見出し画像

一年経てば、一年目の日はやってくる

下の記事を書いて、もう一年になる。

ということで、僕もこの一年を振り返ってみたい。

一年前の今日、この記事を投稿した時には、もう退職前提の有休消化に入っていた。
最初は、この間に次の就職先を探せればと思っていた。
実際には、単身赴任先と我が家を荷物を運びがてら何度か往復するだけの、のんびりした期間になってしまった。

その間に、かねてから手続きを進めていた墓じまいを完了する。
僕は長男で、娘しかいない。
しかも、娘は東京で生活している。
妹はとうの昔に嫁いでいる。
父方のいとこも、偶然にも女子ばかりだ。
将来のことを考えると、僕が動ける間に墓じまいをしておいた方がいいのではないか。
父と母が言い出して、少しずつ手続きを進めていた。
今は、京都の西大谷に納骨させてもらっている。

9月に入ってから、正式に退職となり、我が家での生活が始まる。
慣れない? 我が家での生活。
さして広くもないが、夫婦2人では広すぎる我が家をひとりで守ってきた妻に、いろいろとしきたりを教わりながら、いわば第二の人生がスタートした。

とりあえず、失業手当の手続きをする。
と、間もなく、父と母の介護の問題が浮上。
父に毎日インシュリン注射を打ってきた母が、背骨を骨折して入院。
「自分で注射したらええやろ」
しかし、一度嫌だと言った父がうんと言わないのはわかっている。
認知症というほどではないが、時々深夜に母や近所の人を煩わせることもあったようだ。
父を短期で預かってくれる施設を世話してもらう。

母は、何度か入退院を繰り返したが、最終的に手術をするしかないとなり、年明けに手術をしてもらう。
ただ、母が退院しても父の面倒を見られるかどうかわからない。
相談した結果、父には、正式に老人ホームに入ってもらうことにした。
費用など条件の合いそうなところを何件か妻と訪ねてまわり、最終的にある施設に決定。
1月の終わりから入居させた。
その時点で、父がもう自分の家に帰れる見込みはなかった。
話をするべきかどうか、迷ったが、話さない方を選んだ。
選んだというよりは、話せなかった。

東京で働いている娘が、かねてから同棲している人と正式に結婚することなる。
5月に先方のご両親とお会いするために妻と東京に。
もう大きな式はしないことでお互いに了解。
それなら、もう早くしちゃえばと、その2日後の5月26日に入籍。

そして、その翌日の5月27日の深夜、施設での転倒で骨折し入院していた父が、突然意識不明となりそのまま息を引き取った。
「孫の結婚を見届けて亡くなったんやな」
と周りの人は口にした。

人間がそんなに簡単に自分の死期を調節できるとは思えない。
「どうなんや」と父に問い助けても返事はない。

父を荼毘に伏し、無事に四十九日の法要も終える。

失業手当も終わり、そろそろ働かないとと思っていたところに、近くでいいところがあり、8月から週に3〜4日で働き始めた。

noteでは、自分で満足できればいいやと思って投稿を始めた記事に、多くのスキやコメント、さらにはサポートまでいただき驚いている。
全てが励みになり、感謝しかない。
また、思わぬコンテストの賞に選んでいただいたり、またお誘いもいただいた。


主に、その時々に思いついた年寄りの愚痴を書き殴ったものと、ショートショートとも呼べない素人の短い物語を書いている。
どちらも、本当はテーマやテイストを絞った方がいいのかもしれない。
しかし、そうなると、そこに書けないことが頭にたまってくる。
これからも、好きなこと、思いついたことを、吐き出すように書いていきたいと思う。
これがわがままなら、年寄りのわがままを許してほしい。

また、俳句や短歌にも挑戦したい。
父が俳句をやっていたので、そのうちに習おうと思っていたら亡くなってしまった。
若い人に教えているところは何度か見たが、そこにまじる気にはなれなかった。
教訓。
習いたい時に親はなし。

これまでは、少しの期間を除いてぼぼ毎日何かを投稿したきた。
これからは、多少自分のペースでやっていければと思っている。
別にそれで、内容が良くなるわけではないので期待はしないでほしい。

これからもよろしくお願いします。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?