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『雲の味』 # シロクマ文芸部

夏の雲を食べてみたいとタカシ君は思っていました。
青い空にぽっかりと浮かぶ雲は、口の中でとろけるマシュマロのようです。
山の向こうからむくむくと湧き上がってくる雲は、甘い甘い綿飴のようです。
そんな雲を見ると、タカシ君はいつも、マシュマロや綿飴のような雲を両手に持って、お口いっぱいに頬張っているところを想像するのでした。

ある日の帰り道、いつものように公園を横切っていた時のことです。
小さな屋台が出ていました。
この公園で、そんなお店を見るのは初めてのことです。
屋台の前には、
「おいしい雲」
「甘ーい雲」
「とれたての雲」
そんな旗が立てられています。
実際に、甘ーい香りがタカシ君の鼻を刺激します。

「甘ーい雲はいらないかい」
気がつくと、タカシ君は屋台の前に立っています。
中から、頭に鉢巻きをしたおじさんが声をかけました。
タカシ君には、断る理由などあるはずもありません。
おじさんは日焼けした顔でニヤッと笑うと、手にしたカップで空の雲をサッとひとすくいしました。
「いちごかメロンかソーダ、どれだい」
タカシ君は、いちごのシロップがたっぷりかかった雲を受け取りました。
毎日空を眺めながら想像していたよりも、それはそれは甘くておいしい雲でした。  
次の日も、その次の日も、タカシ君は屋台に立ち寄って甘い雲を食べました。

タカシ君は、怖い夢を見て目が覚めました。
夢かと思ってホッとしていると、どこからか話し声が聞こえます。
その声に耳を澄ませていると、時々お父さんとお母さんの声も聞こえて来ます。
笑い声も混じっているようです。
タカシ君は、そっと布団から抜け出しました。
声は階下の、いつもテレビを見たりご飯を食べている部屋から聞こえます。
ゆっくり、足音がしないように階段を降ります。
タカシ君の家は古い家なので、ところどころで階段が大きくきしむのでした。
でも、タカシ君は何段目がどんな音を立てるのかをわかっているので大丈夫です。
そっと廊下に降り立ったタカシ君は、灯りが漏れている部屋に近づきます。
戸の隙間に目を押し当てたタカシ君は、
「あっ」
と声が出そうになるのを懸命にこらえました。

その部屋では、お父さんとお母さん、それに近くのおじさんやおばさんが集まっていました。
みんな楽しそうにおしゃべりをしています。
そして、そのテーブルの上には、お酒と、見覚えのある、あるものが並んでいます。
それは、昼間タカシ君が食べたあの雲なのでした。
お皿にとった雲に、みんなは甘いシロップではなく、お醤油やお塩をかけて、それをお箸で美味しそうに口に運んでいるのです。
お酒をひとくち飲んでは、辛そうな雲をひとくち、そしておしゃべり。
あんなに辛い雲が美味しいのだろうか。
タカシ君は、不思議に思いながらその場を離れました。

翌日、公園に行ってみましたが、もう屋台はありません。
鉢巻きのおじさんもいません。
夜中に、何度もそっと目を覚ましてみましたが、大人たちの話し声は聞こえてきません。
タカシ君が、大人の雲の味を知るのは、ずっとずっと後のことでした。

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