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子供の"好き"を肯定してくれる母親がすべてだなと思った『さかなのこ』

【個人的な満足度】

2022年日本公開映画で面白かった順位:71/135
  ストーリー:★★★★☆
 キャラクター:★★★★☆
     映像:★★★☆☆
     音楽:★★★☆☆
映画館で観たい:★★★☆☆

【作品情報】

  製作年:2022年
  製作国:日本
   配給:東京テアトル
 上映時間:139分
 ジャンル:ヒューマンドラマ
元ネタなど:自叙伝『さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~』(2016)

【あらすじ】

お魚が大好きな小学生・ミー坊(西村瑞季)は、寝ても覚めてもお魚のことばかり。他の子供と少し違うことを心配する父親(三宅弘城)とは対照的に、信じて応援し続ける母親(井川遥)に背中を押されながらミー坊はのびのびと大きくなった。

高校生になり、相変わらずお魚に夢中のミー坊(のん)は、まるで何かの主人公のようにいつの間にかみんなの中心にいた。しかし、卒業後はお魚の仕事をしたくてもなかなかうまくいかず悩む日々…。

そんなときもお魚への「好き」を貫き続けるミー坊は、たくさんの出会いと優しさに導かれ、ミー坊だけの道へ飛び込んでゆく―。

【感想】

「好きなこと、続けられていますか?」というメッセージを感じる映画でした。さかなクンがさかなクンになるまでを描いた話で、自叙伝自体は未読なんですけど、「大好きな魚とずっと触れ合っていたら、ここまでたどり着きました!」という、心がほっこりする内容です。

<好きなことを続けるにもまわりの応援が必要>

↑これに尽きるかなと。この映画、一見すると、好きなことを愚直に続けていたら夢が叶ったというサクセスストーリーのように感じます。もちろん、その側面もあるんですが、僕はこの映画で一番の肝は母親の存在だと思います。彼女が一番の功労者というか、ミー坊をミー坊足らしめる存在なんですよ。

なぜなら、母親はとにかくミー坊のことを一切否定しませんでしたから。多くの親は、我が子の将来を案じ、選択肢は広げてあげたいと思うでしょう。塾やピアノ、スイミングや英会話などなど、いろんな習い事をさせることで、子供の可能性を全方位的に伸ばしてあげたいですよね。だから、魚ばかりに関心を寄せていたら、あーだこーだ言うことでしょう。「もっと勉強しなさい」とか、「魚のことは1日時間まで」とか。ミー坊も父親は我が子が魚ばかりに熱を上げることを心配していましたが、母親はその真逆で、ミー坊がやりたいことを自由にやらせていました。

正直、ミー坊は学校の成績はよくなく、高校生のときの三者面談では、先生から「魚のことはほどほどに」と言われる始末。でも、母親は「この子は魚が好きなんです。それでいいじゃないですか」と堂々と言い放ちます。子供にとって最も身近で、最も味方になる存在である母親が、子供のことを全肯定しています。

これは強いですよ。我が子にいろいろ習い事をさせたい親が多い中で、ただ一点、子供の「好き」に寄り添っているんです。「やり続けたら将来〇〇になれる」という確証なんてありませんし、むしろひとつに集中することで、未来の選択肢を狭めることにもなりかねません。それでも、それでいいと信じられる母親は強いです。その信念も我が子を思う気持ちも。

そもそもミー坊ってまわりに恵まれているんですよ。魚が好きなことを否定する人は、少なくとも映画の中にはいませんでしたね。むしろ、その好き度合いを認めてくれる人の方が多かったです。それでも、母親の肯定はミー坊の大きな支えになったのではないでしょうか。

