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『マネキン』

妙にマネキンの多いフロアだと思った。
ここは、デパートの中だ。
紳士服や婦人服が並んでいる。
もちろん、多くのマネキンがその最先端の流行を身にまとうのは不思議ではない。
ただ、それらが本来あるべきところではないところにまで、飾られている。
しかも、そのポーズが、片足を半歩前に出して顔をやや上に向けたり、片手を頬に当てたり、そんな見慣れたものではない。
何かの行動の途中で、突然時間の流れをぶったぎられたような、中には、重力の法則を無視したポーズで固まっている。
もちろん、世の中は進歩している。
マネキンの技術だって新しくなっているだろう。
これまでとは違う製法だったり、違う素材だったり。

しかし待てよ。
あのマネキン、いやあの人は、さっきすれ違った女の子ではないか。
ピンクのベレー帽を被り、可愛い顔だったので覚えている。
覚えていることに多少の罪悪感を感じるが、別に悪意があるわけでもない。
間違いない。
いくら流行を追うと言ったって、あんなにマネキンと同じものを、上から下まで纏えるだろうか。
さすがに靴までは覚えていないが、上着やスカートは同じだ。
恐る恐る近付くが、間違いなくマネキンだ。
そっと、その指先あたりに触れてみる。
少し暖かい気もしたが、その硬さはマネキンのものだ。
それに、人なら、赤の他人に、しかもこんなおじさんに触れられて黙っているはずがない。

そうだ、そもそもここに何をしに来たのだったか。
手元を見ると伝票がある。
そうだ、スラックスの裾直しを頼んでいたのだ。
紳士服売り場のカウンターの向かう。
少し年季の入った女性が立っていた。
伝票を受け取ると、店員はお待ちくださいとも言わずに奥に消えた。
そのまま、何分待ったのだろうか。
別に急いでいるわけではないから、構わない。
それに、うるさい客だと思われたくもない。
それにしても限度はある。
そもそも他に店員がやってこないのも不思議だ。
そろりと声をかけてみる。
返事はない.。
カウンターの横から中に入る。
奥からは物音も、話し声もしない。
壁の横の出入り口から、もう一度声をかける。
返事はない。
そっと覗いてみる。

確か、メドゥーサとか言う名前ではなかったか。
見た物を石のように固まられてしまうという。
もちろん、そうだと言うわけではない。
そもそも、そこで固まっている店員たちが、誰かのせいで固まったのかどうかはわからない。
狭いスペースで、彼女たちは、絡み合った枝のように、体を複雑に重ならせたままの姿勢で固まっていた。
いや、そのままマネキンになっていた。
カウンターを出ると、スーツ姿の男性と目が合った。
目が合ったのが先が、男性がマネキンになったのが先か。
彼は、左足と右手を前に出し、顔をこちらに向けた姿勢で固まった。
その後ろから、男性の部下だろうか。
同じくスーツの女性が駆けてくる。
男性の体に触れて、その状態を確認すると、こちらを見る。
その目には間違いなく、非難と告発の意図が込められていた。
そして、その瞳のままで、男性の左肩に右手を乗せて、動かなくなった。
叫びたい。
走りたい。
この汗を拭き取りたい。

あなたと呼ばれている。
ゆっくり目を開ける。
妻の笑顔が見える。
そうだ、夢だったのだ。
ほっとして、妻の手を握る。
このおかしな夢の話をしてやろう。
妻の手を握り、ベッドに引き寄せる。
しかし、握り返したまま、妻は動かない。
ベッドに腰を下ろしかけた姿勢で妻は固まっていた。

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