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『銀河売り』 # シロクマ文芸部

銀河売りが来るよ。
幼い頃、母によく言われた。
そんなことをしていると、銀河売りに銀河を売りつけられちゃうよ。
その銀河には自分ひとりで、もう二度と戻って来られないのさ。
私は、夕暮れ時にカーテンの隙間から通りを眺めながら、あの人が銀河売りだろうか、いや、あの人だろうかと考えていた。
その人がちらっとこちらを見ると、慌ててカーテンの陰に隠れたものだ。

あれは、小学校の3年になったばかりの頃だった。
寺西君が急に学校に来なくなった。
寺西君は家も近く、幼稚園の頃からの友だちだった。
放課後に何人かで家を訪ねてみても、お母さんは泣きながら首を振るばかり。
「寺西君は銀河売りに銀河を売りつけられたんだ」
クラスでそんなことが言いふらされるのを、私は黙って聞いていた。

結局、寺西君は見つからず、誰もがそのことを忘れて歳をとった。
しかし、私だけは忘れられなかった。
その町を出て数年ぶりに帰省した私は、土手に出てみた。
昔とは違い、綺麗に整備されて、草むらだったところは小さな公園になっている。
砂場の横の小さなベンチに座ってみる。
ちょうどこのあたりだ。
寺西君がいなくなったのは。

あの日。
放課後に母の使いで隣町の叔父のところに行った帰りだった。
暮れ行く堤防の上を自転車で走りながら、私は急いでいた。
叔父に銀河売りに気をつけなさいと言われていたからだ。
ペダルをこいでいると、堤防の下に寺西君の姿が見えた。
既に薄暗く、明かりもなかったので表情までは見えない。
自転車を止めて、声をかけようとして思いとどまった。
よく見ると、もう一人、男の人がいる。
男は草むらに転がっている土管を指差すと、するするとその中に頭から入っていった。
土管の中から男の手が出て来て、手招きした。
すると寺西君も男に続いて土管の中に入ってしまった。
しばらく待ってみたが、2人とも出てこない。
私は、怖い気持ちを抑えながら、土手を降りて行った。
土管の前まで来ると、少し離れたところか恐る恐る覗いてみた。
思わず、
「あっ」と声がもれる。
私が覗いた土管の中には誰もいなかったのだ。
丸い穴の向こうには、黄昏れ時の草むらが見えている。
怖さを抑えきれなくなった私は、土手を駆け上がり、自転車を押し出した。
ペダルを必死でこぎながら、私は泣いていたと思う。
家に帰ると、そのまま自分の部屋に閉じこもった。
結局、そのことは誰にも話せなかった。
次の日から寺西君は学校に来なくなった。

公園のベンチで、すっかり暗くなった空を見上げた。
あの男は、銀河売りだったのだろうか。
あの宇宙のどこかに、寺西君の銀河はあるのだろうか。
あの時、勇気のなかった私を許して欲しい。
もし許してくれるなら、少しでいいから光ってくれないだろうか、寺西君。
もちろん、何も光るはずはない。
私は立ち上がり、懐かしい道を辿って母の待つ家に向かう。
銀河売りって覚えているかい。
母に尋ねてみようか。


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