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そりゃ、紙の本がいいに決まっている〜「チャリング・クロス街84番地」

Netflixで「チャーリング・クロス街84番地」が配信されていたので、久しぶりに見た。
見ると、読みたくなって、「チャリング・クロス街84番地」をもう何度目かわからないが、読み直した。
最初に読んだのは、もう40年以上前の学生時代。
物語の構成についての講義で、同じ書簡体小説である、ラクロの「危険な関係」に続いて取り上げられた。
それ以来、ことあるごとに読み返している。

始まりは、戦後間もない1949年10月5日。
ニューヨーク在住の売れない作家、ヘレン・ハンフが、ロンドンのチャリング・クロス街84番地にある古書専門店、マークス社に宛てた、手紙というよりも一通の注文書。
そこから、彼女とマークス社の、主にフランク・ドエルとの、アメリカとイギリス、海を越えた20年に及ぶ手紙のやり取りが始まる。

ヘレン・ハンフは、綺麗な装丁の古書好き。
と言っても、書棚に並べて悦にいるタイプの愛書家ではない。
きちんと読んでいる。
彼女は、程度のいい古本を求めはするが、新刊には興味を示さない。

私が古本の中でも特に好きなのは、前に持っていた方がいちばん愛読なさったページのところが自然にパラっと開くような本なのです。ハズリットの本が着いたとき、おのずから開いたページにはこう書いてありました。「私は新刊書を読むのが大きらいである」この本が以前どなたの所有になるものだったかは知る由もありませんが、その方に向かって私は、「同志よ!」と叫んだものです。

そして、こうも書く。

私は見返しに献辞が書かれていたり、余白に書き込みがあるの大好き。だれかほかの人がはぐったページをめくったり、ずっと昔に亡くなった方に注意を促されてそのくだりを読んだりしていると、愛書家同士の心の交流が感じられて、とても楽しいのです

ハンフの手紙は時に辛辣だ。
届いた本が気に入らないと、

コンナモノハインチキぶろてすたんとノ新約聖書デス。


またある手紙では、

イッタイ君ハコレデモピーブスノ日記ダトデモ言ウオツモリカ?
(中略)
こんなインチキな代用品は、一ページ一ページ破いちゃって、包ミ紙二シテヤルゾ。

もちろん、心からの怒りではない。
罵った同じ手紙の追伸では、ハンフからマークス社に贈るのに、「新鮮な卵」か「乾燥卵」のどちらがいいか、店のみんなに聞いてくれとフランクに頼んでいる。

ハンフからの贈り物というのは、こういうことだ。
1949年は、イギリスではまだまだ戦争の影響が大きく、物資は配給制だった。豊かなアメリカに比べて、庶民にはまだまだ好きなものが手に入らない状態。
もちろん、ハンフも生活に余裕があるわけではないが、手に入るものをマークス社に送るようになっていた。
このあたり、同じ戦勝国でも、イギリスとアメリカの違いが伺えて面白い。

そうした贈り物を通して、ハンフはフランクだけでなく、マークス社の他の店員、フランクの妻ノーラとも、手紙を通しての交流を深めていく。
お互いに顔も知らない者同士。
時に、ハンフとフランクは、疑似恋愛かともとれるような親密さを見せる。

そして20年。
ハンフの仕事は徐々に軌道に乗っていく。
当初幼かったフランクの2人の娘も、姉は教師として働き、妹は婚約をした。
そして、マークス社の社員の動向にも、ある者は、そしてある者はと、その年月は及んでいく。
この間、ハンフはイギリスを訪ねたいと希望し続けるが、なかなか実現しない。
実現しないままに、物語は驚きの展開を見せる。

最後の手紙で彼女は書く。

何年か前、私の知り合いのある男性が、イギリスを旅行する人は、見ようという目的のものが必ず見られる、って言ったのを覚えています。私ならイギリス文学のイギリスが見たいわって言ったら、彼、うなずいて、あるともって言ってたわ。
 あるかもしれないし、ないかもわからない。今私がすわっている敷物のまわりを眺めると、一つだけ確実なことが言えます。イギリス文学はここにあるのです。

僕は今では電子書籍が中心だが、紙の本を否定するわけではない。
その表紙の手触り、手にした時の重さ、読み終わって書棚に並べた時の満足感。
どれも、電子書籍では味わえないものだ。
ただ、保管するスペースの問題と、読み始める時や持ち歩く時の手軽さ、検索の便利さ、また購入も簡単であることなどから、今は電子書籍が中心になっているに過ぎない。
どちらがいいかと言われれば、紙の本がいいに決まっている。
もし、電子書籍隆盛の時代をヘレン・ハンフが見たら、なんと言うだろうか。

古本も僕は好きだ。
学生時代は、神田の古本屋街を毎日のようにうろうろしたものだ。
文庫川村では、岩波文庫の絶版本を漁った。
古本には、ハンフも書いているように、前の所有者の痕跡を発見する楽しみもある。
求めた本の中に線が引いてあると、この持ち主はこの箇所に何を読み取ったのだろうと思いを馳せる。
中には、内容とは関係のない書き込みもある。
〇〇へ、とイニシャルが書いてあったりすると、この2人はどんな関係だったのだろうかと考える。
恋人か、友人か。
角川原義は、ある時手にした古本の中に、
「目がつぶれるほど本が読みたい」と書き込みがあるのを見て、
「これは貧乏な学生さんの心からの願いに違いない。こんな学生さんにもっと本を届けたい」
そう考えて角川書店を創業したという。

映画では、後年のハンフが、廃業したマークス社の店舗を訪ねるところから始まる。
映画の中では、ハンフの好むジョン・ダンの詩も紹介されていて、それが物語に深みをあたえている。
ヘレン・ハンフ役にアン・バンクロフト、フランク・ドエル役にアンソニー・ホプキンス、そしてフランクの妻ノーラ役をジュディ・リンチが演じている。
「若いなあ」
きっとあなたもため息とともに呟くに違いない。
映画のタイトルはなぜか、「チャーリング」と伸ばしている。

noteの皆さんは、本好きの方が多いと思う。
もしまだ見ていない、読んでいない方がおられれば、見てほしいし、読んでほしい。
いや、見るべき、読むべきとまで言い切ってもいい。
僕の持っている、昭和59年刊の江藤淳による翻訳版には、「書物を愛する人のための本」と副題がついている。

見出し画像は、その昭和59年刊の僕の蔵書。
我ながらなかなか綺麗に保管されている。
きっと、読む時には毎回カバーをつけているからだ。
写真からは切れているが、帯の下部には360円の文字が。
40年近い時の流れを感じさせる。
今は、後日談を収録した増補版が出ている。

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