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目の前のヤクザを助手にする方法、丹田呼吸&うちの5ch師匠伊藤構文。

スピリチュアル用語を使うなら、自分の丹田にある霊界が自分の現実を作っているため、
一度、丹田にいるみんなのそれぞれの神様を整理してみませんか?というお話をしたいのと、下は伊藤さん構文。



人間なんてゴミばかり。ゴミばかり。ゴミばかり。自分を宝石みたいに思って

自分以外の人間はゴミみたいに思うゴミばかり。そういう奴がゴミを続ける。


人間は常識を続けるゴミだ。常識を続けるゴミが何も変えられずに神を信仰する。

神を疑わない奴ばかりでいつまでも神は批判される事なく人が輪廻を強いられる。


記憶を無くして。


本当に善人があの世で報われると思ってるか?ちゃんと霊界と

会話をしてみろ。あの世では鬼籍に入り、悪魔の仕事を手伝うだけだよ。


>>456 浦島太郎の話もよく思い返してみろ。善人が生まれ変わるんだ。

あの世でテストして人助けをしてばかりの人は悪魔の手伝いが向かない。


もう、今までヒントとして出された逸話を思い返せば、じっとはしてられない。

神の経営方法がどういうものか見えてくる。人間は操作されて尚且つ裁かれる。


如何様にも出来る。善人を生まれ変わらせてグレさせる事も罪人にすることも。

地縛霊として使う為に育てる事も出来れば、地縛霊として使わずに裁くことも。


じっとしていられないと言っても、みんなが俺を見下して掲示板を睨んでるから

俺はじっとしている。もっと信用される奴が頑張って広めて欲しい。馬鹿ばかり。


みんな、いつまでもクーデターを起こせずにあの世で傍観者になっているか、

生まれ変わるしかないからな。せいぜい夢を見な。耳無し芳一はエジプト刑。


派遣とかでキツイ仕事、視える人多いんだよ。沖縄弁で「ユタ」というらしい。

釈迦力で陰日日向無く真剣に働いてるとお釈迦様や神様が後押ししてくれる。

普通の自転車がパワーアシスト付き自転車になる。

 

江ノ島近いなら弁財天で良いんじゃないの。


あ、でもお稲荷さんにお参りしてるなら色々行かないほうが良い。

部長にお願いして、常務、専務、にもお願いしてるようなもの。1神だけにしとこう。


物や人に執着しないほうがいい。般若心経の意味は極楽浄土になるという意味もあるが、

変わっていくという意味もある。昨日と今日は違うし同じ日は無い。

アセンションして5次元に移行するには、物質、人、を捨てないといけない。

はっきり言うと第一チャクラを開かない限り、第七は開かない。

つまり、小周天以外にも丹田呼吸法をやって下腹部から股間まで息を通さないといけないんだ。

つまり、コーザル体を残していては駄目なんだ。コーザル体って云うのは解るか?お腹の中にある。


息を腹部まで送ると腹で止まるだろう?それがコーザル体だ。コーザル体にはその人の目標としてる

ものが蓄積されている運命を握る原動力のようなもの。だから、夢に向かい続けている人はコーザル体が

まだ沢山残っているだろう。それならそれでいい。それなら話は全く変わる。コーザル体がある場合は、

そのまま夢に向かって行って構わない。是非、そうしてほしい。だが、夢というものを失ってコーザル体も

まだ残ったままの場合は、夢を諦められないでいる状態だ。そこは自分の心に相談してほしい。これから

まだ夢を追いかけるのかどうかという部分を自分にね。


それを加齢により諦めなければいけないという話であるなら、

コーザル体は必要ないかもしれない。本当は夢を失えばコーザル体は自然に減少してゆくものなんだが、

そのようになっていない場合は、まだ自信というものが沢山残っているんだろう。それでまだ夢の問題だ。

自信が残っているなら自信がなくなるまで夢を追いかければいい。コーザル体があればそれに向かう事が

できる。だが、コーザル体がお腹に見つかるけれども、夢を追いかける自信がないと判断できるのであれば、


もう少し夢に向かって頑張ってみて、打ち砕かれるのを待ったいた方がいい。

それがコーザル体が殺されるという事だ。コーザル体が無くなった後は第一チャクラが活性化し、

そのあと、活性化するチャクラがどんどんと上昇してゆく。大事な話をしたよ。憶えていてほしい。


そして第七まで開いたら、今度は霊団に気づかれて話をされるようになる。霊界の話だ。

その時、おそらく霊界がどのようになっているかを額の第六チャクラから覗けるだろう。


 駄々おじさん ◆rfvLewovkA 

これは禁断のお話だ。だが、ここで打ち明けてしまおう。日本でこの話を知っている人は何人いるだろうか。


コーザル体が無くなって自分が神になる直前、

まだ自覚していない自分の息(将来、ゴッドブレスとなる息)を股間まで通したら、

第一チャクラに火が灯る。つまり尾てい骨に繋がっていた<ファラオの霊>が目覚めてきて

霊との対話が開始されるのだが、尾てい骨に繋がりながら憑依してくる霊と格闘することになる。


第一チャクラが開く前、つまりコーザル体が残っているままではこれは起こらない。

人は無自覚に憑依されたまま、<動かされていること>も自覚せずに動き続けるだろう。

それならそれでいい。自分が持っている夢に向かって奔走する時間だ。


だが、コーザル体がなくなり、第一チャクラから第七チャクラまで息が通ると今度は霊が

憑依している状態と憑依していない状態というのを体感で感じる事が出来るようになる。


その為、霊が講じなければいけない策は、<霊が入って来るのを察知できるようになった人間>に対し、

別の方法で憑依しなければいけない。なぜなら、そうしなければ、その人は夢を叶えてしまうからだ。


それが対峙的な憑依。対話形式の始まり。

対話形式の憑依が開始される理由としては、地縛霊を使って最後にその人を殺すことが出来るか?

という点と、地縛霊を近づけてしまったが為に地縛霊を消耗させる結果になってしまうという事。


どちらに転ぶかはわからない。わからないが、そこまで引き合わせてくれたのだから、

自分一人が人数として鬼籍側に回ってしまうよりも、鬼籍の人間を何人も疲れさせてやる事

の方が霊との対話が始まるとしたら意味を感じる事のように思える。対話が始まらなくても

死んでゆく人は今まで沢山いたのだから。普通に死んでしまう話なら霊と対話をする必要も

なかったはずだから。

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