観客を全肯定するリョーマ!という傑作
令和3年9月3日、最高の映画が封切られた。
リョーマ!The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様である。
最最高高最高高の映画なんで今更私が何も言う事はないのですが、観てて気になった事を書き留めておこうと思います。好き勝手に思い付きで書いていきますのでためになることはなーんにも書いてません。
感想というか考察を書く上で普通にネタバレしていくのでお気をつけ下さい。
オーバーチュア
「Dear Prince~テニスの王子様達へ~」から始まるわけだが、ここで私が気になったのは「キミから届くHappy Dream 星の数だから」の「星」のリョーマの振付である。
親指と人差し指を合わせて輪を作り、摘まみ上げる様な形にする動作だ。
「peace of mind~星の歌を聴きながら~」で星を掴む手も同じ様な形になっている。凄く特徴的な振りだし、何か既視感がある…と思っていたのだが、仏像でよく見るポーズなのである。調べてみたところ、説法印といい、如来などに見られる形らしい。
新テニを読んでいたら亜久津の技などを見てもなんとなく許斐先生が仏教に関心が高いのだろうな、ということがわかる。
説法印で合ってるのか他の印相なのかはわからないが、この振付には意図的なものがあるのではないかと考えられる。
天衣無縫となったリョーマが、我々に如来のごとくこれから説法をする映画…ということなのかもしれない。
リョーマ!の光明は遍く十方世界を照らしテニプリの衆生を摂取して捨てたまはず。
もし全然そういう意図が無かったとしても、リョーマ!に救いを私は見た。早く全人類リョーマ!に飛び込んで救われて欲しい。
単純に見たまま考えると親指と人差し指の輪でテニスボールを表しているのだが、テニスボールは宇宙、宇宙はテニスボールということなのかもしれない。マクロの中にミクロがあり、ミクロの中にマクロがある…そういうことを言いたいのかもしれない。
振付の方によると三曲通じてモチーフとなる同じ動きを入れた…とのことだが、この動きで間違いないだろう。テニスボールが星になり、星がテニスボールになる…。
やはりテニスは宇宙…。
猫について
タイムスリップもので猫といえば、SF初心者の私はハインライン「夏への扉」くらいしか思い付かないが、まあ多分あんまり関係無いかなと思う。オマージュ的な意味ではあるのかもしれない。
この猫だが、まっ黒とは言えない毛色で背中に白の斑点、金の瞳、赤い首輪に鈴といった出で立ちである。本邦アニメで黒猫といえば、魔女宅のジジ、セラムンのルナという有名どころがいる。
以前フォロワーさんが、「お腹が白い黒猫はいるのに、何故お腹が黒い白猫はいないのか?」というツイートをされていて、猫は脊髄から色素が広がっていくからだ、という回答がきていた。そこから考えると、背中に白い斑点がある黒猫というのは現実に存在し得ないという事になる。まあ唐突に現れたり消えたりするので、実体では無いことは確かだろう。首輪を付けている以上「誰か」に属するものである、ということしかわからない。
現地の人の猫という説もあるが、アメリカではあまり猫の首輪に鈴はつけないのではないかと思われるので、おそらく日本の猫だろう。
猫といえば青学では菊丸…菊丸か!?などとセカテキで説法印の振付を割り振られた彼を見て思ったが、菊丸=猫の印象が強すぎてリョーマも猫目キャラであった事を失念していた。常にリョーマの近くにいるのでもしかして、リョーマの守護霊獣(ハンター用語)なのでは?と思ったが、多分どちらかというと南次郎の守護霊獣なんじゃないかな、と思う。黒い毛、金の瞳、赤い首輪。リョーマと南次郎は黒髪で金の瞳、そして南次郎は赤いハチマキをしている。
タイムスリップも「リョーマのため」というよりは「南次郎のため」であると言える。単純に考えると南次郎か越前家が昔飼ってて虹の橋を渡った猫なんではないか?とも思う。いずれにせよ、越前家の守り神のような現れ方をする。
猫SFについて勉強しようと思って「猫は宇宙で丸くなる」というアンソロを買ったのだが、その表紙を見ていて気付いた。
もしかして背中の斑点は銀河を表わしているのではないだろうか。つまり…宇宙猫…。教会のシーンで「ねぇ この」と「猫の」が掛詞になっている、と許斐先生が明かされている。単純に考えれば桜乃が渡した「寝転ぶ缶バッジ」のことだろう(ちなみに新テニ27巻で既にリョーマが持っている)。
猫の目⇨リョーマの目⇨桜乃の目と反射していく描写があるが、桜乃の目から銀河が映り、宇宙空間に移動する。ここで二人が歌っている最中も謎黒猫が見守っている描写がある。「猫のプレゼント」とは謎黒猫がくれたこの時間・この空間という意味も込められているのではないだろうか。
リョーマの手から星が謎黒子猫たちになって出てくるのを見ると、この猫はやはり越前家に連なるものなのではないかと考えられる。
もしかすると、宇宙に通じているこの猫はテニスの神なのかもしれない。
9/25のティーチインによると、「夢へ案内するキャラクター」とのこと。そうすると、「猫のプレゼント」とは教会のシーンだけでなくタイムスリップそのものを示唆しているとも言える。
決勝戦会場のアダムの部屋に猫の絵が飾られている。越前家の壁に許斐先生のお姿の絵があるし、単にこれも遊び心なのだろうか…と思っていたのだが、よく見ると絵の中の猫が動いてることに気付いた。
①額縁の右寄りにいるのが映る
②額縁の左に寄っている
という動きを見せた後、テニスボールを咥えてリョーマの元に猫が現れ、その後、