<"好き"ということ>

"好き"って何でしょうね。僕の中で、"好き"という言葉は、「その対象に心が惹かれて、それに関するあらゆることが苦じゃないこと」と定義しています。世の中には多くの人が趣味なり何なりで、自分の好きなことを何かしら持っていると思います。ただ、それを突き詰めたところで、さかなクンのように社会的に影響力を持ち、まわりから認められるようになれることはそうそうありません。それが仕事になってお金がもらえたら最高ですけど、それを実現できる人は、ひとつまみもいないんじゃないでしょうか。"好き"にもいろんなレベルがありますからね。自分ひとりで完結すればいいという趣味レベルから、世の中にインパクトを与えるという強い影響力を持つレベルまでと、ピンキリです。

そういう"好き"のレベルによって、どこまで行き着くかも変わりますし、人生のライフステージや自分の嗜好が変化していく中で、それまで好きだったことを途中で辞めてしまう人もいるでしょう。ただ、どんな形であれ、続けられるうちは好きなことは追ってもいいんじゃないかと僕は思います。別に誰かに役に立たなくとも、好きなことを続けることで、人生は豊かになるし、何よりも自分自身が楽しければ、それでいいのではないかと。

ミー坊だって「将来はお魚博士になる!」と言うものの、そこに至るまでには紆余曲折がありました。魚に関わる仕事に就くも、どれも自分が思っていたのとは違い、うまくいきませんでした。それが魚のイラストレーターという形から始まって、今日のさかなクンになるわけです。それもこれも、根底にあったのは、単純な「魚が好き」というシンプルな気持ちです。「夢中でやっている人には勝てない」なんて言葉もありますけど、好きだからこそ、誰かにやらされているわけでもなく、100%自主的に物事に取り組めますし、あらゆることが苦じゃないんだと思います。ミー坊も辛いことはあったでしょうが、「魚が好き」ということそのものが、ミー坊にとって何よりも幸せなことなんだと思います。結局、"好き"ってのは「とてつもない継続力を生み出す原動力」なのではないかと思いました。

<普通じゃないということ>

で、そういう人って普通じゃないってまわりから見られがちですよね。「普通とは」っていう話もあるんですが、まあここでは世間一般的に多くの人が行き着く考えや行動という、いわゆるマジョリティ側の人ということにしておきましょう。そこに属しているときは、その普通じゃない人(ここではミー坊)をやや下に見るじゃないですけど、あまり対等に扱ったりしない描写が多いですよね。今回のモモコ(夏帆)も、小さい頃はマジョリティ側にいるんですけど、大人になってシングルマザーで行くところがなくなったとき、ミー坊は何も気にせず受け入れてくれるんです。こういうとき、それまで普通じゃないと自分が思っていた人が、同じく普通じゃなくなってしまった自分を受け入れてくれることに、大きな安心感を得ると思うんですよ。同じ土俵になって初めて価値を知るっていうとちょっと上から目線になってしまうんですけど、そんな感じです。まあ、ミー坊はもともと自分の価値観にのみ従って生きているので、他人との比較によって生まれる「普通」という概念はないと思うんですが、モモコにとってはそんなミー坊が優しくも尊く感じたんだろうなって思いました。

<"好き"に性別は関係ない>

今回の映画で面白かったのが、主人公の性別を一切無視していることです。さかなクン本人は男性ですが、演じたのは女優ののん。とはいえ、劇中では学ランを着ていますし、キャバクラにも行ってるので、扱いとしては男性寄りな気がしないでもないですが。。。でも、そんなことはどうでもいいんですよ。好きなことをひたすら追い続ける存在に、性別なんて関係ありません。ひとりでも多くの人が、ミー坊に自分を投影できるようにする工夫ですよね。性別も年齢も人種も関係ないんです。ただひとりの人間として、好きなことを追い続ける姿っていうのは眩しく映るものです。

<そんなわけで>

ちょっと淡々とした印象もあるんですが、人の「好き」に寄り添った素敵なお話なのでオススメです。どんな形であれ、好きなことは続けた方がいいなと思いますし、改めて自分の好きなこととの向き合い方についても考えさせられます。子供といっしょに観たい映画ですね。


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