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ということで難読地名

ということで(どういうこと?それは最後に)、京都の難読地名。
と言っても、京都市内の難読地名はもう知れ渡っている。
太秦=うずまさ
帷子ノ辻=かたびらのつじ
化野=あだしの
等々。
観光で訪れるのなら必修項目だ。

京都市内、中心部の中京区だけでも約500の町名がある。
それだけ細かく分かれている。
そんな中で難読地名をあげていけばキリがない。

そこで、中心部を離れて、京都南部の難読地名を紹介してみたい。

東一口

宇治市久御山町にある地名。
もちろん、「ひがしひとくち」ではない。
もともと、この久御山町、小倉町あたりは巨椋池という大きな池だった。
池とは言うものの、実際には湖と呼ぶにふさわしいほどの大きさだったが、昭和に入ってから干拓された。
僕の実家もこの上にある。
僕が子供の頃は、まだ巨椋池の名残りの大きな水たまりのような所が残っていて、釣りをしたり、筏を作って遊んだりしていた。
今はもう住宅街になっている。

Wikipediaより

さて、この「東一口」
読み方は、
「ひがしいもあらい」

「ひがし」はいいとして、どれが「いも」で、どれが「あらい」やねん。
ごもっとも。
元々は、池からの流出口を「一口」「ひとくち」と呼んでおり、その東の流出口で、
「東一口」「ひがしひとくち」
こう呼ばれていた。
うん、これならわかる。

恐らくこのあたりで、病気が流行るようなことがあったのだろう。
「忌み祓う」
「いみはらう」
これが、「いみはらう」→→→「いもあらい」バンザーイ!
「ひがしひとくちのいもあらい」
と呼ばれるようになった。
ところが、誰か僕みたいないい加減な奴がいたのだろう。
「ひとくち」をとばして「ひがしのいもあらい」と呼び始めた。
それが「ひがしいもあらい」になった。
もちろん、諸説ある。

他には、
「北川顔」と書いて、
「きたかわづら」と読む。 

祝園と書いて、
「ほうぞの」と読む。

神足と書いて、
「こうたり」と読む。

最初に、京都市内の町名の多さについて書いたが、ひとつだけ、最近知った町名を。

轆轤町

「ろくろちょう」
と読む。
六波羅蜜寺があるあたりの町名。
元々は、
「髑髏町」「どくろちょう」だったらしい。
ここは京都の巨大葬送地である鳥辺野の入り口にあたり、多くの亡骸がこのあたりに運ばれてきたとか。
江戸時代になって、今の町名に改められた。

地名の由来も調べていけば面白かったり、中には怖いものもある。

ということで、この記事は、下の千世さんの記事に触発されて書いている。

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