③空になった額縁が映る(左下の方に耳っぽいものが見える気もする)
もしかしてあの猫は、会場の守り神なのではないだろうか。会場というか、時空操れるし宇宙呼び出せるしむしろ「テニスの神」が顕現した姿…と言えるかもしれない。この世界の原子はテニスボール型であるとタイムスリップ時に提示されているので、テニスの神=世界の神だから、時空も宇宙もオールOKなのだ。テニスの神は八百長が許せなくてやってきたのだ。テニスは真っ向勝負してこそ面白いのだ。
こんなん気付くかよ!って感じなのだが、前述した通り、越前家の壁に許斐先生(神)を置くことで「壁の絵に注目しておいて下さいね!神がいるので!」というメッセージなのかもしれないと思った。優しい。壁の許斐先生も猫の絵もとてもカラフル。
おてふぇすの「悲しいね…キミが近すぎて」でキャラ達が絵から出てきて本に戻ったり、テニプリパラダイスで許斐先生が二次元と三次元を自由に行き来する演出があるのだが、もしかして「神の力があれば絵から出入り自由」という伏線だったのでは?と思った。ちなみに「世界を敵に回しても」はおてふぇすが初披露だった。
猫の絵は暗い位置に置かれているし、ぼんやりしているのではっきりと何色とは言えないが、パステルカラーで緑~青~ピンクというグラデーションになっている様に見える(黄色も胴体右くらいにちょっとあるように見える)。この三色が多めなのでなんでかなあ…と思っていたのだが、もしかしてエメラルド~リョーマ~桜乃の色なのでは…!?と気付いた。ちなみに猫の右上に薄ぼんやりと黄色い丸が見える気がする。テニスボールかもしれない(円盤購入後に確認したら星でした)。
追記:「猫の絵が動いてる説」については映画館で鑑賞した際の感想なので、スクリーンのたわみでそう見えただけかもしれない…と円盤鑑賞後思いましたのでまあそういう考えもあるかもな、ぐらいに受け止めてください。
南次郎について
既婚子持ち男性の夢女子になりかけた&なったみなさーーーーん!!!
とにかく南次郎が激イケに描かれているわけだが、それがこの作品の肝なので、我々が惚れても仕方ないのである。リョーマがとにかく南次郎のために行動してるので、端から端まで南次郎をカッコよく描かないと説得力が出ないのだ。リョーマを息子と気付いているのか?問題だが、初見から気付いていると思われる。ちょいちょいわざとスルーしてくれる描写があるし、竜崎は恩師スミレちゃんの名字なので気付かない筈がないのである。そもそもリョーマの帽子が同じだしね。
それにしても越前家が並んでいるとリョーガだけ瞳が青色なのが目立つ。
エメラルドさんについて
タイムスリップ前は車椅子に乗っていたと思われる。女子車椅子テニスのポスターがあったので、そこに出場予定だったのかもしれない。ポスターをよく見ると髪型が似てるのでエメラルドなのでは?という感じがする。
エメラルドは、Selly'sBarというバーを経営しているが、その看板にはテニスラケットと「LOVE TENNIS」という文字がある。部屋には数々のトロフィーが飾られている。テニスが大好きなのである。ほう、今回はそう来ましたか~!となった脚技テニスだが、甲斐くんが裏手のレフティであるように、あれがエメラルドが本当にしたいプレイスタイルなのだろう。改変前のエメラルドは、それを奪われてしまった状態なのである。手でラケットを持つのは彼女にとって「逃げ」なのかもしれない。その状況を変えたいという思いを持っていたから、彼女の打った普通の球とリョーマの球が反応したのかもしれない。ちなみに打った理由は普通にウルフの暴走を止める為だと思われる。
エメラルドの掘り下げもやろうと思えばいくらでも出来たのだろうが、そうすると「リョーマ!」からブレるので、リョーマが知り得ない情報は徹底して観客にも明かされない。
ところでSellyとはどういう意味なのか調べたところ、存在しない単語だった。勝手な想像なのだが、もしかしてセリーナ・ウィリアムズから来てるのかな、と思った。綴りが全然違うが、セリーナズバーだと言いにくいのでセリーズバーにしたのかな、と想像する。
10/16大阪ティーチインで、「セリーはエメラルドの母の名前」と明かされた。今までお店のエメラルドの部屋にあるポスターが何なのかわからなかったが、もしかしてお母さんの写真だったりするのかな?と思う。ラケットも二本飾ってあるのは一本はお母さんのラケットだったりするのだろうか…。
改変前は髑髏(スカルって言った方がいいのかな)の絵が描かれ、ゴミが散乱し、チンピラがたむろしていた路地裏コートだが、改変後はゴミはなく、チンピラもおらず、壁にはファンシーな絵が描かれ「KIDS」という文字、「B.F.U SCHOOL」と書かれたポスターが貼られている。もしかしたら、ここでブー・フ―・ウルフが子どもたちにテニスを教えているのかもしれない。車椅子に乗っていたエメラルドは化粧品のCMに出て活躍しており、脚も不自由が無いように見える。
元の世界に戻ってきた桜乃が「あの三人は…」と言っているが、キッズテニススクールをしている三人は桜乃に何と声を掛けたのか気になる。「テニス好きか?」と聞いたのかもしれない。ウルフが優しい目を隠すためにしていたサングラス(杉田さんのキャラ解釈による)は多分もうしてないだろう。
こども達にテニスを教えているなんていい話だなあ…と思っていたのだが、10/16に梅田の巨大美麗スクリーンで確認したところ、ポスターから「RAP」の文字が読み取れた。テニスコートにスクールのポスター貼ってるからと言ってテニススクールだと思ってはいけなかった。RAPスクールだったYO!
