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まるまーるの人ってどんな 人? Misato -日本、アメリカ、オーストラリア。そして今思うこと。

まるまーるは、「誰もが自分らしさを発揮し、互いを受け入れ、輝きあうことができる共生社会づくり」を目指して、日本で暮らす外国人の方の子育てサポートを中心に活動しているNPO法人です。未来に直結する子育てからダイバーシティ、インクルージョンを実現することで、世の中に変化をもたらしたいと考え、
 1.  家族で楽しめる交流イベントの開催
 2. やさしい日本語・英語を使った「当事者目線の子育て情報」の発信  
 3. 各種相談対応、市役所等での手続き同行
等の活動をしています。

そんなまるまーるの動力であり宝でもある、多彩なメンバーたち。
様々な経験を持ち、魅力あふれるメンバー達をご紹介していきたいと思います。

今回は、まるまーる設立当初から活動し、副理事を務めるみさと。

Misato  
まるまーる 副理事。NPO法人hinataboccoでも理事を務め、
自ら立ち上げたThe 和み Space Connectedの代表を務める。
小4から中学卒業までアメリカ ミシガン州で過ごす。
大学卒業後、介護関係の仕事に従事した後オーストラリアに渡り、救急看護師に。
[ 趣味 ] 空を見ること、虹や彩雲、料理、異文化交流、読書など。自然が大好き。
[ 言語 ] 日本語、英語


まるまーるとの出会い

Q: まるまーるとの出会いはどこで?
代表の小澤がまるまーるを立ち上げた際に偶然ウエブ検索で見つけました。
自分の海外での経験や帰国後の経験が活かせるのでは、と思いメール。
それからずっとメンバーでやらせてもらっています。

アメリカでの暮らしと、日本での逆カルチャーショック

Q: 幼い頃はどのようなお子さんでしたか?
静岡県出身ですが、小4の頃から中学卒業までアメリカ ミシガン州で暮らして帰国。日本の中3  2学期から日本の中学校に転入し、その学校で初めての帰国子女になりました。逆カルチャーショックで、当時は日本が大嫌いになってしまい、アメリカに戻りたいと思っていました。

Q: その後、日本で進学したのですか?
はい。高校で救われ、大学も日本で、就職も日本でしました。介護関係の会社だったのですがやり方に馴染めず、介護経験から認知症のスペシャリストになりたいと思い、看護の勉強をするために、また、日本をもう一度出たくてオーストラリアのシドニーへ渡りました。

オーストラリアで 救急看護師として

Q: オーストラリアでは救急看護師だったとか?
はい。救急部門に定着する前はシニア病棟、整形外科、心臓移植・外科、ガン・骨髄移植病棟などを回りましたが。その中で最もやりがいがあったのが救急で、救急看護師になりました。

日本に関する気づき

Q: 大活躍されながら、日本に帰国されたんですね。
オーストラリアで様々な人種の人や文化と関わり、日本文化、日本人のすばらしさに気づき、妊娠を機に帰国しました。今は子育てをしながら様々な活動をしています。以前は大嫌いになってしまった日本でしたが、他の国、文化にはない日本の良さ、すばらしさに気づきました。いまだに文化の違いで戸惑うこともありますが、日本の暮らし、生活を楽しんでいます。

中国出身ママのストーリーに触れて

Q: これまでのまるまーるの活動で一番印象的だったのは何ですか?
オンラインで外国籍ママの日本での生活や母国との違い、暮らしていく知恵などを伺う"My Story"シリーズを開催しました。

その時の中国の方の話がとても興味深かったです。外見は日本人と変わらないけど、話してみると少し日本語が日本人ぽくないとか、文化が違うために振る舞いなどが違うことによる違和感というか、自分での気づきを、いかに前向きにとらえ、前進していくか。私は日本人ですが、帰国して同じようなことを経験したので、共感するところが多かったです。

Misatoが印象的だったと語る、イェンリさんによる"My Story"。


Q: まるまーるのどんなところが好きですか?
メンバーが皆ママさんで、バックグラウンドも性格も違うけど、それぞれ活躍しながら、でも同じ一つの目標に向かって頑張っているところでしょうか。お互い学びあうところがあり、尊重しあいながら活動できるところ。


ここまでお読み頂きありがとうございました!
「まるまーるの人ってどんな人?」では、引き続き多彩な面白メンバーをご紹介。
ぜひ、ご覧ください!