて
落語を聴いてみる機会がありました。
『寿限無』ぐらいは知ってる年頃だったので、いけるだろうと。

たぶん『棒鱈』だったと思います。

噺を知っている方ならお分かりかと思いますが
ものすごい訛りの田舎侍が何言ってるか分からなくて、全然面白くなかったです。
あとからその訛りこそが可笑しみだと知りましたが。

その時点で落語は、昔の語り口で子どもには意味わかんないものなんだなと
なんとなく避けていました。

『まんが日本昔ばなし』や『ピピっとひらめくとんち話』といった
児童文学(?)のほうがよっぽど面白いやーと。

それがなんの拍子か、8代目林家正蔵の怪談噺を
夏休みの自由研究で扱ったら周りの大人が喜んでくれたので
「もしや落語を知ってると一目置かれるのではないか」と
たいへん不純な動機が生まれました。

ちょうどその頃は宮藤官九郎の『タイガー&ドラゴン』により
落語ブームが再燃した年代で、わたしもそこから少しずつ噺の区別がついてきました。
立川志の輔著『古典落語100席』もその理解を助けてくれたと思います。

特に『子別れ』と『あたまやま』はお気に入りでした。
気の利いたサゲの『子別れ』は荒川良々で脳内再生されるし
SFチックな『あたまやま』はこれまで使ったことのない脳みそが刺激されて
とにもかくにもガーンと頭に衝撃が走りました。

これも演劇だなんて・・・

落語家の誰が好き、というわけでもなく
寄席にしょっちゅう行ってました、というわけでもなく
まずは文字で読む噺が好きだったところからスタートしました。


落語のかもしだす空気

それからも落語のことは特に熱中することもなく
NHKの「日本の話芸」がやってたら、何となく見るぐらいで
まだまだ小難しい伝統話芸だと遠慮していました。


大学で演劇学専攻として卒論を書くにあたり
いろいろ興味はあれども、落語に焦点を置いてみたいと
何を間違えたか立川談志について書くことにしました。

談志はあれです、笑点をつくった方、と言えば分かってもらえるでしょうか。

偉い方に話を聞けども
落語が好きなひとに話を聞けども
「談志落語について書く」と言うと
あまりいい顔をされなかったのが、なんともお笑いです。


これまたNHKのスペシャルだったか
『芝浜』の動画を見て、とんでもないおじさんがいるぞと知るわけです。

ステージにはおじさんがひとり

舞台装置も衣装も小道具もない中で
流れる言葉の中に、朝の光や、港の潮風、除夜の鐘・・・

今まで小説を読んで、頭の中に景色を思い浮かべることはありましたが
目や耳で得られる情報だけで、江戸時代にタイムスリップしてしまうなんて。

本来は目や耳で得る情報が多い分、有利に働くはずですが
演劇などでは時として、顕在化したものに想像力を奪われてしまう危険があり
だからこそ落語には話芸だけで迫ってくる狂気みたいなものを感じました。

あとで談志の本を読んだら「江戸の風を吹かせる」ことが
落語家には必要なんだということでした。
江戸時代のことに暗いわたしでも、その風の熱気にあてられたようです。
(参考ページは談志の弟子・志らくの『芝浜』について)


一人でこんなことできるのはすごい、次の公演はいつだ
と思ったら、その頃には亡くなっていました。わたしのバカ・・・!

さぞやナマで見たら衝撃だったろうという負け惜しみエネルギーで
卒論の2万字を埋めたと言っても過言ではありません。

卒論のテーマはずばり
「立川談志の『イリュージョン落語』にみる観客の一体化について」
なぜライブ(演劇)を観に行くのか、ということです。

ずーっとそんなこと考えているんですね。進歩がないというか・・・。


落語のにわかファンになって


卒論を書く期間は、談志に関する本を読み漁りました。
落語評論家と呼ばれる先生たちの本も読みました。
あとは比較対象として、いろんな落語家のネタを聞き始めました。

(卒論に引用した本の抜粋)
延広真治 山本進 川添裕編集『落語の世界3 落語の空間』岩波書店 二〇〇三年
川添裕著「落語のメディア空間」
吉川潮著『芸人お好み弁当』講談社 二〇〇五年
川添裕著『大江戸カルチャーブックス 江戸の大衆芸能 歌舞伎・見世物・落語』青幻舎 二〇〇八年
堀井憲一郎著『落語論』講談社現代新書 二〇〇九年
松本尚久著「ある落語家――立川談志」二〇一〇年
柏木新著『落語の歴史 江戸・東京を舞台に』本の泉社 二〇一二年
松本尚久編『落語を聴かなくても人生は生きられる』筑摩書房 二〇一二年
山藤章二「まえがきにかえて――談志、最後の名言」
立川談春著『赤めだか』扶桑社 二〇〇八年
立川談志著『あなたも落語家になれる』三一書房 一九八五年
立川談志 吉川潮著『人生、成り行き 談志一代記』新潮社 二〇〇八年
立川談志著『談志 最後の落語論』梧桐書院 二〇〇九年
立川談志著『談志 最後の根多帳』梧桐書院 二〇一〇年
立川談志著『遺稿』講談社 二〇一二年


どこの世界でもよくある話ですが
落語を好きなひとは、自分の好きな落語の話しかしないので
結局はわたしもそうした考え方に偏っていると思います。

落語好きに限って「誰が好き?」と聞くけど
お互いに好みが合わないと気まずくなるだけなので、やめましょうあの文化。


寄席がいいと思う人も、独演会しか行かない人も
バラエティー番組で芸人を見られればいいという人も
いろいろ好きになれる入口はある。
こんなにラジオやTVで落語家が活躍してたのかーと
あとから知ることもたくさんあります。

入口狭しと言われていた落語が
いろんな好きから入れるようになって良かったと純粋に思います。

こわくない、こわくない
みんな笑いに来てるんだから、上級なものじゃないよ。


なんとなく「この噺家の、このネタが好き」ぐらいで
にわかが一番楽しい。
わたしもこのままにわかファンのままでいたいです。

「これ面白いよ」とか、「落ち込んでるときはこれを聞くといい」とか
そんなレベルから周りに落語を勧めています。

それで気に入ってくれるなら、寄席に連れて行って・・・と
確実に落語の世界に引きずり込む算段。
トリップする準備は万端です。

さあ、劇場であの風にあたりにいこう


・・・と、落語の具体的に好きなところを書くつもりでしたが、
ここで1回区切ろうと思います。

経緯をまとめると
私のあたまに種をまいてくれたのは宮藤官九郎の『タイガー&ドラゴン』
むくむく芽が伸びていったのは立川志の輔著『古典落語100席』
そして落語のにわかファンとして花開いたのは
立川談志『芝浜』によるのでした。

次回につづく。
(名人たちの敬称略をお許しください)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?