エメラルドの首元の紫の蝶のタトゥーと紫のラケットに描かれた蝶、何か意味があるのかな?と調べてみたところ、一緒に生まれるはずだった兄弟姉妹がいる赤ちゃんのところには紫の蝶のシールを貼るという活動があるそうだ。
……もしかして、エメラルドさん、アクアマリンと名付けられる予定の双子がいたのでは?などと思ったが何もかも明かされないので全部勝手な想像である。
和解後のエメラルドさんの白いドレス、襟があるジャケットタイプのドレスで凄く凛々しくて素敵(和解前は左前のシャツ、和解後は右前になる)。帽子のリボンがヴェールのようになってるのも美しい。和解前とはピアスとリップが変わってる。女としての自分を出してる、というよりは肩肘張る必要が無くなって、「自分らしさ」を表現出来るようになった…だと良いな。首もとの蝶のタトゥーは隠していた自分らしさの象徴である…ともとれる。
改変前はテニスを続けていたが車椅子だし(冒頭の車椅子に乗ってる脚が凄く細くなっていて痛々しい)、改変後はテニスをしてるのかしてないのかわからないけど、もしかしたらテニス選手としてCMに出てるのかもしれないし、脚技を極めてモデルはモデルとして活動してるのかもしれないし、どちらかはわからない。ただ裏社会の娘としてテニスを辞めざるを得なかったのだろうな、と推測される彼女が表舞台で輝いて社会的に成功している、それだけで良かったね、と思える。薄暗い倉庫にコートを作らざるを得なかった経緯を考えると辛すぎるので…。
ティーチインで「今回の話はパラレルワールドのお話。エメラルドだと、
一つはテニスプレイヤーとして活躍していた世界。もう一つはリョーマが介入したことでモデルとして活躍する世界」と回答が出ていた。どちらの結果が良いとか悪いとかではなく、どちらもエメラルドが掴んだ未来…ということなのだろう。
エメラルドの脚技テニス、カポエラみたいだな~と思ってたのだが、10/1の日ペンの美子ちゃん宛の許斐先生のツイートで「カポエラがお勧めです」と足テニスについて言及があった。
カポエラについて調べてみたら、ブラジルに連れて来られた奴隷が手枷を嵌められた状態で対抗するものとして開発されたという歴史があるらしく、考えさせられた。今まで「やりたくてやってるプレイスタイル」だと思っていたが、もしかして脚でテニスをする事が「不自由な自分」という表現なのでは?と感じた。ラケットが折れてスッキリした顔をしてたのはそういう事なのかもしれない。テニスが鬱憤を晴らす手段となってしまっていた事に気付いて、スッキリしたのかもしれない。
テニプリらしさとは
この映画、人質や八百長など「二人のサムライ」のセルフオマージュになってるわけだが(ここからだけでなく他にも色んなセルフオマージュが行われているがそれは置いておく)、今回はとにかくリョーマが何とかするしかないので、ホームアローンばりの躊躇わなさでガンガンやる。
そもそも「テニプリらしさ」とは何なのか、この映画から伝わってくるものは何なのかと考えてみると、「とにかく前向き」なのである。旧テニ42巻中唯一と言っても良いくらいリョーマが諦めかけて後向きになったのが今回の映画の冒頭の幸村に五感を奪われているシーンなのだが、それも秒で終わって笑顔でSING!DANCE!PLAY!である。圧倒的ポジティブを見せつけられ叩き込まれるのだ。なので、タイムスリップしたところでテニプリキャラは「何で?どうして?どうすればいいの?帰れるの?」なんて後ろ向きな事は考えない。突き進むのみである。世界が終わる訳じゃなしyeah前に進もうなのだ。突然テニスコートに召喚されても全然うろたえない。だって前向きだから。まあアレはさすがに実体というよりはリョーマの気持ちが呼び寄せた思念体…みたいなものなんじゃないかなと思う。多分みんなの実体は日本にいます。冒頭の全立は実体で踊ってるけど。
謎のテニスボールについて
南次郎がリョーマに渡したDNAの二重螺旋に似た模様が彫られたテニスボール。「俺を引退に追い込んだ」という言い方をしたのはリョーマの興味を煽るためではないかなと思う。南次郎は記憶があるので。
このボール、劇中ずっとリョーマが持っている訳だが、南次郎の試合の最中に確認出来る。南次郎がヴォーンとの試合でサムライドライブを使ったときに、普通のボールだった球に模様が入り、このボールが出来た。
猫が咥えてきて過去と未来のボール同士がぶつかって再びタイムスリップする。この辺、たのしーーー!!!!!ってなって何が起こってるのかあんまりよく覚えてないのでまた確認していきたい。
