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『雪の下に』 # シロクマ文芸部

雪化粧と聞くと、死化粧を思い浮かべるのは私だけだろうか。

秋が深まり、紅葉した葉がひと通り散り果てたある日。
窓を開けると、いちめんの白。
普段は、緑や黄や茶や青や、それぞれの色を持つものが、すべて白一色になる。
それなのに、不思議に、見渡せるものの輪郭が前よりもくっきりと現れる。
今まで気がつかなかったものの存在を知る。

秋の収穫がひと通り終わると、人々は家に閉じこもる。
窓には板を打ちつけ、さらに布と藁で覆い隠す。
古びて建てつけの悪くなった戸に頑丈なかんぬきをかける。
表にぶら下げられた獣の干し肉と毛皮が、北風に揺れる。
そうして、雪化粧に備えるのだ。

雪はものの存在をあらわにするとともに、音を吸い込んでしまう。
本当の静かさが、無音ではないことを知る。
それは、音が雪の中に入り込む音なのか。
聞こえない音があたりを覆い、家々に迫ってくる。
少しずつ少しずつ。
人々は、囲炉裏の周りに背を丸めてその聞こえない音に、耳を澄ませる。
父は母の背を隠し、母は子の手を握りしめる。
その間にも、雪は更に積もり、屋根を軋ませる。
そして、長い夜が始まる。
夜明けを知るのは、窓を隠した古い布と藁の隙間から刺す、微かな光だった。
それは、刃物のような光ではなく、何かどろっとした、沼からこぼれてくるような光だ。
人々は、その隙間をさらにふさぐ。

ある夜、足音を聞く。
静寂の中に、雪の降る音と、雪が吸い込む音に混じって、微かな足音を聞く。
それは、前の一歩を忘れた頃に、次の一歩が踏み出される、ともすれば聞き逃してしまいそうな足音だ。
それが聞こえると、人々は囲炉裏の火を消す。
その足音の向かう先はわからない。
待つしかない、通り過ぎるのを。
祈るしかない、その向かう先がここではないことを。
背を丸めて、息を潜める。
幼い赤ん坊の口を、殺してしまわない程度に、母親は押さえつける。
揺れる影は、梢か、それとも。
だが、それを確かめるすべはない。
いや、あるとすれば、暗い暗い夜が明けた時に、握りあった妻の手が、押さえつけた赤ん坊の口が、抱きしめた妹の肩が、まだあるかどうか。

やがて、雪解けの日が訪れる。
人々は、打ちつけた板を外し、かんぬきを開けて外に出る。
表の干し肉と毛皮が無くなっているの見て、大きく溜息をつく。
そして、いつまでも戸の開かない家があると、その前に集まって頭を下げる。
弱々しく、しかし深く。
あの夜、自分の家族の無事のみを祈ったことを誰にもわからないように侘びながら。
桜の樹の下には屍体が埋まっていると書いた作家がいた。
屍体の埋まっているのは、桜の樹の下ばかりではない。
溶け出した雪が一箇所、人の形に残る。

私が雪化粧と聞くと死化粧を思い出す理由だ。

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