『白いノート』
父の遺品を、実家で母と一緒に整理していた。
夫には2、3日で帰るからと言ってある。
父は、元々自分の書斎など持たない人だった。
家にいる時には、台所の隣の六畳の居間でいつも過ごしていた。
そこで、新聞や本を読んだり、テレビを見たり、居眠りをしたりしていた。
定年後は、私が使っていた2階の四畳半の部屋に時々籠るようになった。
私の残していった勉強机をそのまま使っていたらしい。
その部屋で、時々は書き物をしていたらしいが、ほとんどは同じように新聞を読んだり、読書をしたりして過ごしていたようだ。
父は、晩年にパイプをふかすようになった。
母はその匂いが嫌で、私によく愚痴をこぼしていた。
父が私の部屋を使い出したのを機に、パイプはその部屋でふかすように言ったらしい。
だから、その部屋のドアを開けた時に、真っ先に飛び込んできたのはその少し甘いパイプの香りだった。
天気も良かったので、窓を全開にして母と作業を進める。
子供用の書棚に積み上げられた本は、町の図書館に引き取ってもらうか、それが駄目なら、もう処分する方針だった。
買取に出しても、たいした金額にはならないだろう。
重さに応じて、10冊から20冊くらいを重ねて紐で括っていく。
途中まで使ってそのままのノートが何冊も出てきた。
また、大量のメモが、そのノートの間や、机の引き出しから見つかった。
父は、短い文章を書いては、新聞や雑誌に投稿していたらしいが、それが掲載されたと言う話は聞いたことがない。
母も知らないと言う。
父が何を書いていたのか興味はあったが、ノートやメモの文字は乱雑で、読み切ることは難しかった。
段ボールに詰め込んで、処分は母に任せることにした。
2日目、整理していた書棚の後ろから、白い表紙のノートが出てきた。
白いと言っても、もうかなり黄ばんではいるが。
表紙には、私の名前が、大きく、当時の私の文字で書かれている。
私が幼い頃、父は毎晩、白い表紙のノートを持ってきて読んでくれた。
最初の日に、ここに名前を書きなさいと言われたのを覚えている。
それから、毎晩、父はそのノートを開いて、短いお話を読んでくれた。
面白い話が多かったけれども、中には怖い話もあった。
子供はそんな話を好むもので、特に私は地球儀が老婆の顔に変わる話が好きで、何度もせがんだものだった。
ただ、毎回、そのいちばん怖いところでは耳を塞ぐのだけれども。
お話が終わると、さあ、もう寝なさいと、私に布団を被せて父は部屋から出ていく。
一度、両親が不在の時に、こっそりそのノートを探したことがある。
居間の父がいつも座っているあたりから、父と母の寝室まで。
しかし、そのノートはどこにも見つからなかった。
私が小学校の高学年になる頃には、そのお話の習慣もなくなっていた。
私に子供ができて、父にあのノートをもらえないかと頼んだことがある。
しかし、父の曖昧な返事のまま、いつ間にか子供も成長した。
そのノートが出てきたのだ。
ほこりを払ってから、そのノートを開いてみた。
各ページの縁はもう茶色くなっている。
そして、そのページのどこにも、文字は書かれていなかった。
最初から最後まで、どこにも何も書かれてはいない。
あるのは表紙の私の名前だけ。
あの時、父はその白紙のノートを読むふりをしていただけなのだろうか。
そうだとしたら、父が何故そのようなことをしたのかはわからない。
しかし、その黄色くなったページに、私には見えるような気がした。
いや、気がしたどころか、はっきりと読むことができた。
あの頃の父と同じように。
あの老婆の怖い話も載っている。
そして、父が決して読んではくれなかった、悲しいお話もあった。
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