フォロワーさんが、「中学生は現在時空から召喚してるが、リョーガだけ日本代表ジャージを着ているので未来から召喚されている」と言っていて成程!となった。もしかしたらリョーガだけ召喚されたのではなく自らやってきた実体なのかもしれない。余りにも柳生がラスボス過ぎて、見てるとリョーガについて考えてる余裕が無い。脳がオーバーヒートする。
タイムスリップものの王道と言えば、「どうやって帰るか」と「タイムパラドックス」だと思うのだが、テニプリは前向きなのでそんなこと気にしないのである。前進あるのみである。さあゆけ!お前はテニスの王子様!なのだ。世界をまるごと変えてしまえ!なのだ。「世界を敵に回しても」は、一見リョーマへの応援歌だが、実は観客へ届けるための歌なのである。テニプリにおける「王子様」の定義とは、「テニスを愛する者」、つまりリョーマだけでなくテニプリキャラみんなも我々も王子様なのである。だからあの柳生は柳生で正解なのである。一番いい歌声で、リョーマの後ろにいる我々に歌い掛けてくれてるのだ。我々に向けてるのだから、手塚部長や跡部様である必要は無いのである。だからあのフレーズ、「まだまだだね」がリョーマのソロではなく、合唱になるのだろう。
この映画を見て元気にならないはずが無い。出演キャラ総出で自分を応援してくれているのだから。
冒頭のディアプリで幸村を思い真顔で踊っていた立海勢もここではみんな笑顔で嬉しい。
桜乃ちゃんの記憶は消えているのは確定だと思うが、リョーマはどうなのかイマイチ読み取れない。そもそも子どものリョーマが覚えているんでは?と思うが、「曖昧な記憶」と歌っているので、記憶喪失後の今はあんまり覚えていないのかもしれない。関東立海の「不二先輩フレームだ!」は南次郎がフレームで戦うのを見ていたちびリョーマの頃の記憶から来たのだと推察される。
合宿でリョーガがわからなかったので、映画の記憶も消えてるし、記憶喪失の後遺症もある、という感じだろうか。とりあえず精密検査を受けて欲しいなと思う。
リョーガがアメリカ代表のときにリョーマに「恋の悩みか?」と聞くのは過去のリョーマと桜乃を見た記憶があるからなのかなあ…と思ったり。
10/16「手塚と跡部は覚えている」との回答あり。マジで!?
ヴォーンについて
南次郎に「いつも通りの力が出せるか?」と煽ってきた彼だが、見事にブーメランが決まって棄権してしまう。アダムが支援してた選手だが、八百長については知らされてなかったのだろうなと反応を見て思った。髪が無くなったくらいで棄権しちゃう!?と初見では思ったが、話としては悪役に描かれているアダムも彼にとっては良い人だったのかもしれない。信頼していた人が失脚した姿を見せられただけでなく、もしかして自分の今までの試合も八百長だったのでは?という疑念がよぎったのかもしれない。ヴォーンコールをしていた会場がいっきにブーイングになり、自分もアダムも信じられなくなった彼が、本気を出した南次郎と対峙して棄権してしまうのはやむなしと言えるだろう。テニスの試合はメンタルが重要と言われるが、それをよく表しているシーンだと言える。南次郎は試合前からずっと落ち着いており、「あんたのヴォーンだって勝つ可能性は0じゃない」とリョーマが言ったが、ヴォーンと南次郎のプロ選手としての格差がえげつないほど描かれているのでまあ無理だろうなと思う。ちなみに、クリスとヴォーンのウェアやラケバにA&Aのマークが付いてるので、二人ともA&A所属の選手なのだろう。改変前の女子車椅子テニスのポスターにも同じロゴがあるので、アダムは失脚したけど会社は潰れなかったようだ。社員の生活が守られて良かった。劇中では「全米オープン」と言っているが、表記は「AA OPEN」となっている。現実ではUS OPENと表記するらしいので、海外公開を見越してのことなのかもしれない。アダムの会社名がA&Aで、AA OPENのロゴと同じに見えるのは、全米オープンともA&A主催の企業カップとも受け取れる様にしていると考えられる。
タイムスリップ前と後について
リョーマが記事で探したけど見付からない失踪した幻の対戦相手の名前というのは、リョーマとも取れるしヴォーンとも取れるな、と思ったが記事をよく見ると「カメラを持ってた客もいるが何故か写ってない」と書いてあったのでリョーマのことだろう。ヴォーンは単純に八百長が発覚したためにテニス界から存在を消されたのかもしれないし、自ら去ったのかもしれない。
リョーマが今回タイムスリップする前の世界線と、タイムスリップ後の世界線は変化が生じているが、それは前回のリョーマがタイムスリップした結果の世界だったと考えられる。今回がタイムスリップ初回である可能性もあるにはあるが、そうすると八百長試合が行われ南次郎が負けたことになるので(南次郎は37戦全勝となっている)、前回もタイムスリップして親父の八百長はリョーマが止めた可能性が高い。ただ、その時は親父は助けたが、エメラルドやウルフ達に変化をもたらす事が出来なかったのでは無いだろうか。そして変化をもたらすきっかけになったのは何かというと電話である。前回は電話がつながらず、逃げ続けた世界線だったのではないかと考えられる。DecideとGloryの分岐となる場面だが、ストーリーとしての分岐点でもあるのかもしれない。「電話で歌うの!?w」と草生やされがちな「リョーマの想い 部長(強敵)の声」だが、冷静に考えてタイムスリップして親父がピンチで同級生の生命を預かってる限界状態の中1が、相談出来る相手に不思議な力でたまたま繋がったらもう歌うしかないのではないか。いま気持ちの高鳴りを表現しないでいつするんだ。もし私がリョーマの立場なら緊張の糸が切れて泣く。親父の選手生命と同級生の生命が自分の肩に乗ってて必死だから(中1やぞ)、逃げる事しか考えられなくなるのも無理はない。ここは世界を変えられるか変えられないかの大事な転換点であり、歌は必須なのである。
あとちょっと気になったのが、どちらのバージョンを見ても最後のセカテキで手塚と電話してる場面も跡部と電話してる場面も出てくることだ。先ほど「夏への扉」の名前を出したが、どちらかと言うとジェイムズ・P・ホーガン「未来からのホットライン」かもしれない。この作品では、猫が主人公とヒロインを出会わせ、仲を取り持つ役割を果たしている。タイムスリップ物ではなく、未来からのメッセージを受け取るという話なのだが、未来日本の部長達と電話が繋がるというアイデアは近いものがあるのかもしれない…と思うなどした。部長達のスマホに「越前リョーマ」と表示されてるのは宇宙(テニス)の力なのだろうか…。
楽曲について考えてて気になった事
「peace of mind~星の歌を聴きながら~」、リョーマは自分のワガママで桜乃を巻き込んだと思っているし、桜乃はそもそも自分がテニスギャングに絡まれてしまったのが原因だと思っているからお互いがお互いを思いやる素敵な曲だな…と毎回感極まりながら聞いているのだが、よくよく「越えたいその壁を」を聞くと、「時を超えても俺が見たかったもの」と歌っているので実はタイムスリップしてしまったのはリョーマが「タイムスリップして親父の試合が見られたら良いなあ」と思っていたからなのでは?という事に気付いた。たくさん資料を引っ張り出して調べても何もわからず手掛かりなしで単身渡米したリョーマ、「いっそ当時に行けたら手っ取り早いのになあ」と思っていたのではなかろうか。そう考えるとタイムスリップしてもやたら理解が早くて爆速展開で怯まないことに納得がいく。そもそもが「タイムスリップ出来たらなあ」と思っていたリョーマ自身が原因だから、桜乃に対して責任を負う立場になるのだ。
リョーマだけでは時間跳躍は不可能だったが、そこにエメラルドという要因がぶつかって可能になったと考えられる。
ティーチインによると、猫が「リョーマが助けてくれたからリョーマが見たい世界を見せてくれた」とのことだが、猫・リョーマ・エメラルド・南次郎・テニスの複数要素が揃って初めて可能になるのだろう。
この事態は自分が原因の一つだという事を、リョーマが桜乃に伝えない事に違和感があったのだが、改めてよーくピスマイを聞くと「全て俺のせい この世界に来たときも 親父のテニス見たさから」と歌っているのでちゃんと伝えていた。タイムスリップした後に実家に行ったりして振り回したことについて言ってるのかなと思っていたが、ちゃんと原因が自分だと気付いて謝っている歌詞だと思われる。「一つ言いたいこと」というのは、「原因オレです、すみませんでした(だからちゃんと守ります)」という事なのだろう。
ちなみに「越えたいその壁を」を聞いてると、天空闘技場に行く前にゴンに力の差の測り方を教えてるキルアが脳内に浮かんでくる。ある程度の強さが無いと相手の強さはわからない、強い相手ほど実力を隠すのが上手いというキルアの講釈通り、リョーマも強くなってはじめて親父がどれだけ強いかわかるようになった、という事なのだろう。
この映画のリョーマのテーマは「どうやったら強くなれるか」であり、南次郎にも「どうしてそんなに強いんスか」と聞いている。南次郎にははぐらかされるが、質問には「世界を敵に回しても」で回答が出ている。「守るべきもの全てが俺をまだ強く強くさせるから」と。
南次郎の守るべきものはもちろん家族なのだろう。リョーマが一緒にタイムスリップしたのがもし金ちゃんだったら二人で無双しそうだし、先輩の誰かだったら「越前下がってろ」になるだろうな、と思う。このテーマを描くには、リョーマよりテニスの実力が下で同級生以下の人物とタイムスリップする必要があったと思われる。
今回の映画でスポットが当たる人物は三人いて、
リョーマ→強くなるために守るべきものに気付く
南次郎→守るべきもののために自分の勝負は捨ててもいいという強さを示す
エメラルド→逃げるのをやめて決着を付けて前に進む
これら全てが無駄なく丁寧に示されてるのが本当に凄い。とにかく逃げるな!真っ向勝負じゃなきゃ面白くない!という事が提示されるわけだが、南次郎は今回リョーマが来たからこそ真っ向勝負出来たが、もし来なければわざと負けざるを得なかった。南次郎を見ていると、全立の真田のことが思い出されて仕方がない。真っ向勝負を捨てろと言われてチームのために捨てた真田がリョーマ!見たら精神に来るんじゃないかな…。いや八百長したわけじゃないし戦略を変更しただけなんですがね…。
今回桜乃には特に課題は提示されていないと感じる。
ただ最近では強い女性が描かれる風潮の中で、桜乃は一見時代錯誤な「守られるだけのお姫様」に見えてしまうが、それは桜乃が女子だからではなくテニス歴4ヶ月(映画しか知らない人にとってはテニスをしない一般人)だからだというのがエメラルドという女性がいる事によってわかる。多様性が叫ばれる昨今では、守られるだけじゃなく私も戦う!という女性キャラが歓迎される傾向にあるが、多様性というならば戦える女性も戦えない女性もいて良いと思うので、これで良いと私は思った。
テニス歴4ヶ月でも交通事故で無傷な体になれるのでみんなテニスで体を鍛えよう!
ちなみに屋上のリョーマと桜乃の行動なのだが、
①桜乃捕まる
②下を見て屋根を視認
③リョーマが箒を持ち変えたのを見て何かしようとしてると察知
④「返して」と話し掛けて隙を作ろうとする
⑤鞄を投げられたので思い切って屋根に飛んで隙を作る
⑥隙が出来たのでリョーマが打つ
「守ってみせる」と言っていた割には助けるよりも倒す方を優先していて引っ掛かったので、こういう流れなのかな?と考えてみた。
星について
今作では「星」がよくクローズアップされている。
冒頭の「君から届くHappy Dream 星の数だから」のところでリョーマの手で作った輪っかがテニスボールになる振付があるが、この振付は星を摘まむ振付として何度も出てくる。つまりテニスボールは星である、と示されていると言える。
「星」というのは何であるか?というと「輝くもの」であると言える。そして「輝くもの」に注意して見ていると、何度も出てくる。キラキラのエフェクトである。
単にエフェクトのときもあるが、「星」の意味を乗せるとき、キラキラは各校カラーに輝いている。タイトルのステンドグラスの色と同じである。
タイトルが出る時もよく見ると、単色のキラキラと各校カラーのキラキラが使い分けられている。各校カラーのキラキラが何なのかというと、「君から届くHappy Dream」なのではないだろうか。
ファンそれぞれの夢、感謝、応援…そういうものがあのキラキラなのではないだろうか。
あの猫は宇宙柄なのでは?と前述したが、星柄なのだとしたら我々ファンの夢を背負った存在であるとも言える。おそらく猫と星がテーマとしてあって、「世界を敵に回しても」で印象的な星の振付を割り振られているのが仁王(涼しいところ探すの得意・猫背)と菊丸(ねこ)なのは勝手に猫属性だからなのでは?と思っている。
円盤購入後に確認したところ、アダムの部屋に飾ってある猫の絵に描かれている黄色い物は星だと確認出来たので、「猫と星がテーマ」という仮説もあながち間違いではないかもしれない。
以下で各校カラーのキラキラや星が確認出来る。
①タイトル
②タイムスリップ時の宇宙
③教会の宇宙
④仲間召喚後リョーガがラインを光らせてから降ってくる
⑤テニフェスプチのセカテキラスト、宇宙のキラキラが集まって一枚絵になる
⑥タイトル(2回目)
星というのは夢の象徴であり、ラスト引退を決意し、新しい夢を見付けた南次郎の背後にも星が1つ瞬いている。
夕方に一番最初に輝く星を一番星と言う。言い換えれば、その人が最初に見付けた星という事である。その星に被さる様にして「まだまだだね」とリョーマが映る。
リョーマと試合して、南次郎は星を見付けたのだ。
我々の届けた星(夢)がキャラ達を応援し、またそのキャラ達が我々を応援して星を届けてくれる…愛の無限循環永久機関がこの映画で完成していると言える。こう考えたときに、(あれ…これ…知ってる!体感したことある!)と感じたのだが、アレだ、「励まし合い エール交換し続けたいぜ」だ!!!頑張れ負けるな必ず勝て!!!
テニミュのこの曲は卒業を目前にしたアンコール曲で、キャスト同士健闘を称えあい、また観客への感謝をも同時に伝え、更に全方位にエールを送る名曲である。エール交換、それがリョーマ!の本質だと感じた。「観客を全肯定する」とはそういう点を感じて付けた(タイトル回収できた良かった)。
実際、冒頭3分半の幸村とリョーマを応援する観客たちが青学でも立海でも他校でも無い“どこか”の制服になっているのは、映画館にいる我々観客が投影しやすい様にだと思われる。よく見ると全員揃っている訳じゃないし、振りが小さかったり遅かったりする子もいる。これは下手でもいいよ!楽しく踊ろう!応援してね!というメッセージなのではないかと思う。
テニミュ関係の余談
テニフェスプチのGloryの四天フェスタと泣きボクロの映像、テニミュの作った映像にすごく雰囲気が似てるなと思った。DREAM STREAMとか公演PVとかの…。トリコロールの青学がずらっと並ぶところ、センターがリョーマで両脇が手塚と不二…テニミュで死ぬほど見た群舞の立ち位置だ!?とテンション上がった。Decideの俺様の美技に酔いなの跡部様がドリライのステージ過ぎて泣いた。ドリライ…。余談ついでに書いておくと、エメラルドとの試合中に壁を使ってテニスをするリョーマ、めちゃめちゃ3rd関東立海の真田戦のCOOLドライブの演出だなと思いました(板を飛んで技を決める)。リョーマ対エメラルド「DANGER GAME」を直訳すると危険な試合になるが、テニミュには「危険なゲーム」があってリョーマ対赤也でルビーアイになるので緑と赤の対比が効いてて面白いなと思った。それから上映前の手塚と跡部の挨拶が3rdの前アナ思い出してグッと来ました…。前アナ後アナ復活してくれ…。あと背後霊背後霊言われてる「越えたいその壁を」のリョーマだが、あれはテニミュでよくある試合中にギャラリーがコートに乱入して歌うというのを再現した結果なんだろうなと思う。実際入るわけにはいかないので…。
唐突にハッと気付いたんだが、3rd全立後編「THIS IS THE PRINCE OF TENNIS」の「知ってるかい?YOU KNOW?」のところで柳生が「知ってます!!!」って出てくるのもしかしてリョーマ!の柳生の伏線なのでは!?と思うなどした(そんなことはない)。やる気マンマンジェントルマン!
ところでGloryテニフェスプチのレーザービーム後、セカテキ前にテニスボール飛んでくるじゃないですか…あの模様、本編を見てるときは螺旋模様とか無限大∞に見えるけど、テニスボールを流星のように大地に降り注がせた柳生の後に見せられたらもう眼鏡柄にしか見えなくて、柳生が宇宙の創造主だったんだな…と思っても無理もない演出になってません???
「映画見てテニスってあんなにシューズがキュッキュ鳴るんだと思って経験者に聞いたら、あんなには鳴らないと言われて疑問だった」という感想を見た。私は全然気付いてなかったので、注意して聞いてみたところ、確かに凄くキュッキュ鳴っていた。実際のテニスコートは芝やクレー、カーペットなので鳴るはずはなく、映画でわざわざ何故キュッキュ音が付けられているか考えたところ、リョーマ!が「テニミュのアニメ化」という立ち位置でもあるからではないだろうか。私が言われるまで気付けなかったのは、テニスシューズ音があまりにも耳に馴染み過ぎており、イレギュラーな音だと認識出来なかったからだ。観たことがある人はご存知の通り、テニミュはテニスシューズの軋む音から始まる。
「軋むテニスシューズの音を覚えていてね」、前述した「頑張れ負けるな必ず勝て」という曲の最初のフレーズだ。
更に余談
英語について。リョーマは当然話せるが桜乃は話せないので、「???英語わからん」みたいなシーンが普通なら入るはずだが、そういう描写を除いてスピーディーにしていたのが良かった。最初の露店のおじさんに話しかけられて困るところで説明を終えていた。ぶつかったおじさんは簡単な英語だったのでわかったのだろう。ウルフの運転しろは状況から察したと思われる。日本語話せるキャラとしか桜乃は話してないが、その辺あまり気にならない様にうまく調整されている。観客はリョーマ視点で見てるから、英語が日本語に翻訳されて聞こえているが、桜乃視点で英語と思しきところは全然わからないと思って見てみると、マジで不安しかないので正気を保っていた桜乃ちゃんはマジ凄いと思った。
声優さんに英語を話してもらって字幕を入れるというよくある手法を一回も採用しなかったのは、それこそちびリョーマくらいの年齢のこども達がストレス無く飽きずに見られる様にという配慮だろう。
アメリカの地理に詳しく無いので、脅迫状に書いてあるセリーズバーの住所を見て「へー、カリフォルニアなんだー」と思っていた。ハリウッドはカリフォルニア州ロサンゼルス。覚えました。
そして試合会場はどこにあるのかな?と思って調べたらアーサーアッシュスタジアムはニューヨークで、飛行機で5時間掛かるらしい。いやめちゃめちゃ遠いわ!そもそも二人とも旅費持ってる!?と不安になった。そういえば公開前に許斐先生が「ロードムービーだ」という様な事をおっしゃってたので、本当はハリウッドからニューヨークまでの道のりも描くつもりだったのかなあ…。
ブーイングしてる客について。
そういえばああいうスポーツのチケットって確か高かったよな…と思って調べてみたら、全米オープン決勝は3階席でも10万近くして、1階席だと80万くらいするらしいのでそりゃ怒るわ…と思った。高い金出してるのに八百長からの棄権不戦勝はもう返金しろ案件なのでは…。
あと気になったのが電化製品。
約10年前にもう薄型テレビあったっけ!?と思ったが有りました。過去世界では誰も携帯電話を持っていなくて、家庭用電話機と公衆電話しか出てこない。現在世界の幸村手塚白石跡部はスマホを持っている。この辺の違和感を「過去である」と納得させてあまり感じさせない作劇が凄いなあと思った。公衆電話がやたら画面に映るので(赤でめっちゃ目立つ。調べたら本当にあの色とデザインだった)、公衆電話という存在で過去世界だという事を強調してるのかなと思った。いつも確認しようと思って忘れるのだが、タイムスリップ前の現在の広場には公衆電話が無かったと思われる。
あと教会で「いい天気だ」って出てきたときは青空なのに、桜乃が捕まって事故を起こして逃げるまでは霧がかった薄暗い天気になってるのも芸が細かいなと思って見ていた。車から出た途端に周りの景色が明るくなる。
倉庫のテニスコートでもそうだが、照明の使い方が演劇的で楽しい。
教会と言えば入ってすぐのシーンだが、
①リボンをそのまま渡さずにまとめる
②身嗜みを整えているところを見ない様にしている
リョーマ様、デリカシー有りすぎて最高だな…といつも思う。普通の男ならそのまま渡すし髪型をなおすくらいなら気にせずに見てると思う。メイク動画等を気軽にネットに上げる時代だし、無頓着になってるが、本来は身嗜みを整えている姿って見せたく無いものなのだ。大学で漱石「門」をやったとき、居候のせいで部屋が足りなくなり、妻が化粧する部屋が無くなってしまったことが妻にとってどれだけの重大事か教授が語っていたのを思い出した。「見せたくない姿」だからこそ見たいのだろうな…と竹久夢二などが身嗜みを整え中の女性の絵をたくさん描いていることに思いを馳せた。
リョーマの振る舞い、本当に紳士だなあ…と思っていてハッとしたのだが…紳士…紳士と言えば…柳生…柳生比呂士…!?もしかしてリョーマに紳士仕草を教えたのは…………柳生…!?!?!?
なるほどな そういう事か わかったぜ(絶対違う)(リョーマが元々持ってるものだと思います)
あと、これからすごいこじつけの話を書くのでフーン程度に読んで下さい。
リョーマ!の猫が神なのでは?という話をしたが、エジプト神話にバステトという黒猫の女神がいるらしい。時代が下ってギリシャ神話になるとアフロディーテと同一視される事もあったとのこと(エジプト神話にもギリシャ神話にも詳しくない)。アフロディーテと言えば、金星を守護に持つ愛と美の女神(ローマ神話ではヴィーナス)。
ラスト南次郎の背後に一番星が輝いていると前述したが、一番星は大体の場合は金星である。猫はメスである事が最後に尻尾を上げているので確認出来る。そして柳生の中の人の奥様と言えば………愛の天罰、落とさせて頂きます!!!ヴィーナスラブミーチェーン!!!
全てがYになる…気がする…。
また何か書くこと思い出したら書きます!
ほとんど考察しか書いてないので感想は感想でちゃんと書きたいけど語彙力消失オタクなんで「感謝するぜ リョーマ!と出会えた これまでの全てに!!!」しか言えない。全人類リョーマ!を浴びて世界平和になろう!
まだまだ行くぞ!応援上映!!!
公開当時の思い出
追記:9月に公開されてから今現在(6月)まで応援上映が開催されています。応援上映はもう何回も観てるガチオタしかいなくて、それはそれで楽しいんですが、公開されて少し経った辺りの「なんかよく知らないけどおもろいらしいから来てみた」というほとんどの観客が初見の劇場で観るのがめちゃめちゃ楽しかったです。映画でも舞台でも周りの観客の反応って大事ですよね。
笑いを必死にこらえて揺れる肩越しに見るスクリーンは最高でした。
全然映画通では無いのですが、上映が終わって明るくなった後も皆が茫然として静まり返り、係員さんが入ってきたら堰を切ったように一斉にざわざわし出すという、すぐに席を立つ事が出来なくなっている映画というものに私は初めて出会い、体感しました。
たまたまその場にいた知らない人達との感動の共有という、映画館の意義を経験出来たことに感動しました。
オタクだけの空間は「ここにいる人達みんなテニプリが好きなんだ」という喜びがあってそれはそれで大好きなんですが、またあの感動を「リョーマ!」で味わえたら嬉しいな、という思い出追記でした。
まとめるとオタクは初見の反応が大好き!!!!!というだけなんですがね!!!!!
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